あたしの弟は魔王サマ!? −5−

あたしの弟は魔王サマ!? −5−

 想うことさえ罪ならば、どうかこの身に罰を。
そうすれば、私が貴方を本気で想っていると、証明できるでしょう?
貴方の節くれだった長い指に私の指を絡めて、その温かい胸に顔を寄せる時、私はこの身に流れた血を呪うのです。
貴方と私の間には、大きく深い溝があると。
でも、どうしてでしょう。
それでも良いと思ってしまうのは。
このひと時を過ごし、語り合うことができるなら、いくつもの罪を負い、罰を受けることも厭わない。
私はただ、貴方の側にいたいだけなのですから。



「チトセ、チトセ」
え、あ。
ヤベ、寝てた。
将軍の声にはっと顔を起こすと、サインしていた書類に点々と水が落ちた跡があった。
よ、よだれ!
うわぁ、仕事中に居眠りしてた所か、書類によだれまで落としちゃったよ!
ど、どうしよ!
ごしごしと口元を拭うあたしに、将軍は違う違うと言って自分の目元を指した。
「眠りながら泣いていたよ。悪い夢でも見た?」
「は、いえ、覚えてないですけど」
むー? 夢なんて見たんかなぁ?
全然覚えてないんだけど。
将軍が差し出してくれたハンカチで、目元を拭う。
あ〜、確かに泣いてたみたいだ。
なんだか、将軍には恥ずかしいトコばかり見られてるな。
「疲れているのかな?」
将軍が心配そうな顔をして、あたしの顔をのぞき込む。
おぉ! 美形のどアップ……じゃなくて!
「いえ、心配かけてすいません。ホントに大丈夫ですから」
お茶の時間まで空けてもらったのに、これ以上迷惑かけらんないしね。
将軍がちょっとため息をついて言う。
「でも、もっと俺を頼ってくれていいんだよ?」
「ありがとうございます。でもあたしが引き受けるって言ったことですし、それにそんなに頼ったら、将軍が大変じゃないですか。
今だってこんなに頼りっぱなしなんですから……」
口ではたいしたことないよって言ってても、やっぱり大変だと思うんだよね。
ただの補佐役ならまだしも、あたしはずぶの素人。
政治どころか、この世界についてもロクに知らないんだし。
そう言うと、将軍は柔らかい笑みを浮かべた。
「そんなことないよ。チトセの方が頑張っているじゃないか。
それに俺はこんな時でなくては、国政に参加できないからね。むしろ感謝したいくらいだ」
「いや、そんなに褒められると恥ずかしいです。
あたしが出来ることなんて、ホント少ないですもん。
でも、なんかもう、これって意地みたいなもんですから」
「意地?」
「えぇ、そうです」
だって何の権力もない小娘が何言ったって、発言力は無きに等しいでしょ?
だったら、まぁシャクだけど、王姉って立場をフル活用して、役に立つトコ見せて、影響力をつければいいんじゃないかと考えたワケですよ。
あの天使の皮を被ったワガママ自己中で人の話を聞きゃしねぇ魔王陛下を黙らせるのには、それくらいしなくちゃでしょ。
まぁ、ちょっと時間がかかりそうだけど、絶対還るって決めたし。
だってあたしには、日本の文学をもっとグローバルにするって野望があるんだからね!
ビバッ古典! ビバッ文学! あぁ! 文字って偉大な発明だね!
って、げふげふ。
ちょっと興奮し過ぎました……すいません。
「え、まぁ、そういうワケなんで、どうぞお気になさらずに」
にっこりとごまかすように笑いマース。
どうかさっきの痴態は忘れてくだサーイ。
あっ、怪しい外国人風の発音になっちゃったのは、ご愛嬌ってことにしといて!
「……じゃ、仕事しようか?」
「そうですね」
将軍が置いたビミョーな間を、あたしは怖くてツッコめませんでした。



しゃっと、最後の一枚にサインをし終わる。
羽根ペンなんて代物、現代日本ではまず使わないから、これで書けるようになるまで、ちょっと苦労したんだよなぁ。
そう思いながら、ペンをペン立てに戻して、書き終えた書類を将軍に手渡す。
「はい、お疲れ様。今日の仕事はこれで終わりだから」
将軍が書類の最後の一枚をチェックし終えて、そう言った。
「ふぁい」
あ〜、疲れたぁ。
手首痛いし。書類の書き過ぎで腱鞘炎とかなったらイヤだな。
IT革命って、ホントに偉大だったんだね。
まぁ、ノートをとるのは手書きだけど、レポートなんかはもうパソコンだもんな。
「大丈夫? チトセ」
「大丈夫ですよ。座りっぱなしで、ちょっと体が固まっちゃいましたけど」
あぁ、美形のお兄さんに心配されるのって、ホントに嬉しいことだなぁ。
思わず疲れもふっとんじゃうよ。
将軍は書類を片付けながら、窓の外を見て言った。
「もう夕暮れだね。どう、チトセ。喉渇いただろう? お茶でも頼もうか」
将軍とお茶!
とっても魅力的な提案だねぇ!
うー、でもなぁ。
「すいません、将軍。ちょっと先約が……」
「また陛下の所かな?」
「いえ、宰相閣下の所です」
意外な人名だったんだろう、将軍が軽く驚いた表情(かお)をする。
まぁ、あたしとジュトーの兄さんは、仲良しこよしな間柄じゃないからね。
意外な組み合わせに思えんのかな?
「フェイ卿の所に? 何でまた」
「ほら、あたしって体はキュレオリアですけど、魔力のコントロールが出来ないじゃないですか。
それで宰相閣下にコントロールの仕方とか、教わってるんですよ」
「あぁ、そういうこと」
将軍は納得したようだ。
「でも全然上手くいかなくって」
「フェイ卿の教え方は厳しい?」
「まぁ、あの宰相閣下ですからね」
万年不機嫌男ですよ、相手は。
もう一ヶ月が経つけどさ、まだ一回も笑ったトコなんて見たことないよ。
あたしがそう言うと、ピロッツ将軍も見たことがないらしい。
とんでもないことを言う。
「彼とはもう、五十年くらいになるけど、見たことないなぁ」
「五十年でって、スゴイですねぇ」
色んな意味でな。
っと、こんな長話して遅れたら、また兄さんに小言をくらうよ!
急がないと!
「す、すいません。あの、そろそろ行かなきゃなんないんで」
「うん、頑張ってね」
「はい」
あぁ、励ましてくれる人がいると、やる気も違うよ。
しかもそれがカッコイイお兄さんだったりしたら、もう最高だね!
もう、槍でもビームサーベルでも、どんと来いって感じだからね。



「まずは精神を鍛えるべきだ」
と、万年不機嫌男こと、ジュトール=フェイ宰相閣下は仰いました。
「魔力というものは、暴れ馬だと思え。それを御する手綱が精神力だ。
いかなる時も冷静でなくては手綱は緩み、力が暴走してしまう。
いいか、一番大事なのは平常心だ。平常心を養え」
はい、それは分かりますよ? 理屈はね。
でもさ! その修行で頭の上に腐った卵を置くってどうよ!
あり得ないでしょ!
だって腐った卵だよ!?
いくら小さなクッションを置いたって、卵なんだよ!
しかも腐った!
「あのっ! 宰相閣下!」
「何だ?」
ジュトーの兄さんが『無駄口叩いてる余裕があんのかよ、アーン?』って声で聞き返してきた。
もっと愛想よくすればいいのにねぇ。
折角、顔と声はいいんだからさ。
まぁ、兄さんにしたら余計なお世話だろうけど。
あたしは正面を向いたまま、背筋をピンッと伸ばして、頭上の卵を落とさないように気をつけながら尋ねた。
「何で腐った卵なんですか! この間まで普通のボールでしたよね!」
あのっ、ホントに恐ろしいんですけど!
ただの卵だって十分怖いのに、その頭に「腐った」ってついちゃうんだよ!?
まだ外側は平気だけどさ、割ったら確実に腐臭が広がるって!
槍でもビームサーベルでもどんと来いって言いましたけど、腐った卵はマジで勘弁してください!
あたしは必死でそんなことを訴えたのに、兄さんはワザとらしく「はぁ」とため息をついた。
「あなたは一月も同じ修行をしていて、何故進歩がないのかを考えないのか。
それはあなたに緊張感が欠落しているからだ。適度な緊張感は神経を敏感にする。
よって割れやすいものを選んだ」
「でも腐ってる必要ってないですよね……」
「それは要らぬものを有効活用しているからだ。
この間グレンフィビスが大量に卵を生んだといって、城に献上されたは良いが、陛下から一兵卒に至るまで、三食卵料理を四日続けたが、結局余ってしまった。
ただ捨てるだけではもったいないからな」
そんなことまで気にするんですか、宰相って……。
意外とみみっちい?
「グラルフェ……何とかって何ですか?」
「グレンフィビスだ。まったく“グ”と“フ”しか合っていないだろうが」
ジュトーの兄さんが大げさにため息をつく。
どうもすみませんね! あたし、カタカナは苦手なんですよ!
でも兄さんのいいトコは、呆れながらもちゃんと説明してくれるトコだ。
こういう基礎知識的なことや、魔力関連のことはきちんと教えてくれるんだよね。
「グレンフィビスというのは、鳥の一種だ。飛べないが好戦的で、極彩色の羽を持つ。
主に卵と肉を食用にするな。羽も飾りなどに使われることもある」
「鳴き声はコケコッコーとか、クックドゥドゥルドゥーとかだったりします?」
あたしは極彩色の鶏(にわとり)を想像した。
美味いのかなぁ。
あ〜、焼き鳥食いてぇ。
ねぎま〜、つくね〜、皮〜、手羽先〜、ねぎま〜。
あたしは塩よりタレ派です。
炭火焼きなら、なお良し。
「コケ? グレンフィビスの鳴き声は『そそんそぉぎゃお〜す!』だ」
「……ぷっ」
うわぁ、何か微妙な泣き声だな、オイ。
むしろ吠え声?
怪獣じゃあるまいし。
しかも宰相閣下のモノマネ付きだしさ。
多分、本物のグラ……何とかの鳴き声を再現してくれたんだろうけど、はっきり言って笑える。
だってあのジュトーの兄さんが、『そそんそぉぎゃお〜す!』って吠えるんだよ?
一瞬、頭の上の腐った卵が傾いだ。
ヤバッ、動いちゃダメだ!
笑うな、あたし!
笑ったら異臭騒ぎだ!
ピクピク動く腹筋と頬に力を入れて、必死に堪える。
心頭滅却すれば火もまた涼し!
心を穏やかにすれば、どんなに面白い笑えることだって耐えられるはずだ!
吸って〜、吐いて〜、吸って〜、吐いて〜、吐いて〜、吐いて〜、吸って〜。
「ふぅ」
何とか堪えられた。
何だ、あたしだってやれば出来るじゃ〜ん。うんうん。
あ〜、良かったぁ。
臭いのはヤダもんね。



そう、その油断が命取りだった。
あたしはその瞬間、ヤツのことを失念してたんだ。
いつも唐突にやってくるヤツの存在を。
「姉上〜!」
ぐはっ!
いつものごとく気配を感じさせず、すっかり油断していたあたしの腰に、タックルかましやがった魔王陛下。
バランスを崩すあたし。
あたしの頭から滑り落ちる腐った卵。
ちゃっかり自分の周りだけ結界を張る宰相閣下。
あたしの頭から滑り落ちた腐った卵は、万有引力により、床へ向かって落ちていく。
そして次の瞬間。
「うわっ! マジでくっせぇ!」
マジでヤバイよ! 目にしみる!
息できないし! っていうか、したくない!
恐るべし、グピ……なんとか!
たった一つで生物兵器並みの破壊力だ!
鼻がひん曲がるような臭さとは、まさにこのことだって!
「臭いよぅ、姉上」
「テメェの所為だろうが! ボケ!」
どさくさに紛れてしがみついてくる陛下をはったおしながら、罵倒する。
敬語とか嫌味とか嫌がらせとかも全部吹っ飛んだよ!
もう嫌だ! こんな生活!
絶対帰ってやる!
グ……何とかの腐臭が蔓延する室内で、あたしは決意を新たにしたのでした。