あたしの弟は魔王サマ!? −4−

あたしの弟は魔王サマ!? −4−

 慣れってホントに怖いモンだよなぁ。
まず朝、鏡を見ても驚かなくなった。
鏡に映るのは王姉キュレオリア。でも中身は尾上千歳のまんまなんだよね。
あれから一月が経って、状況は依然進展なし。
毎日元の姿に戻せ、元の世界に帰せって魔王陛下に言うけど、あの自己中は聞きゃあしない。
そんで、まぁ、事情はアレだけど、タダ飯食うわけにもいかんでしょってことで、地方の陳情を聞いたりなんだりっていう王姉殿下としての仕事を、引き受けちゃってるワケですよ。
「王姉殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう、こうして謁見願えまして恐悦至極にございますれば、我が国の益々の繁栄は大変喜ばしく、また魔王陛下におかれましても……」
でもさぁ、何でこう、おっさんて話長いんかな。
まだ挨拶だけで本題入ってないし。
背筋は伸ばしてなきゃなんないし、笑顔は崩せないし、ヘタなこと言えないし、ストレスたまるわ……。
早く終わってくれ、頼むから。
これがナイスミドルだったら耐えられるかもだけど、現実には丸々と太ったおっさんだ。しかもハゲ。
救いといえば、あたしのすぐ斜め後ろに爽やか将軍、もといミハイル=ピロッツ将軍がいることかな。
いくら外見がキュレオリアだとしても、中身は現代日本の大学二年生尾上千歳だから、小難しい政治の話をされたって、全部分かるわけがない。
そんなワケで将軍があたしの後見人になってくれたんだよね、これが。
うんうん、怪我の功名って、こういうことを言うんでしょね。
こんなカッコイイ男の人が補佐してくれるんだから、頑張らないワケにはいかないでしょ。
でもさぁ、ちょっと危機感を感じてたりもするわけで……。
だってこのままなし崩しのうちに正式に王姉殿下とかなっちゃったりしたら、ホントどうしようだよ。
あたしは手元の資料をパラパラめくって、遠回しかつ大げさに話すおっさんの話を整理する。
壊れた堤の修復か、この間の大雨で決壊したわけね。
ジュトーの兄さんの話によれば、また大雨が降る可能性があるらしいから、早めに対応すべきだな。
ちなみにあたしがこうして字を読めたり、話が出来るのは、こっちに呼ばれた時に使われた魔方陣に、あらかじめそういう式を書き込んであったからなんだそうな。
けっ、用意周到過ぎて、涙が出らぁ。
「……以上でございます、王姉殿下」
やぁっと終わったんかい。マジで長かったな。もっと簡潔かつ的確に話せっての。
だけどあたしはそんなことをおくびも出さずに、にっこりと笑って言う。
「あなたの話はよく分かりました。このことは陛下にも申し上げ、迅速に対処することを約束しましょう」
この一月で身についたもの、それはきっと厚い面の皮と演技力だ。



はぁ。
おっさんが退出して、あたしは肩の力を抜いた。
あー、疲れた。
ぐるぐると肩を回して、後ろに立ってる将軍を見上げる。
「あんな感じでどうですか?」
「上出来だよ、チトセ。お疲れさま」
あー、将軍の爽やかな笑顔と温かい労いの言葉に癒されるわぁ。
将軍はあたしを千歳として扱ってくれる、唯一の人物だからね。
他の人はあたしのことを完璧にキュレオリアとして扱ってくる。
身の回りの世話をしてくれる侍女のお姉さんたちも、恐れ多いとか何とか言って、軽い話とか出来ないから、将軍と話してる時が一番気が楽なんだよなぁ。
将軍は心のオアシスだよ、ホント。
「でも、ホントにいいんですか?あたしの補佐とかしてて。他にもお仕事があるんじゃないですか?」
だって将軍は仮にも“表の十将軍”の一人でしょ?
って、ここでちょっと、この国の政治体制について簡単におさらいしてみよう。
コラ、いきなりだとか、何だとか言わない、そこ。
まずはこの国が専制君主制をしいてるのは、陛下が政治を行っていることからも明らかだ。
それをサポートするのが、内政・外交を司る裏の十賢者と軍事・警察を司る表の十将軍。
ちなみにジュトーの兄さんは、裏の十賢者の一人なんだそうな。
あ、裏っていっても、怪しいとかそういう意味じゃないよ?
外に出て華々しく活躍する表の将軍たちに対して、裏から国を支える人たちって意味なんだってさ。
まぁ、あと部署やらなんやらが沢山あるらしいけど、あたし自身把握しきれてないんで、割愛させていただきますが、あしからず。
「領地は兄が治めているし、治安警備の方もちゃんと部下に命じてあるから。
俺の部下は優秀だからね。最近は平和で戦も起こらないし、余裕があるから大丈夫だよ。
それともチトセは俺が忙しくて側にいない方がいい?」
「そ、そんなとんでもない! 将軍にはお世話になってますし、これ以上負担をかけたくないなって」
「チトセはそんなこと気にしなくっていいんだよ。大変なのはチトセの方なんだから」
あぁ、ホントにいい人だ、将軍。
カッコよくて爽やかなだけじゃなく、優しいだなんて、もうこの国の宝だね、うん。



「姉上〜!」
来たな! 諸悪の根源!
とっとこ走ってきた陛下が、あたしの足にまとわりつく。
「陛下、どうしてここにいるんですか? っていうか、仕事はどうしたんですか?」
また敬語に戻ってるのは、別に尊敬の念が湧いたとかそういう意味じゃない。
最近分かってきたことなんだけど、陛下はあたしに口汚くののしられるよりも、敬語を使われた方が嫌がるんだよね。
つまりは嫌がらせの為です、はい。
「それとも、やっと帰らせてくれるつもりになったんですか?」
「ううん。違うよ」
即行で否定してくれるよな、ふふ。
これはもう、挨拶代わりだ。
「今日の分はもう終わらせてきたの。急な案件が出なければ、大丈夫だよ。
だから、姉上をお茶に誘いに来たの」
こんなナリをしてらっしゃいますが、この外見五歳児中身百六十歳の魔王陛下は、統治面では結構優秀な君主なんだそうザマス。
この可愛らしいお口から、経済だの軍事だのの話題が飛び出すと、何だか変な気分になるよ。
陛下の頬をつまんで横に伸ばす。
うにょーんとよく伸びるな。
餅みたいだ。
っていうか、百六十歳でこの肌のピチピチさ、世の奥様方に恨まれそうだな。
「おひゃひまへんか」
「しません」
何が悲しゅうて諸悪の根源と仲良く茶ぁ飲まなきゃなんないのさ。
絶対お断りだ。
「ダメなの?」
潤んだ瞳で上目遣いとかすんなよ。
絶対自分の利点知っててやってるよ、コイツ。
って、コラ、スカートの裾を掴むな!
シワになんだろ!
ハイ、そこ。 『陛下、お可哀想……』とか言って、目元をハンカチで押さえない!
ホントに可哀想なのは、あたしの方だから!
あたしの心の叫びも虚しく、周りは完全に陛下の味方だ。
く、ここはヤツのホーム。
アウェーのあたしには分が悪い。
ちらりと後ろを振り返れば、将軍が苦笑いを浮かべていた。
目で『助けて!』と訴えたのに、『頑張って』と返される。
ちぇっ。
それにしても、いつも陛下にぴったりくっついてる宰相閣下はどうしたのさ。
ジュトーの兄さんがこのお子様の保護者じゃないの?
しっかり躾けてもらいたいもんだわ。
まぁ、最近はあたしの魔力コントロール修行も見てくれてるから、忙しいのは分かるけどね。
陛下は泣き落としが無理だと悟ったのか、作戦を変更してきた。
「姉上、美味しいお茶菓子もあるよ。この間姉上が美味しいって言ったナニョン、また作ってもらったから。一緒に食べよう?」
う、あのガレットに似た焼き菓子……。
あれは確かに美味しかった。
バターの風味が利いてて、甘過ぎない上品な味。
うん、流石宮廷料理人って思ったしね。
ヤバいな、ツボをついてくるよ。
うー、プライドを取るか、実を取るか。
悩みどころだなぁ。
更に追い討ちをかけるように、陛下は言う。
「あとね、他にも美味しいお茶菓子があるよ。焼きたてが一番なんだから、早く行こう?」
あたしはもう一度、将軍を振り返った。
「……あと、どのくらいお仕事ありましたっけ?」
「お茶する時間くらい、大丈夫だよ」
はは、将軍は『お見通しだよ』というふうに、的確な答えを返してくれました。
仕方ないじゃん。
甘いもの、大好きなんだよ。
「やった。ね、姉上。早く行こう」
「分かった。分かりましたから、袖を引っ張らないでください! 伸びる!」
ちょっと、あたしが惹かれたのは、美味しいお菓子たちなんだからな!
そんな嬉しそうな顔すんなっつーの!



あたしは彼の姿をじっくり数十秒見つめて、見なかった振りをするべきかどうか悩んだ。
「どうしたの、姉上? お茶が冷めちゃうよ?」
「そーですねー」
陛下の言葉に、やる気がないアルタの観客のような返事しちゃうくらいに衝撃だった。
うっわー、あのジュトーの兄さんがエプロンつけて、セッティングしてるよ!
まだフリル付じゃないのが救いだけど。
陛下に引っ張られつつ連れてこられた英国式庭園のような中庭。
衝撃はかなり大きかった。
エスコートされるままに席について、意を決して尋ねてみた。
「あの、どうして宰相閣下がセットされてるんですか?」
「えー、だってお菓子作ったの、ジュトーだもの」
「えぇっ!」
うわっ、マジっすか!
あのジュトーの兄さんが?
常に眉間に深いしわを刻んでて、不機嫌オーラを撒き散らしてる宰相閣下が?
うわぁ……。
「っていうことは、もしかしてこの間のえ〜と、な、ナンニャ?」
「ナニョンです」
「そうそう、そのナニョンも閣下が作ったんですか?」
「そうですが、それがどうか致しましたか?」
「……いえ、ちょっと意外だっただけです」
う、『何か文句あっか?』って目で睨まれたよ。
陛下がいない時はあたしに敬語なんて使わないくせに、陛下がいると言葉遣いは丁寧になるんだよね、ジュトーの兄さん。
まぁ、あくまでも言葉遣いは、だけど。
「ジュトーはね、甘いものを作るのが得意なんだよ。とっても美味しいから僕も大好きなんだ」
にっこり笑う陛下に、兄さんが『恐れ入ります』と頭を下げた。
はは、人間って、意外な特技を持ってるもんだよね。



「あ、そうだ。姉上にお渡しするものがあったんだ。ちょっと待っててね」
美味しいお茶とお菓子を頂いた後に、いきなり陛下がそんなことを言った。
こっち返事も聞かないで、とたたたたと走ってく陛下の背中を見送って、あたしはジュトーの兄さんの方を向いた。
今なら、他の耳はない。
聞きたいことを聞くチャンスだ。
「何で、陛下は……めげないんですか?」
あたしは何度も陛下を粗雑に扱ってきた。
今だって、まったくもって可愛がってなんてない。
それでも陛下が、まだあたしを姉として慕ってくるのは何故?
あたしの前世がキュレオリアだったとしても、別人だってあたしの態度を見りゃ、明らかでしょ?
もしかして、陛下って……マゾ?
兄さんはあたしの問いに、少し考えるような間を置いてから、口を開いた。
「陛下は……お寂しいのだ」
「あなた達がいるのに、ですか?」
たくさんの人がいるでしょ?
陛下のことを可愛がって、心配してくれて、サポートしてくれる人がさ。
兄さんは、はぁ、と息をついて言う。
「だが家族は特別だろう。陛下に臣下はいても、友や家族はいない。
陛下にとって、姉君は唯一の肉親だった。……魔王となる者の運命を知っているか?」
「いいえ」
「魔王となる者は、その身に膨大な魔力を宿して生まれてくる。
そして母体がそれに耐えられることは、非常に稀だ」
「それは……つまり……」
母親の命と引き換えに生まれてくるってこと?
あたしの表情で悟ったのか、兄さんは小さく頷いた。
「陛下もその例に漏れなかった。父君もすでに病没していた。
陛下をお育てしたのは、キュレオリア様だ。陛下にとって、キュレオリア様は姉であり、母だった」
「キュレオリアは、陛下を、母親を死なせた弟を恨まなかったんでしょうか?」
「さあな。本心がどうだったかは、本人にしか分からぬだろう。
だが、キュレオリア様は陛下を育て、選王までもちこんだ。それだけは、確かなことだ」
「そうですか……」
大体の事情は分かった。
陛下が何故、キュレオリアにそこまで執着するのか。
でもさ、不幸な生い立ちが全ての免罪符になるとは思わないよ。
あたしの何倍も生きてて、そんなことも分からないのかね。
あたしは皮肉な笑みを浮かべた。
「じゃあ、あたしはどうなんでしょうね。
あたしは自分の家族と離れ離れになっても、構わないってコトですか?」
ギリギリ十代とはいえ、あたしはもう親がいなけりゃ何も出来ない子どもじゃない。
けど、だからといって、家族とこのまま永遠に会えなかったら?
そんなの、冗談じゃない。
ジュトーの兄さんは、それに答えることが出来なかった。
だけど代わりにポツリと呟いた言葉に、今度はあたしが答えられない番だった。
「今の陛下にとって、姉上はすでにあなたのことだ。それだけは、どうか覚えておいて欲しい」



その重たい沈黙を吹き飛ばしたのは、またもやあたしにタックルをかますようにして抱きついてきた陛下だった。
「ぐえっ!」
「姉上、お待たせ! ……どうしたの? 何かあったの?」
陛下はあたしたちの間に漂う微妙な空気を敏感に察知したらしい。
「いえ、別に何も」
「本当に? もしかしてジュトーにいじめられた?」
あー、まぁ、それに近いもんはあったかなぁ。
厳密に言えば、まったく違うもんだけどさ。
兄さんは陛下の保護者だから、心配でしょうがないんだろうな。
ちらりとジュトーの兄さんの方を見ると、相変わらず不機嫌な表情(かお)してるし。
多分、さっさと否定しろって思ってんだろな。
さぁて、どう答えようかね。
「ね、姉上、どうしたの? 本当にジュトーにいじめられたの?」
陛下は心配気にあたしを揺さぶりながら、ジュトーの兄さんを睨んだ。
ジュトーの兄さんが心外そうに否定する。
「そのようなことは致しません」
「僕は姉上に聞いてるの! ねぇ、どうしちゃったの、姉上!」
陛下が慌てふためく様を見るのは楽しいけど、あんまりやるとジュトーの兄さんが可哀想だし、まぁ、この辺で八つ当たりは勘弁してやりますか。
「ホントに何にもないですよ。っていうか、姉上って呼ばないでください。
あと、早く元の姿に戻して、元の世界に帰してくれるかなぁ?」
「え〜!」
いいともって、言ってよ。
つまんないな、もう!
まぁ、異世界人に通じるとは思わないけどさ。
通じた方が驚きだけどさ。
「はい」
と陛下に手渡されたのは、小さな包みだった。
どうやら陛下はこれを取りに行ってたらしい。
温かいってことは、中身は焼きたてのお菓子だったりするんかな。
陛下を見れば、キラキラした顔で見上げてくる。
「これね、僕が頑張って作ったの。姉上に食べてもらいたくて。
いっぱいジュトーに手伝ってもらったけど……」
包みを開くと、少し焦げた不恰好なクッキーのようなお菓子が入ってた。
その一つをかじってみる。
「おいしい?」
期待顔の陛下。
「不味い……」
「え」
陛下の顔が曇る。
「……ことはないですよ」
そう言って、二つ目に手を伸ばした。
うん、ジュトーの兄さんのみたいに、ものすっごく美味しいってことはないけど、結構美味しいかな。
まぁ、そんなこと、言ってやるつもりはないけどね。
三つ目、四つ目と全部食べ終えて、一言。
「ごちそう様でした」
あ〜、そんな嬉しそうな顔しても無駄だから!
ほだされたりなんか、絶対しないからな!
あたしはさっさと現代日本に帰って、お昼休みにウキウキウォッチングするんだから、そこんトコ、忘れんなよ!
あたしはふいっとそっぽを向いて、お茶を一気に飲み干したのでした。