巨大タコは本当に大きかった。
一本の足がレリィーエの身長の倍くらいの長さがありそうだ。
弾き飛ばされれば、ひとたまりもないだろう。
吸盤がついた八本の足を、ウネウネとさせている姿は、あまり好ましいとは言えない。
とある地方では、それこそ普通のタコでさえ、悪魔といわれている程である。
が、その場にいる人物たちは普通ではないので、ちっとも怖がっていなかった。
「う〜ん、これは食べれるかな〜?」
「いや、あれも一応魔物みたいなモンだから、腹壊すんじゃないの」
「よく見ると、間抜けな面ゲラ」
言いたい放題である。
ツキリアムは刺身っ、刺身っと言いながらも、心の中では別の事を考えていた。
(これはチャンスかも知れないな〜。ま、試してみる価値はあるかな〜)
彼女は一つ頷いて、隣のレリィーエに話しかけた。
「ね〜レイ?」
「何?また何か変な事、考えてるんじゃないでしょうね?」
ツキリアムは苦笑した。
(うわ〜、わたしってば信用ないな〜)
そう思いつつも、軽く返す。
「う〜ん。ちょっとそうかも〜」
レリィーエは思いっきり苦い顔をした。
余程普段からのツキリアムの行動に、悩まされているのだろう。
「嫌だから」
きっぱりと断る。
「まだ何も言ってないじゃ〜ん。少しくらい訊いてくれても良いでしょ〜」
「絶対に嫌だ」
だがツキリアムはそれを無視し、
「レ〜イ、一人であのタコやっつけて来て〜」
ね?と簡単に言ってくれたが、言われた本人は堪らない。
大慌てである。
「は?ツキリ、何考えてる訳?あたしはまだ魔術も使えないんだよ?無茶に決まってんじゃん!」
「そうゲラ。無茶ゲラ」
事態を呆然と見ていたエンセも焦って止めた。
「ワタシが簡単にやられた相手にゲラ、レイさんが勝てるワケないゲラよ」
そう正面きって否定されて、カチンと来ない人間はいないだろう。
レリィーエもその例外ではなかった。
(う、なんかムカつく。でも出来ないモンは出来ないのよ)
その心の葛藤を見透かしたように、ツキリアムは言う。
「だいじょ〜ぶ。だったら魔術を使えるようになれば良いのよ〜」
「何それ?」
「頭、大丈夫ゲラ?」
反応は極めて薄かった。
ツキリアムは、ちょっぴり凹んだ。
エンセは巨大タコの話に相槌を打っていた。
ツキリアムの厳命である。
『良〜い?あのタコの意識をこっちに向けないでね〜。もし向けたら、
どうなるか分かってるんでしょ〜ね?』
そう言われたら、頷くしかない。
今更ながら己の運命を呪うエンセであった。
一方、ツキリアムとレリィーエの方はというと。
「ほら〜、集〜中、しゅ・う・ちゅ・う〜」
「うっさいな。分かってるわよ」
レリィーエはツキリアムの言葉を、心の中で反芻した。
(まず身体は自然体。力んだりしてはいけない。そして目を閉じ、深呼吸をする)
その通りに行動しながら、頭の中でイメージを繰り返す。
身体の中に熱があるように。
その熱は己の手足となり、思う通りに動くように。
すっと手を伸ばし、手の平にその熱が集まるようにイメージする。
「!」
バチッと手の平から火花が散った。
「感じは掴めた?」
「ん、これが魔力・・・」
レリィーエは信じられないように、手の平を見つめている。
だが一度感じを掴んでしまえば、力は確固としてそこにあった。
レリィーエは身体が熱くなるのを感じた。
頭の天辺から足の先まで、隅々に力が行き渡る。
それと共に、心まで高揚して来るようだ。
(今なら、何でも出来る気がする。出来ないものは何もない・・・)
その目は明らかに正気を逸脱していた。
知らず知らずの内に、レリィーエの口元に笑みが広まる。
(そうだ。壊してしまえばいい。なにもかも、全部。そうすれば・・・)
「レリィーエ=オルト!正気を保ちなさい!あなたは何の為にわたしの元に来たか。
あなたは稀代の魔術師になるのでしょう?だったら力に支配されてはいけない。力を支配なさい!」
ツキリアムがいつもののほほんとした声ではなく、鋭く、そして厳しい声で叱咤(しった)した。
雰囲気までもがキリッとしたものに見える。
レリィーエははっとして、先程とは違った意味で信じられないように手の平を見つめた。
彼女は愕然としていた。
(今、わたしは何をしようとしていた?わたしは“何”だった?)
そして恐ろしくなった。
身体が振るえるのを、押さえきれないようだった。
レリィーエは自分を抱きしめるようにして、膝をついた。
ツキリアムはそんなレリィーエを、黙って見下ろしている。
(予想外だったな〜。まさかレイの魔力がこれ程までとはね〜。ちょっと、ヤバかったかな〜)
手を顎に当て、そして笑った。
ツキリアムは殊更に明るく、レリィーエに声をかける。
「凄いじゃ〜ん。こんなにすっごい魔力の持ち主、なかなかいないよ〜。
コントロールさえ出来れば、本当に世界三くらいの魔術師になれるよ〜。きっと」
レリィーエはツキリアムの言葉が引っ掛かった。
「世界三って何よ。三って」
思わずツッコミを入れてしまう。
「一番はわたしのお師匠さまで、二番がわたしに決まってるじゃな〜い」
ツキリアムは二つの意味で笑った。
(さっすがレイ〜。こんな事で凹んでるようじゃあ、魔術師なんかやってらんないからね〜)
レリィーエは悩んでいるのが、馬鹿馬鹿しくなった。
(これだけのモンがあって、出来て三?魔術師って化け物ね)
彼女は割り切る事が出来る人間だった。
「・・・杖なくても、魔術って使えんのね」
ふと疑問に思った事を言ってみる。
「あはは〜。これね〜、ポーズよ、ポーズ。格好つけってよりは、こうあるべきってイメージかな〜」
「何よそれ」
「つまりだね〜」
ツキリアムは杖でガリガリと地面に絵を描いた。
なかなか上手い。
どうやら魔術師のようだ。
ローブを着た人物が、杖を構えている様子が描かれている。
「これが何さ?」
「一般的な魔術師のイメージ図よ〜。こんなもんでしょ〜?魔術ってのはね〜、イメージが大事なのよ〜。
例えば、火とは熱いものだ。物を燃やす効果がある。って〜、自分でも思い込む事が必要なのね〜。
杖も同じ。杖は魔術師が魔術を使うときに使う物。杖があれば術の威力が増すってね〜」
レリィーエはがくっと来たらしく、頭を抱えていた。
騙されたと思った。
そしてまさかと思い、もう一度訊いてみる。
「じゃあ、呪文は?あの“光よ、来たれ”とか“地を這え、無言の者達よ”とか」
「それこそ格好つけでしょ〜」
ツキリアムはキッパリと言い切った。
レリィーエは、自分の理想の魔術師像が、ガラガラと音を立てて崩れ去って行くような気がした。
そして無性に腹が立ってきた。
都合の良い事に、目の前には八つ当たりに絶好の獲物がいる。
「ツキリ。アレ、やっちゃってイイ?」
「うん。だから言ったじゃな〜い。アレ、一人で倒して来てって〜」
レリィーエはエンセが相手をしている、巨大タコに向かって行った。
その顔は先程と違った意味で恐ろしい顔だ。
怒りで顔が引きつっている。
巨大タコとの距離が射程範囲内に来ると、問答無用で火球を投げつけた。
何の前触れもなく、である。
一応海の生物であるタコは、一番苦手な物にのた打ち回った。
ジタバタと暴れて、火を消す。
「何をすルんだ!攻撃は向かイ合って堂々とが原則だロう!」
魔物のクセに王道を説くタコだったが、そんなもの今のレリィーエには通用しない。
「うっさいわ!このタコ!あたしは今、気が立ってんの!大人しくやられなさい!」
巨大タコが滅多めたにやられる様子を、こっそりと逃げていたエンセが呆然と見ていた。
「す、凄いゲラ。でも鬼畜ゲラ。容赦のかけらもないゲラ」
「凄いってのは、わたしも思うな〜。あぁもたやすくコツを掴むなんてねぇ」
ツキリアムは腕を組み、悠々と見ている。
タコは無残な姿で横たわっていた。
ぐったりとしていて、ピクリとも動かない。
レリィーエはそんなタコを一瞥すると、ツキリアムに向かって、
「ツキリ、コレさ海に送り返してよ。さすがに転移魔術はできないし」
「え〜、でも仕方がないかな〜。黒焦げなのは美味しくなさそうだもんね〜」
物凄く残念そうな顔をして、ツキリアムはさっと杖を振った。
ついでにいつもはあまり言わない呪文を言ってみる。
「空間を司りしモノよ。疾くコレを大いなる海に届けるべし」
タコが一瞬光って、消えた。
そして冥界沼に再び平和が戻った。かのように見えたが。
キッとレリィーエはツキリアムを睨みつけた。
「嫌がらせ?」
「う〜ん。そうとも言うかな〜?」
のらりくらりとツキリアム。
「そうとしか言わんわ!」
力の限りにツッコんだレリィーエはふと、眩暈を感じた。
叫び過ぎだろうとレリィーエは思ったが、ツキリアムは早く帰って寝た方が良いと言った。
「魔術初めて使って〜、倒れない方が不思議なのよ〜。今まで使ってなかった力を使ったんだからね〜」
うふふふと笑い、ツキリアムは再び杖を構えた。
レリィーエはあーとかうーなどと唸っている。
自覚した途端に、疲れがどっと来たらしい。
「じゃあね〜、また来るから〜」
笑顔でツキリアムはエンセに手を振る。
「もう来なくていいゲラ」
エンセはキッパリと拒否したが、
「ま・た・来・る・か・ら・ね?」
「はいゲラ・・・・・」
二人の魔術師が消えた後、エンセは隣の沼に住んでいる河童に、
「あの二人は魔術師じゃなくて、魔王だゲラ」
と零していたらしい。