「ほう」
泣く子も黙る<テレンシア騎士団>団長、ハーザス=シィンは、
応接間に入ってきた“少年”を見て、感嘆の声を上げた。
頭に巻いた布で前髪しか見えないが、その髪の色は極上の金。
青い瞳は深い海の色のように鮮やかで、滑らかな白い肌、薔薇色の頬、薄紅色の唇など、
世の婦人方が喉から手が出るほど欲しがる要素を、全て備えていた。
その体は細いが、<帝国>で五指に入る武人であるハーザスには、
それが決してひ弱ではなく、鍛え上げられた刀身に思える。
その雰囲気は柔らかいが、どこか異質な印象を受けた。
「毎度ご贔屓に預かりまして、まことに有難うございます。
わたくしはジェフ雑貨商店のクラッディオ=ジェフと申します。そしてこちらが従業員の・・・」
「レイ=ベンバーと申します」
深々と頭を下げる二人に対して声をかけたのは、優雅に長椅子に腰掛けているノルフィトだった。
「そのような堅苦しい挨拶はよい。さぁ、こちらに来ておくれ」
ノルフィトはにこやかに笑いながら、手に持つ扇で自分の正面の椅子を指した。
困惑した様子の二人に、ハーザスが助け舟を出す。
「ノルフィト、いきなり呼びつけておいて説明もなしでは、混乱するだろう」
「ふむ、それも一理ある。ハーザスの筋肉脳味噌も、少しは働くようになったの」
「一言多いわ!貴様のその神経を逆なでする口ぶりは、昔っから変わらないな!」
「おや、これは雅というのだよ。さすがにそなたのような粗野な男には理解できぬであろうがの」
「なんだと!この軟弱者が!貴様のようななよなよとした気色悪い話し方など、
一生分からなくてかまわん!」
「まったく、うるさくてかなわないねぇ。そなたの声はただでさえ無駄に大きいのだから、
もっと静かに話しておくれ。聞くに堪えない。騒音の方がまだましだよ」
目の前で始まった悪口の応酬を、レリィーエとクラッディオは呆然と眺めていた。
二人の二十歳をとうに越えた大人が、まるで子どものような口喧嘩を始めたのだから、
呆れるのも無理はない。
しかも二人とも<帝国>でかなりの地位にある人物なのである。
クラッディオなど、頭の中でこの城との取引を続けるべきか、止めるべきかを素早く計算したほどだ。
しかし側に控えていた彼らを連れてきた従者の少年は、何事もないかのように茶の用意をしていた。
この二人の口喧嘩は毎度のことなので、この城の人間はすでに慣れきっている。
喧嘩するほど仲がいい、を実践しているのだとちゃんと知っているのだ。
「団長、ノルフィト様。お茶をどうぞ。どうぞお二人も」
二人の前にお茶を出した少年は、レリィーエたちの前にも茶器を置き、茶菓子を進める。
「あ、有難う」
「いいえ」
笑顔で礼を言うレリィーエに、少年も微笑み返した。
ちょうど口喧嘩に一区切りついた二人も、ハーザスはやや乱暴に、
ノルフィトは優雅に長椅子に腰かける。
「まったく、無駄な体力を消耗してしまった」
ハーザスが少年の淹れた茶をすすりながらぼやき、ノルフィトはそれを無視するかのように、
「イーロはまた茶を淹れるのが上手くなったね」
と少年を褒めた。
褒められたイーロが慇懃に頭を下げて後ろに下がると、ノルフィトは笑顔でレリィーエに話しかけた。
「よく来たね。私はノルフィトと言う」
「こんなイカれた頭の色をしているが、一応皇族様だ。傍系だがな。
そして俺はこの<テレンシア騎士団>の団長で、ハーザス=シィンという」
茶々を入れたハーザスを一睨みして、ノルフィトが続ける。
「そなたたちを呼んだ理由は、至極簡単なことだよ。
先刻そなたたちを見かけてね。一度会って話を聞いてみたいと思ったのだよ」
彼はその顔に極上の笑みを浮かべ、すぅっと目を細めた。
それは獲物を狙う、狩人の目だった。
「・・・何故そなたのような美しい女子(おなご)が、男の振りをしているのかえ?」
レリィーエはノルフィトの言葉を聞いて、すっと笑みを消した。
「・・・何で分かったの?」
「ちょっ、レリィーエさん!」
慌ててクラッディオが止めようとしたが、レリィーエはクラッディオを睨み付けた。
「うっさいなっ!もうバレちゃってんだから、今更取り繕ったってしょうがないでしょ!」
「おや?それが地かえ?」
「そうよ、悪い?」
面白そうに笑うノルフィトに、レリィーエはふんぞり返って言い切った。
彼女にとって、否、彼女のような魔術師にとっては、と言った方がいいだろう。
相手が傍系皇族であろうがなかろうが、たいしたことではない。
国家権力に屈しない魔術師は、案外貴重だ。
「いや、悪くないね」
「あ〜、ノルフィト?俺にはまったく話が見えんのだが?」
突然のなりゆきについていけなかったハーザスが口を挟む。
「おや、気づかなかったのかえ?やはりそなたの目は節穴だの。どこからどう見ても女子ではないか」
「少し違和感を感じはしたが、どっからどう見ても美少年だったわ!」
「やっぱり?結構自信があったんだよね。そっちの美人さんにはさっさと見破られちゃったけどさ」
頭に巻いた布を取り去ると、ふわりと金の髪が広がった。
「ったく、もっと簡単にことを済ますつもりだったんだけどな」
「・・・レイ=ベンバーというのも、偽名か?」
「もちろんでしょ」
ハーザスの問いに、レリィーエは簡潔に答えた。
「本名はレリィーエというのかえ?」
「そう。レリィーエ=オルトっていうの。ホントはね」
にぃっと笑うレリィーエに、気を取り直したハーザスが問うた。
「レリィーエとやら、目的は何だ?変装してまでやって来るとは、穏やかではないな。
初めはそちらの男の趣味かと思ったが・・・」
ハーザスの視線の先には、諦めきった表情のクラッディオがいた。
「どうやら、主犯はお前のようだ」
ハーザスの雰囲気が変わった。
先程までの無骨ながら穏やかな雰囲気はカケラもない。
硬質で冷たい視線。
いくつもの修羅場を潜り抜けてきた猛者だけが持ちうる、それは殺気だった。
一般人がそれを向けられたら、おそらく腰が抜けて何も言えなくなるだろう。
しかしレリィーエは笑みさえ浮かべて答えた。
「簡単に言えば、仕事で来たのよ」
「仕事だと?」
「そう、あたしは魔術師でね。と言ってもまだ二年目の新人なんだけど、腕は確かよ。
本当はあたしの師匠が受けた依頼なんだけど、その師匠がいきなり面倒になったから、
あんたがやんなさいよ、これも修行の一環だからって、いきなりほざいてさ」
もう嫌になっちゃうと肩をすくめて言うレリィーエに、ハーザスは疑いの目を向けた。
「魔術師だと?あれはもう絶滅したと思っていたぞ?」
「本当に愚かだね、ハーザス。<宮殿>にも宮廷魔術師がおるであろう?」
「あのよぼよぼのジィさんだろ?どこまで信頼出来るものやら分からんさ。
それに<帝都>やこの街にも魔術師と名乗る者は大勢いるが、大抵は胡散臭い者ばかりだ」
「ちょっと、あたしが偽者の魔術師だって言いたいわけ?」
レリィーエの眉が鋭角に跳ね上がった。
睨むレリィーエに、ハーザスが答える。
「簡単に信じるわけにはいかないな。口で言うだけはタダだ」
その言葉を聞いて、レリィーエは勢いよく立ち上がると、ビシッとハーザスに人差し指を突きつけた。
「あたしをそんじょそこらの騙り者と一緒にしないでちょうだい!
いいわ。そこまで言うんだったら、あたしが正真正銘の魔術師だって証拠を見せてあげる!」
そう言ってレリィーエが両手を突き出すと、ハーザスの体が宙に浮いた。
これにはさすがのハーザスもかなり驚いたようで、自分の体を見回している。
「なっ、どうなってるんだ?!」
バッとレリィーエが腕を交差させると、ハーザスの体は回転を始めた。
そう、レリィーエがツキリアムに弟子にして欲しいと頼みに行った時にやられた、アレである。
「ふふふ!あの時やられてやたら悔しかったから、ずっと練習を重ねていたのよね。
いつかツキリに復讐してやる為に覚えたけど、こんな所で役に立つとは思わなかったわ!」
レリィーエはとても楽しげな笑みを浮かべ、腕をぐるぐると回している。
「た〜す〜け〜て〜く〜れ〜め〜が〜ま〜わ〜る〜」
数々の修羅場を潜り抜け、過酷な修行を積んできたハーザスだったが、
さすがにこんな訓練をしたことはなかった。
必死に助けを求めている。
しかし彼の幼馴染であるはずのノルフィトは、助けるどころか、感心しながら眺めていた。
「おや、よく回っているね。まるで独楽(こま)のようだよ。
魔術というものを初めて見たけれど、すごいものだね。あのハーザスが赤子のようだ」
クラッディオは商売が出来なくなるどころか、
自分の首さえ危ういのではないかと眩暈(めまい)を起こし、
ハーザスの従者であるイーロは、自分の主人が空中でなす術もなく回されているのを、
ただオロオロと見ていることしかできなかった。
レリィーエはハーザスを逆回転にしてみたり、縦回転にしてみたり、
糸のないヨーヨーのように床ギリギリの所で《犬の散歩》をしてみたり、やりたい放題である。
「あ〜楽しい!やられるのはムカつくけど、やるのはスッゴく面白い!」
ちなみに、ハーザスが床の上に下りられたのは、それから十分後だった。
ハーザスはぐったりとした様子で、長椅子に横になっている。
イーロが手拭いを水で濡らして主人の額に置いた。
その顔は真っ青で、口を開く元気もないらしい。
ノルフィトはそんな幼馴染を横目でちらりと見て、レリィーエに笑いかけた。
「ふふふ。ハーザスのこんな情けない姿を見たのは、実に二十年ぶりくらいだよ。
まったくいいものを見せてもらった」
「そう?じゃあ、ちょっとあたしの仕事、手伝ってくれない?
この城とあんたたちの権力があれば、もっと楽にこなせるんだよね」
「ふむ、内容によっては協力しないこともないよ。面白そうだしねぇ」
ハーザスは『この城の主は俺だ!貴様が勝手に決めるな!』と心の中で叫んでいたが、
口を開くと言葉以外の余計なモノが出そうだったので、結局口をつぐんでいるしかなかった。
レリィーエはふふっと不敵な笑みを浮かべながら、窓辺に近づき、左手を腰に当て、
びしっと窓の外の一点を右の人差し指で指しながら、とんでもないことを言う。
「聞いて驚け!今回の仕事は何と、『龍』絡みよ!」