1.

 シュレイヤは、目の前の光景を見て立ち尽くした。
その顔には彼女が滅多に見せない、驚愕の表情を浮かべている。
そんなシュレイヤを見て、ルトは笑った。
「大きい街に来るのは、初めてかい?」
シュレイヤはぎこちなく頷いた。
テライセンは東で最も大きな街だ。
街は荒野の中に突然現れる。
周りは堅固で高い壁で囲まれている。城壁などを想像してもらうとよい。
門は四ヶ所あり、そのそれぞれに屯所(とんしょ)があって、自警団が詰めている。
東西南北にある門の内の東門から中に入ると、そこは活気に溢れていた。
様々な人がいる。
肌の色も髪も目も、まさに千差万別。
それは父母と限られた人しか見た事のなかったシュレイヤにとって、初めての体験だった。
キョロキョロと物珍しげに、辺りを見回す彼女に、ルトが注意する。
「こらこら、そんな風に見ていると目立つよ?」
確かに二人は目立っていた。
しかし、
「目立っているのは、ルトの方じゃないのか。皆ルトを見ていると思うんだけどね」
シュレイヤはそう言って、肩をすくめた。
どうもこの視線は、田舎者を見る目というよりも、尊敬とか崇拝といった様なものの気がする。
でもって、その視線の半数以上が女性のものだ。
これは絶対にルトを見ている、とシュレイヤは冷静に分析していた。
市を通ると、あちこちから声がかかった。
商売からではなく、温かい、「おかえりなさい」といったものだ。
ルトはその一人一人に笑顔で返す。
「ルト、お帰りなさい。お疲れ様」
「やぁ、ただいま」
「成果はどうだい?」
「うん。上々だよ」
といった感じだ。
で、やはり女性が多い。
「まぁ、ルト。今夜、どう?」
「あはは。遠慮しとこうかな」
「ねぇ。ウチで飲まない?」
「うん。またね」
さり気なく、お姐さんたちの手を逃れると、ルトは細道に入って行った。
シュレイヤはその後を、送れないように追って行く。
路地といった言葉がピッタリの、その細道の途中の扉の前で、ルトは立ち止まった。
「ここがおれの家、かな? むさ苦しい所だけど、我慢して欲しい」
シュレイヤは遠慮なく、思った通りのことを言った。
「ボロい」

確かに、扉はボロかった。
ルトはそれに怒ることもなく、
「だろ?」
と笑い扉を開け、中に入っていく。
シュレイヤもその後に続いて扉をくぐると、そこは調理場のようだ。
どうやらその扉は裏口らしい。
ルトはシュレイヤに、そこに居るように言うと、一人で奥の方へ行ってしまった。
シュレイヤはとりあえず、そこを観察することにした。
その調理場は閑散としていた。生活の匂いというものが、乏しいのだ。
全然使っている様子が見られない。


「ほう、面白いモンがおるな」
シュレイヤは弾かれたように、間合いを開けた。
そのまま臨戦態勢をとる。
先程まで誰もいなかった所に、男が一人、悠然と立っていた。

 

 

2.

 その男は背が高かった。
優にニメートルはあるだろう長身に加え、その腕回りはシュレイヤの腰ほどにもあった。
普通これだけ筋肉を付けると、動きが鈍るはずであるのに、その様子は見られない。
静かな身のこなしだ。
浅黒い肌にスキンヘッド。年の頃は三十代半ばだろうか、超然とした雰囲気を持っている。
その口元の片方をくいっと持ち上げる笑い方は、何処か人を喰ったような印象を受ける。
その男は壁にもたれ掛けて言った。
「お前さん、ルトに連れてこられたのか?」
シュレイヤは、やや警戒態勢を解き答えた。
相手が敵意を持っていない以上、こちらも警戒を解かなければ、敵と見なされても文句は言えない。
シュレイヤはこの男と戦って勝てるとは、思えなかった。
「あぁ、そうだ」
「無愛想なヤツだな。俺はザップと言う。ルトの、まぁ、同志というヤツだ」
「シュレイヤ」
「いい名だな」
「有難う」
シュレイヤは素直に礼を言った。
自分でも割と気に入っている名前なので、例え初対面の社交辞令だとしても、嬉しいものは嬉しい。
シュレイヤとザップがいつくか話していると、奥に続く扉が開き、ルトが顔を出した。
「あー。なんだ、ここに居たのか」
「おう。先に見ときたくてな」
「でもおれを避けることないじゃないか」
「まぁな」
とザップは頷き、
「ただの嫌がらせだ」
ルトは乾いた笑いを浮かべ、肩を落とした。
「なんでそういう事するかなぁ」
そこでシュレイヤは、すかさずに言った。
「そういうキャラなんだろう。ルトは」
これはルトに更なるダメージを与え、ザップは爆笑した。
「ふっははは。面白い。気に入った」
シュレイヤの頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
「・・・・・止めてくれ」
「いいじゃねぇか。俺はお前さんが気に入った。歓迎する」
ニヤリと笑うザップに、シュレイヤも同じように笑い返した。
「私もだ。安心した」
その言葉に訝(いぶか)しがるルトとザップに、シュレイヤは言う。
「凄いのはルトだけかと心配していたけど、そんな事はないと分かったからな」
「有難うよ。そんなに誉められるとムズ痒いがな」
ザップはぽりぽりと頬をかきながら、それでも嬉しそうに言った。
しかしそこに先程の仕返しとばかりに、ルトが茶々を入れる。
「ダメだよシュレイヤ。つけ上がるからね」
ルトの決して軽いと言えない身体が、ザップのボディブローにより、宙を舞った。

 

 

3.

 その台所には、二つの扉があった。
正面の扉と、先程ルトが消えた右手の扉である。
ルトはシュレイヤを、右の扉の方へ案内した。
右手の扉を開くと、直ぐに階段があった。
上りきると廊下に四つの扉と、突き当たりに一つの扉があった。
窓は大通りに面しているらしく、賑やかな声が聞こえる。
ルトは四つの扉の内の、奥から二番目の扉にシュレイヤを案内した。
部屋の中は簡素で、寝台と卓があるだけだ。
だが掃除は行き届いていて、塵一つ落ちていない。
誰か世話をしてくれている人がいるのだろう。
ルトやザップが掃除をしている姿を想像すると、なかなか滑稽だ。
「ここがシュレイヤの部屋。この部屋以外はもう埋まっちゃっててね。
あぁ、他の人は、追々紹介するね。皆出払ってるみたいだから」
シュレイヤは頷いた。
「荷物は簡単にまとめといた方がいい。旅装を解いたら、もう一つの扉の方に来な」
「分かった」
扉が閉まると、シュレイヤは背負っていた袋を下ろした。
父に貰ったマントを脱いで、壁にかける。
落ち着いて部屋を見廻すと、ここは宿屋のような所ではないかと、シュレイヤは思った。
実際に見た事はないが、話に聞いていたのにそっくりである。
一度双剣を外しかけ、ザップやルトが剣を帯びていたのを思い出し、止めた。
ここはあまり治安がよくなさそうだ。
武器を手放すことは出来ないだろう。
きっちりと素早く抜けるように閉め直し、部屋を出た。


正面の扉を抜けると、そこは戦場だった。
そこには何故かもう一つ、台所があり、こちらは活気に溢れている。
中年の料理人と、見習いらしき若い男が汗だくになりながら調理し、数人の女性が料理を運んだり、
皿を洗ったりしていた。
どこへ行ったらよいのか分からなかったシュレイヤは、とりあえず邪魔にならない所に立って、
その様子を眺めている。
すると、十五、六くらいの少女が話しかけてきた。
「あなた、シュレイヤね?」
シュレイヤは頷いた。
「あたしはキリよ。ルトたちはこっちにいるわ」
少女に促されて厨房を出ると、そこは飯屋のようで、いくつかの卓が並んでいた。
その卓の一つにルトとザップは座っていたのだが、卓の上に乗っている料理の量が、
どう見ても三人前よりも多い。
軽く十二、三人前はあるだろう。
他にも人が来るのだろうかと首を傾げたシュレイヤに、キリがこっそりと耳打ちした。
「あの二人、胃袋底なしなのよ。卓に乗りきらないからあれしかないけど、もっと食べるわよ」
「本当に?」
「本当、本当。シュレイヤは? どれくらい食べるの?」
いかに他の同年代の子供より背が高いからと言って、シュレイヤはそう何人前も食べたりはしない。
「一人前でいい」
「ふうん。分かったわ」
キリはにっこり笑って、厨房へ戻っていった。


料理はどれも素晴らしく美味しかった。
シュレイヤは食べた事のないモノばかりだったが、味が濃すぎる事も、薄すぎる事もなく、
ほっぺたが落ちるとはまさにこの事、と言った感じだ。
「美味いだろ?」
シュレイヤは口に饅頭が詰まっていたので、返事をする代わりに頷いた。
その顔には、普段滅多に見せない笑みが浮かんでいる。
ゴクリと飲み込んで、
「美味しい」
と言った。
ルトは自分が褒められたように嬉しそうだった。
「ホント、おやっさんの飯は大陸一だね。安い早い美味い。三拍子揃ってる店は、他にはないよ」
「まったくだ。この街に居て、この店を知らないヤツぁ、もぐりだな」
話している間にも、ルトとザップはシュレイヤの倍以上の速さで、食べている。
ちゃんと咀嚼(そしゃく)しているのか、まったくもって不思議である。
あらかた食べ終わると、キリがデザートを運んできた。
つるんとした正方形のゼリーの様なものに、黒蜜がかかっている。
「これ、今度出そうと思ってるんだけど、どうかしら?」
「美味そうだな」
「でしょう?」
三人の前に器を置いたキリは、近くの椅子を持ってきて座った。
「仕事はいいのか?」
「いいの、いいの。もう一番忙しい時は過ぎたしね」
確かに三人の他は、二組ほどが食べているだけだ。
昼というには、少し遅い時間帯になっている。
デザートを食べているシュレイヤに、キリは話しかけた。
「どう? 美味しい?」
「あぁ。つるんとしていて・・・こんなの初めて食べた」
キリはにっこりと笑い、
「良かった。これね、若い女の子の客層を狙って作ったのよ。率直な意見を聞けて嬉しいわ」
それを聞いて、ルトが驚いたように声を上げた。
「え!? シュレイヤは男だろ?!」

 

 

4.

 目を真ん丸に見開き、本気で驚いているルトに、三人はそれぞれの反応を見せた。
キリはあらまぁ、という顔をした。
会ったばかりの自分でも、一目でわかったというのに、何故何日か一緒だったルトが気付かないのか。
だがその心の片隅で、やっぱり、とも思った。
(ルトってニブいのよねぇ。だからリィレンが可哀想になるのよ)
ザップは笑い出した。
ルトとは長い付き合いだが、こういうヤツだからこそ、続いているのではないか。
もちろんザップは、シュレイヤが女だと気付いていた。
確かに一見少年のようにも見えるが、よく見れば骨格や筋肉の付き方が違っている。
(剣の腕は超一流なんだがな。他はとんと疎いときてやがる。本当に面白いヤツだよ)
シュレイヤは無反応だった。
少なくとも表面上は、なんともないような顔である。
しかし心の中では、不安が広がっていた。
(ルトって剣の方は強いんだろうけど・・・)
頭の方は大丈夫だろうかと心配になってくる。
三人三様の視線を向けられたルトは、慌てて言った。
「ち、違うの?」
「違う」
シュレイヤはきっぱりと否定した。
ルトは困惑したような、情けない顔だ。
「だってあの時は否定しなかったじゃないか!?」
”あの時”とは、将軍の息子と言われた時のことである。
シュレイヤは肩をすくめて言った。
「最初は気付かないかも知れないけれど、一緒にいれば気付くと思った」
面倒だったしとの言葉に、ルトはガックリとうなだれた。
ザップは笑うのを止めたが、まだ唇の端は引きつっているし、目には笑い過ぎて涙が浮かんでいる。
「まぁ、コイツはこういうヤツだ。シュレイヤ、許してやれや」
シュレイヤは頷いた。
許すも許さないもない。
少年に間違われるのは慣れっこである。

それに・・・。
「ルトだものね」
「ルトだしな」
「ルトじゃしょうがないよね」
頭上から降ってきた声に、シュレイヤはゆっくりと顔を上げた。


優男である。
歳の頃は二十代前半といった所だろうか。
柔和な顔立ちで、美形と言える。
金色の髪と翠色の瞳は、異性の心を引き付けるだろう。
背丈はルトと同じくらいで、背中には重斧を背負っていた。
その男に、ザップが声をかけた。
「よう、エゼルド。帰ったのか」
エゼルドと呼ばれた男は、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「街でルトが新しい仲間を連れて来たと聞いてね。早く会いたくて帰ってきたんだよ。
その新しい仲間が、こんなに可愛いコだなんて、俺はついてるね」
にっこりと笑いかけられたシュレイヤは、この男の印象を、女好き、だと決めつけた。
人の良さそうな顔をしているが、手馴れてるなと思ったのだ。
ザップがシュレイヤにエゼルドを紹介した。
ルトがまだ、落込んでいたからだ。

 

 

5.

 市には様々なものが溢れていた。
食べ物、飲み物、工芸品、衣服、玩具などだ。
大通りの両脇に、簡易店がずらりとならぶ様子は、圧巻である。
シュレイヤは市に来ていた。
もの珍しげに並べられた商品を覗き込んでいる。
先程通った時は、ちらりとしか見られなかったが、本当に色んなものがあるのだな、と思った。
シュレイヤが見た事ないもの、食べた事のないもの、聞いた事もないもの。
それらがずらりと並んでいれば、退屈などしようがなかった。
「どう? ちょっとスゴイだろう? この街の一番のウリだからね」
シュレイヤの隣を歩くのは、先程会ったばかりのエゼルドだった。
この街に来たばかりのシュレイヤに、色んな所を案内した方がいいのでは、と言ったのも、

この男だった。
ルトもザップも賛成はしたものの、急用が入った。
もちろん店の手伝いのあるキリも、案内することは出来ない。
消去法と言い出しっぺということで、エゼルドがということになった訳である。
「あぁ、初めて見るものばかりだ」
淡々とした中にも、嬉しさがにじみ出ている声で、シュレイヤは返した。
無表情で判り難いのだが、とても楽しんでいる事は間違いない。
付き合いは短いが、そういう事に敏感なエゼルドは、それを感じ取っていた。
装飾品を扱っている店の前で、一瞬足を止めたシュレイヤを引き戻したのも、それ故だった。
「何?」
腕を掴まれたシュレイヤは、後ろに反り返った不自然な体勢で、腕の持ち主を見た。
「見たいんでしょう?」
「だから何が」
「アレ」
と言って、エゼルドは装飾品を指差した。
「・・・別に」
シュレイヤは腕を振り解いて先に行こうとするが、強く掴まれている訳でもないのに、
そうする事が出来なかった。
「じゃあその間は何かな?」
エゼルドに突っ込まれて、シュレイヤは答える事が出来なかった。
元々口がそう立つわけではないし、相手はエゼルドだ。
何を言っても、敵うまいという判断からだった。
「別に意地張らなくてもいいと思うけどなぁ」
「だって・・・・・い」
ぼそと呟いた声は、あまりに小さくて、市の賑やかさに紛れた。
「何?」
「だって・・・・似合わない」
シュレイヤは俯いた。
シュレイヤだって、おしゃれに興味がない訳ではない。
綺麗な衣服も着たいし、装飾品や化粧にだって興味がある。
ただ、少年のような自分には似合わないと、諦めているだけだ。
(もう少し丸みが出てくれば、少しは違うのかも知れないけど・・・・)
シュレイヤは平らな自分の胸を見て、更に落ち込んだ。
「そうかな? これなんか、よく似合うと思うんだけどなぁ」
エゼルドは紅い、血を固めたような耳飾りを手に取った。
小さな石だったが、とても綺麗な色だ。
「ほう、お客さん。御目が高い。それは今日仕入れたばかりでしてね。
とある一族秘伝の技で加工したものなんですよ。魔除けにもなる。
派手じゃないが、品がいいし、お買い得ですよ」
商人はにこにこと説明した。
「そちらのお客さんの鉄(くろがね)の髪と黒真珠のような瞳ともよく合う。
勉強しますし、いかがでしょう?」
最後の一押しとばかりに、商人はまくし立てた。
「いくら?」
エゼルドの問いに、商人は笑顔のままで指を五本立てた。
「五十オッシュで」
「高いなぁ。それでまけたつもりかい?」
シュレイヤは目を丸くした。
こんな小さな石の耳飾りが五十オッシュ。
シュレイヤが今身につけているもの(双剣を覗いて)をあわせても、五十オッシュにはならない。
シュレイヤは、喜々として値切っているエゼルドの袖を引っ張った。
「何だい?」
「そんなお金持ってない」
旅費として両親から貰った金はあるが、こんなものを買うための金ではない。
だから買えないと言ったシュレイヤだったが、エゼルドは、
「いいよ。同志になったお祝いって事で」
と、すぐ値切りに戻った。
「いい、そんな高いもの、貰えない」
「大丈夫。今値切ってるから」
ちょっといいなと思っただけ。
別に欲しいなんて、ひと言も言ってない。
そう言っても、エゼルドは引かない。
「いいから、いいから」
そういう会話を交わしながらも、耳飾りの値段は下がっていく。
最終的に合意した時には、なんと十五オッシュにまで下がっていた。
商人は泣いていた。


「はい」
と渡された耳飾りを手の平にのせて、シュレイヤは途方にくれた。
突き返したら何を言われるか分からないし、悪い気がした。
エゼルドはにこにこと笑っている。
あそこまで値切れてご満悦のようだ。
少し考えて、シュレイヤは礼を言った。
「有難う」
「うん、付けてみて」
左耳に耳飾りをつけると、ほんわりと暖かかった。
魔除けの効果かも知れない。
シュレイヤは少し、エゼルドを見直した。
ただの軟派な兄ちゃんではなかったらしい。
兄がいたら、こんな感じかな、とシュレイヤは思った。

 

 

6・

 左耳の耳飾りが少しだけ誇らしく、いつもは無表情なシュレイヤの顔に、

微かながら喜色が浮かんでいる。

いくら背が高く大人びているといっても、彼女はまだ十二だ。

それを隠そうとはしなかった。

心なしか、足取りも軽い。

「そんなに気に入った?」

エゼルドは横を歩くシュレイヤに尋ねた。

エゼルドより拳二つ分背の低いシュレイヤは、ちょこっと視線を上げて頷いた。

「そりゃよかった」

「ところで・・・」

この後は何処へ行くのか、という言葉は、最後まで紡がれなかった。

いきなり樽が飛んできたからだ。

シュレイヤは後ろに跳び、それを避ける。

空の樽は、壁に叩きつけられ、粉々に砕けた。

「危ないなぁ」

同じくあっさりと樽を避けたエゼルドが、またか、という顔をして呟く。

樽が飛んできた方向を見ると、お世辞にも真っ当な市民には見えない輩が、

数人怒鳴りあっていた。

「テメェ、ぶっ殺すぞ!」

「何だとこの野郎! 殺れるもんならやってみろ!!」

「オウ、やってやらぁ!!」

「吠え面かくなよ!!」

「そのセリフ、後悔させてやるぜ!」

何十年も前から使い古された怒鳴りあいを交わしながら、男達は睨みあっている。

真っ昼間だというのに、その顔は赤く、一目で酔っ払いだと判る。

一触即発の雰囲気に、シュレイヤは眉をひそめた。

周りの通行人は、何事もないかのように通り過ぎる。

野次馬さえ出来ない。

つまりこれはいつもの事で、関わるとろくな事がないのを、皆良く解っているのだ。

「救いようがないな」

ぼそりと呟いたそれは独り言だったが、律儀にもエゼルドは返事を返してきた。

「そうだねぇ。ココは逃げてきた人ばかりだから、ああいうのも自然に増えちゃうんだよね」

困っちゃうね、と全然困っていないような声で言う。

「俺らも巡回してるんだけど、とてもじゃないけど追いつかないよ。
なーんで後から後から出てくるんだろうねぇ」

「害虫と同じだな」

「そうだね」

エゼルドが深く頷く。

「ちょっと待て! コラァ!」

シュレイヤが男達に目を向けると、全員がこちらに向かって殺気を放っていた。

「誰が害虫だ! 誰が!」

シュレイヤは面倒くさそうに、

「お前らの事だろう」

と言い放った。

 

 

いつの間にか男達の敵意は、シュレイヤたちに向けられた。

今までいがみ合っていたのに、現金な奴らだ。

男達の中でも一番大柄な男が、剣を抜いた。

「おやおや、剣を抜いたってことは、殺られても文句は言えないってことだよ?」

自信も背中の重斧に手を掛けながら、ご丁寧にもエゼルドが忠告する。

「ここで殺ると、周りの人にも迷惑だ」

シュレイヤがそう言うと、「それもそうだね」とあっさりと斧から手を離した。

そのあまりのあっさり具合は、男たちの神経を逆なでした。

「素手でやろうってのかよ」

額に青筋を浮かべて、男が唸る。

そんな男にシュレイヤが平然と言う。

「お前ら相手なら、素手で十分だ」

このあからさまな挑発に、引くようなチンピラはいない。

「小僧!」と怒鳴りながら、男が突っ込んで来た。

男は勢いを殺さない方法を取った。

その突きはその辺のチンピラにしては、鋭いものだった。

西のどこかの国の、兵士くずれだろうか。

シュレイヤはそれを右に避けながら、みぞおちに膝蹴りを叩き込む。

男がよろけた隙に、組んだ手で背中を強打した。

男は倒れた。

間髪いれず身体を沈めて、後ろからの攻撃を避けると、振り向きざまに足払いをかけた。

体勢を崩した男の腕を掴み、投げ落とす。

この間、わずか数十秒。

あっという間の早業だった。

 

 

7.

 シュレイヤが二人倒している間に、エゼルドは残りの五人を叩き伏せていた。

死屍累々と(死んではいないが)倒れている男たちを見て、シュレイヤはやはりと思う。

 

“エゼルドは強い”

 

一撃必殺、急所を正確に突いている。

実力、経験共に、シュレイヤよりも遥かに上。

今も息一つ乱して居らず、騒ぎを聞きつけて来た自警団と話をしている。

恐らく、父よりも強いだろう。

「シュレイヤ、ここはもういいってさ。人も集まって来たし、そろそろ帰ろうか」

「そうだな」

周りを見渡すと、野次馬が結構集まってきていた。

シュレイヤは大勢の人に囲まれるのに慣れておらず、突き刺さる視線が痛かった。

人ごみに紛れて、すいすいと進んで行くエゼルドに着いて行きながら、先程の感想を話した。

するとエゼルドは小さく笑った。

「シュレイヤは素直だねぇ」

「そうか?」

シュレイヤは首を傾げた。

そんなことを言われたのは初めてだ。

「うん。まぁ、それなりに強いと自負してるよ。これでも鍛えてるしね」

「ふうん」

「でも」

「でも?」

聞き返したシュレイヤに、エゼルドは少し真面目な顔をして答えた。

「ルトとザップはもっと強いよ」

 

 

やっと人ごみを抜けて路地に出た。

あの元宿屋に続く路地らしい。見覚えがある風景だ。

「でも、ちょっと安心したかな」

いきなりエゼルドが話題を変えたので、シュレイヤには何の話だか分からない。

なので「何が?」と聞き返すしかない。

「シュレイヤの腕前が分かってさ。まぁルトが連れてきたくらいだから、
そんなには心配してなかったんだけどね。覚悟はできてるんだよね?」

シュレイヤはエゼルドが何故こんな事を言い出したのか、分からなかった。

覚悟を決めずに、どうして親元を離れ、ここまでやって来られるのだろう。

だからハッキリと答える。

「もちろん」

「ん、なら、良いんだけどね」

その時のエゼルドの曖昧(あいまい)な笑みの意味を、シュレイヤは深く考えなかった。

それは宿屋の扉を開けた途端に漂ってきた夕飯の匂いの所為だったり、

先に帰ってきていたルトとエゼルドの漫才に、気を取られた所為だったりしたが、

結局はシュレイヤが、まだまだ子供で、くちばしの黄色いひよっこなだけだったのだと、

後に嫌というほど思い知ることになる。

 




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