1.

 昔々の出来事であった。
<大陸>は西の国々が富んでいたが、やがて人々の心は荒み、大きな争いとなった。
それを憂いた人々は、獣の駆ける荒野と深い森の広がる東へと逃れていった。

この話はそんな時代の、東の小さな村から始まる物語である。

 シュレイヤは森の奥深くまで来ていた。
そんな気はなかったのだが、気が付くと周りは見慣れない場所ばかりで、彼女はその場に座りこんだ。
別に悲観してではなく、どうにかなるさ、という気楽な気持ちと疲れからである。
丁度いい所に座るのに具合の良さそうな岩があり、薬草の詰まった背負い籠(かご)をひょいと降ろす。


シュレイヤは十二になったばかりだが、ひょろりと背が高い。
近くの村の同い年くらいの子供の中では、抜きん出ていた。
背丈は大人とほとんど違わない。
だがその身体はまだ、女らしい丸みを帯びていない。
ガリガリとまでは行かないが、細かった。
いつも男物の服を着ているので、十四,五歳の少年によく間違えられる。
おまけにその腰には、よく使い込まれている双剣を帯びているものだから、よけいにそう見えた。
背中の中ほどまである、青みがかった鉄(くろがね)の髪を紐で一括りにし、

黒瑪瑙(めのう)を思わせる瞳をしていた。


しばらくぼーっと木々の隙間から見える空を眺めていたシュレイヤだが、
次第にじっとしていることに飽きてきた。
元々そういう性分なのだ。
動いている方が気が楽だった。
彼女は腰の双剣を鞘から引き抜き、逆手に持った。
足を軽く前後に開き、腰を落とす。
片方の手を胸の前に、もう片方を背中の後ろへ。
そのままの体勢で数秒。
シュレイヤの身体が掻き消えた。
否、あまりに速い動きなので、そう見えるのだ。
剣を突き出し、横に薙ぐ。
その踏み込みは鋭く、獣を思わせた。
それは舞であった。
双剣による剣舞。
父親の故郷の国では、男は皆これを習うのだそうだ。
シュレイヤは女であったが、祖国を懐かしむ父親が、剣の才能を持っていた娘に教えたのだ。
物心が付くか付かないかの頃から叩き込まれた剣術は、大いに彼女の役に立った。
東にはまだ国がない。
村や街はあったが、統一国家はない。
そこに住む人々は西の国々から逃れてきた者達で、当然治安は悪かった。
生き抜く為には力と辛抱が必要だ。
盗賊や悪人を取り締まる法も、権力もないのだ。
己の力を頼らずに、何を頼るというのか。
シュレイヤは人を斬ったことがあった。
畑の作物を強奪しようとしたならず者たちだった。
殺さねば、殺された。
皆で仲良くなどというのは、苦労を知らぬ者の、甘っちょろい考えだと、シュレイヤは思う。
十の時だった。


最後の一突きを取って返して、一息ついた。
汗をかくのは気持ちがいい。
刺繍も嫌いではないが、退屈だ。
剣を握っている方が、何倍も楽しい。
例えそれが、人殺しの技だったとしても。
シュレイヤは双剣を鞘に戻し、汗を拭こうと荷物の方を振り返ると、目の前に男が立っていた。
彼女は後ろに飛び退いた。
一流とまでは行かなくとも、二流の中くらいの腕は持っていると自負している自分が、
気配を悟ること所か、こんなにも近くに来ていることすら、気付かなかったのだ。
並みの使い手ではないと、本能で悟った。
用心深く後退し、収めたばかりの剣の鞘を払う。
「何者だ」
短く問う。
この近くの者ではない。
シュレイヤはこんな男を、見たこともなかった。
「怪しい者だけれど、君に危害を加える気はないよ」
男はにこやかに言った。
「信じられるか。ここはそんなに甘い所じゃない」
「君を殺す気なら、さっき舞が終わった瞬間を狙ったね、隙だらけだったよ。俺は人を探しているだけ」
「こんな森の奥でか」
シュレイヤがそう言うと、男はポリポリと頬をかき、
「実は迷ってしまったんだよね。君この辺の子でしょ? 道案内頼めないかな?」
照れたように笑う男をまじまじと見て、シュレイヤは剣を収めた。
「奇遇だな。私も迷っていたんだ」

 

 

2.

 二人が森を抜けたのは、陽も傾きかけた刻限だった。
「酷い目にあったねぇ」
「まったくだ」
てくてくと歩く足取りは、心なしか重たい。
シュレイヤの眉間には、くっきりと皺が寄っていた。
男はルトと名乗った。
もうすぐ三十一になるという事だが、とてもそうは見えない。
よくて二十代後半、ヘタすれば前半に見えるかも知れない。
温和そうな顔をしているが、シュレイヤはどうも、その笑顔が胡散臭い気がしてならなかった。
多分、自分よりも強いだろう。
「どうして父さんを探しているんだ?」
「それ聞くの、もう四回目だね」
「前の三回、答えてもらえなかったからな」
ルトが探している人物が、自分の父親だと聞いて、シュレイヤは不審に思った。
確かに父親の剣の腕は確かだが、シュレイヤから見るとただのおっさんだ。
はるばる遠くの村から訪ねてくる訳がわからない。
だからその理由を尋ねているのだが、ルトははぐらかして答えないのだ。
シュレイヤは立ち止まった。
案内役が止まったら、ルトも立ち止まらずを得ない。
「理由を言わなければ、家に連れて行くことは出来ない」
ルトの間合いの、ギリギリ一歩手前まで下がる。
それはすでにシュレイヤのクセになっていた。
ルトは溜め息を付いた。
「仕方がないね」
「話してくれるのか?」
「だって話さないと、連れてってくれないんでしょ?」
シュレイヤは頷いた。
「君のお父上が西の<エイデン国>の将軍だったっていうのは、知ってる?」
「・・・・いや、初耳だな」
「だろうね。東に来た時点で、西での身分は捨てるからね」
「なら、ルトは何故知っているんだ?」
「調べたからだよ」
ルトはあっさりと言った。
「おれにはね。多くの同志が必要なんだ。・・・西が攻めて来そうなのは、知ってる?」
「あぁ。父さんの所によく相談に・・・・・それも父さんが元将軍だからか?」
「おそらくね」
なるほど。
と、シュレイヤは納得した。
だからあんなに強いのか。
「理由は分かったよね。連れてってくれる?」
「約束だからな」
「でもおれもついてるよね。会った人が丁度、レイザン将軍の息子さんだったなんてね」
「・・・息子・・・」
そんなに、男に見えるのだろうか。
女だって疑いもしないで。
シュレイヤは、ちょっぴり傷付いた。
だが面倒なので、否定はしなかった。

 

 

3.

 シュレイヤの家は、森から一刻ほどの所に、ぽつんと建っていた。
普通は何戸かの家で、まとまっているものなのだが、辺りに他の家は見えない。
あまり立派とは言えない建物だが、東ではまともな方だった。
裏手には畑があり、根菜や麦などを育てている。
「へぇ。いい所だね」
「あぁ。川も近いし、井戸もあるし・・・こっちだ」
扉を開けると、いい匂いが漂ってきた。
「遅いじゃない。どこまで薬草を摘みに行ってたの?」
扉を入るとシュレイヤの母、トワが夕食の準備をしている所だった。
「ごめんなさい」
「ダメよ。いくらシュレイヤが強いからって、あなたはまだ、十二なんですからね。・・・あら?」
「あぁ、父さんにお客さん」
「初めまして。ルトと申します」
「あらあら、ご丁寧にどうも。主人に用なんですね。今呼んで来ます。シュレイヤ、呼んでらっしゃい」
シュレイヤは頷いた。
どうせ薬草も置きに行かなければならないのだから、ついでだ。
父親は奥の部屋に居た。
奥の部屋と言っても、この内には台所も含めて、3部屋しかなかったが。
「父さん。お客さんだよ」
「俺にか?」
「そう」
レイザンは手入れをしていた長剣を鞘に戻すと、誰だと聞いた。
「ルトって、笑顔が胡散臭い人。悪い人じゃなさそうだけど」
シュレイヤがそう言うと、レイザンは難しい顔をした。
「連れて来ちゃ、ダメだった?」
「いや、そうじゃない。ただ、ルトという人物の噂を聞いたことがあってな」
「悪い噂?」
「とちらかと言うと、好ましいものだとは思うが・・・・」
「ふうん。父さんが元将軍だから来たって、言ってたけど」
レイザンは驚いたようだった。
「ルトってヤツに聞いたのか?」
「そうだよ」
「驚いたか?」
シュレイヤは首を横に振った。
「別に。だた父さんの馬鹿っ強さの訳が分かったけど」
「・・・・お前は本当に感動が薄いヤツだな」
「大きなお世話。早く行かないと、失礼だよ」
「可愛くないな」
シュレイヤは父親よりも先に、部屋を出て行った。
思いっきり強く、扉を閉めて。
その日の夕食は、干し肉と野菜のスープとパンだった。
メニューはいつもと同じだが、今日はもう一人いる。
トワはごめんなさいね、と言ってルトの皿に、一枚多く肉を乗せた。
「お客さんが来ると分かっていたら、もっといいもの作るんだったわ」
「いえ、いきなり押しかけたおれも失礼でした。それに夕食まで・・・」
「気にするな。客はもてなすものだ」
レイザンは機嫌がよかった。
滅多に飲まない酒を飲んでいるからだ。
酒は東では貴重品で、特にこの辺りには街がないものだから、自家製なのだが、味はいい。
シュレイヤも酒を飲んでいた。
子供も本当に幼い子を除いては、普通に飲む。


「それで、俺に話ってのは何だ?」
いきなり切り出したレイザンに、ルトは戸惑ったようだった。
「トワとシュレイヤなら気にするな。大体家族にも話せない様な話は受け付けん」
「・・・近々西の同盟軍が攻めてきそうだと言うのは、ご存知ですよね?」
「あぁ。狙いは鉄山のようだな。ヤツらは欲深い」
ルトは頷いた。
「東には国家というものがありません。しかし団結しなければ、いくら疲弊したと言えども、
西に勝つ事は難しいでしょう。単刀直入に言いますが、どうか仲間になっていただきたい」
ルトはあのへらへらした顔でなく、真剣な眼差しで言った。
本気で言っているのは明らかだ。
シュレイヤはパンをちぎりながら、父親の顔を盗み見た。
さて、どう答えるのか。
レイザンは間髪容れずに答えた。
「嫌だ」
「あなた! そんな言い方、ルトさんに失礼じゃありませんか!」
トワが睨み付けだが、レイザンは酒を一口呑み、
「嫌なもんは嫌なんだよ。大体俺が国を出たのは、戦争に飽いたからだ。俺はのんびり暮らしたい」
今まで黙っていたシュレイヤが、
「ここに西が攻めて来たら?」
「ここには来ないさ。俺ら以外に住んでる者もいないし、鉄もないし、
土地も目の色変えるほど、豊かだとは思えん」
トワがレイザンの酒を取り上げた。
「・・・俺の酒」
「没収です!」
ルトは残念そうな顔で、野菜スープをすすった。
「そうですか・・・。将軍が味方についてくだされば、百人力だったのですが」
本当に残念ですと言った。
名残惜しそうに取り上げられた酒を見ていたレイザンだったが、
それならと、とんでもない事を言い出した。
「仕方ない。シュレイヤ、お前が代わりに行け」
「あなた!!」
トワの怒声が、響き渡った。

 

 

4.

 バンッと卓が叩かれ、シュレイヤのスープが零れた。
「あなた! いい加減にしてください! シュレイヤはまだ、十二なんですよ?」
しかし、レイザンはそれを無視して続ける。
「どうだ? シュレイヤは剣の腕は俺が保証するし、薬草の知識もある。
頭だって悪かない。お薦めだぜ?」
「あー、シュレイヤの実力は、あの剣舞を見れば分かります。見事な舞でした。ですが・・・」
ルトは困りきった様子で言った。
「本人の意思が最優先でしょう」
その言葉にレイザンは頷いた。
「まぁ、そうだな。どうだ、行くか?」
そう問われて、シュレイヤはしばし思案に沈んだ。
これは自分の腕を試す、絶好の機会だ。
それと共に、とても危険なことでもある。
父はさっきここには西の軍は来ないと言ったが、東が西に屈するような事になれば、
ここにも西の人々が来るだろう。
そうなれば、自分たちはここを立ち退かなければならない。
それは嫌だった。
シュレイヤはここに生まれた。
生まれながらの東の人間だ。
それに・・・・。
シュレイヤはルトを見た。
得体の知れなさと、多分強いだろうにそれを感じさせないほどの腕。
興味があった。
心を動かされた理由の一番は、それだ。
この人の行く末を見てみたい。
この人なら、とんでもない事を仕出かしそうな気がする。
娯楽のない、単調な毎日を過ごしているシュレイヤにとっては、それはとても魅力的に思えたのだ。


「私、行くよ。自分で何が出来るのか、試してみたい」
「シュレイヤ!!」
「トワ、シュレイヤも、もう、十二なんだ。こいつは俺らが思っているほど、子供じゃあない」
レイザンに制され、トワは心配そうな顔をしているが、黙った。
表情の変わらないシュレイヤに、ルトは確認した。
「シュレイヤ、本当に来るのかい? おれと一緒に来ると言うことは、人を殺すということだし、
いつ自分が死んでもおかしくない所へ行くということだよ?」
「あぁ、覚悟は出来ている」
ルトは溜息をついた。
そしてレイザンとトワに頭を下げる。
「お子さんをお借りします」
それを受けて、レイザンとトワも頭を下げた。
「あぁ。足手まといにはならない筈だ。よろしく頼む」
「シュレイヤを・・・・お願いします」
トワの目に一筋、光るものがあった。

 

 

5.

 出発は明日の朝ということで、今夜はルトも泊まることになった。
だが泊める部屋がないので、シュレイヤはルトに部屋を貸し、両親の部屋で
眠ることになっている。
だがどうも眠れない。
ぐっすり寝ている両親を起こさないよう気をつけ、部屋を出た。
家の外に出ると、空は満天の星空だった。
幾千万の星々と月が、本来は暗い筈の地上を照らしている。
シュレイヤが夜空を見上げていると、上から声がかかった。
「眠れないのかい?」
振り向くと、屋根の上にルトの姿が見える。
シュレイヤは側に生えていた木を利用し、一気に屋根の上に飛び上がった。
「見事なものだね」
ルトは感心したように言った。
「身が軽いのは、天武の才だよ」
「天武?」
「天から授けられた武術の才能」
「なるほど」
シュレイヤは屋根に寝そべっているルトの隣に、膝を抱えて座った。
「ここは本当に静かでいい所だね」
微かに聞こえた声を、シュレイヤは聞き逃さなかった。
「ルトがいた街は、そうじゃないのか?」
「ここより人が多いしね。西の所為で殺気立ってる」
「ふうん。・・・・ルトは何故、戦いの先頭に立とうとしてるんだ? 他にも人がいるんじゃ・・・」
それはシュレイヤの心に引っ掛かっていた疑問だった。
ルトは視線を空に向けたまま言った。
「それはね、おれが東の始めての人だったから。少なくとも、皆がそう思っているからだね」
「?」
分からないという雰囲気を読み取ったのだろう。
ルトが少し笑った。
「その言葉通りだよ。おれが最初に東に来たんだ。それまでは東は秘境だったから」
「そうか」
「うん。だから、おれは東を守りたい。多分、大勢の人が死ぬんだろうけど、
東を西の属国にだけは、したくないんだ」
「私は・・・」
シュレイヤは、ぽつりと言った。
「私は東以外知らない。私は東で生まれて、東で育ったんだ。西なんて知ったことじゃない。
だけど、だからこそ・・・私も東を守りたい。ここを守りたいんだ」
それもまた、理由の一つだった。
それを聞いたルトは、無言で立ち上がった。
音も立てずに屋根から飛び降りる。
下を覗き込んだシュレイヤに、ルトは言った。
「守ろう。そして、生き抜こう。この東で。ここはおれたちの国だ」
シュレイヤは頷き、同じように飛び降りた。


翌朝、まだ陽が出切ってない時刻に、シュレイヤたちは出発した。
そうでなければ、本拠地がある街に、夕方までにたどり着けないからだ。
トワは娘のために、守り袋を渡した。
「これはそこの森の最老樹の実が入ってるわ。あなたが無事でありますようにって、
毎日お祈りするから」
「うん」
レイザンはよく使い込まれたマントを寄越した。
無骨なものだったが、実用性には優れていそうだ。
「ありがとう、父さん」
「元気でな」
シュレイヤは頷き、ルトと共に歩き出した。
近くの森、流れる川、家も、その裏の畑も、両親でさえも、もう二度と、
見る事が出来ないかも知れない。
シュレイヤはそれらの風景を、しっかりと目に焼き付けた。
二つの影が、道を行く。
これから起こる、血と殺戮の世界へと。
旅はまだ、始まったばかり。




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