私たちが日向という教員に連れて来られたのは、何故か理事長室でした。
普通は職員室か、せめて校長室でしょう。
社会科教師が白衣を着ていることもおかしいと思いましたが、これもまた、おかしなことです。
私の胸の内には段々と、この学院に対して不安が頭をもたげてきていました。
思えば、この学院は綾品学院という名称です。
「綾品」は「怪しいな」とも聞こえるではありませんか。
もちろん、くだらない言葉遊びだという自覚はあります。
別に私より弟の方に手を差し延べたことを根に持っているわけではありません。
私が転んだ原因は弟の方にあって、私が被害者なのに何故と思ったわけでもありません。
いえ、嘘です。
ほんの少し、そう思いました。
けれど、その怒りが違和感に変化しかけているのです。
弟も違和感を感じているようで、不思議そうな顔をしています。
「失礼します」
日向先生が理事長室に入った後に続いて、私たちも室内に入ります。
すると、奥のディスクから、口ひげを生やし、頭を後ろに撫で付けた、

これぞザ・理事長という壮年の男性がにこやかに立ち上がりました。
「よく来たね。私はこの学院の理事長を務める大和だ。よろしく」
そう言って私たちの前まで歩いてきた理事長は、まず弟に手を差し出しました。
「あ、東 圭吾です。よろしくお願いします」
弟が慌てて握手をすると、理事長はもう片方の手で弟の手をおおい、

もう一度、「よろしくね」とにっこり笑いながら言いました。
たっぷり10秒は弟の手を握った後、私の方にも手が差し出されました。
「東 世津子です」
違和感を頭の隅に追いやって、笑顔を浮かべます。
私にだって社会性くらい持ち合わせているのです。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
私との握手は3秒で済みました。
なんだか釈然としない感じです。
握手を終えた理事長は、部屋の一角に置かれたソファーに座り、

私たちにも向かいに座るように言いました。
指示に従い、革張りのソファーに腰を下ろすと、理事長がおもむろに口を開きました。
「君達の入るクラスと寮が決まったよ。

と、まずは我が校の特殊なクラス制度から話した方が良いかね?」
その特殊なクラス制度とやらを知らなかった私は、首を縦に振りました。
弟も同様です。
「ふむ。まず、我が校にはクラス替えというものがない。

一度クラスが決まると、3年間同じクラスだ。

クラスは寮と同じ。しかし、クラスは8クラスで、寮は7寮。

女子がもう少し増えたら増寮するかも知れないが、今はこれだけだ。

……さて、ここまでで何か質問はあるかな?」
にっこり笑いながら問い掛けてきた理事長ですが、その視線は完全に弟に向けられています。
何これ、男女差別? と思い始めましたが、口には出しませんでした。
まさか編入初日に問題を起こすわけにはいきません。
それに、まだそうと決まったわけではないのですから、

余計な波風は立てないにこしたことはないでしょう。
言葉を飲み込んで隣を見ると、話を振られた弟は、あたふたしながら口を開きました。
たぶん、理事長のやたらに熱い視線にびっくりしたのだと思います。
「え? えーと、クラスと寮が一緒なのに、寮の方がひとつ少ないのはなんでですか?」
「非常によい質問だね!」
誰でも気付けそうな解答に、理事長は満足したようにうなずきました。
これがもし、答えたのが私だったらどういう反応だっただろうと想像して、

空しくなったので止めました。
なんとなく、答えは分かりきっているような気がしたからです。
「我が校には普通のクラスが一学年に6クラス、白、黒、紅、蒼、翠、橙とある。

これらには優劣はなく、平等だ。そして残りの2クラスは、特別複式学級である銀と金」
「複式学級?」
「違う学年が同じクラスになること」
弟が聞き慣れない単語に首を傾げていたので、こっそりと耳打ちします。
その間も理事長はこの学院の特殊なシステムについて、休みなく話続けていました。
「このクラス分けは、入試の結果や、中学の時の部活の成績などで決まるんだよ。

白から橙までが、いわゆる一般生徒というものだね。

そして優秀な生徒は銀に、優秀な上に特別な才がある生徒が金となる。

銀と金はね、本来全学年でひとつずつなのだが、

今は両方のクラスの人数が例年よりかなり少なくてね、

金銀合同クラスになっている。

まぁ、金も銀も、その素質がなければ入れないから元々少人数制だし、寮も同じ建物なんだけどね。

そこにいる日向先生は金銀寮の寮監もしてらしているのだよ。

あー、そういうわけで、クラス数に対して寮数がひとつ少ないというわけだね」
立て板に水でどんどん話していく理事長に、途中からあまりついていけなくなっていました。
とりあえず理解出来たことと言えば、この学院はまともではない、ということくらいでしょうか。
クラスの名前が、黒だとか、紅だとか、橙だとか、あげくの果てに、金と銀です。
どこぞの学園恋愛シュミレーションゲームでしょう?
普通に1組やA組と付ければ良いのにと思わずにはいられません。
結局、チキンな私は口には出せませんでしたが、弟の方をちらりと見ると、

やはりあまり理解していなさそうに、ぽかんとしています。
その様子を見た理事長は、苦笑しながら言いました。
「まぁ、おいおい馴れていけばいいよ。では、君達のクラスを発表するとしよう」
いよいよです。
クラス替えがなく、寮も同じというなら、ここがかなり大事になります。
まぁ、金だとか銀だとか、変なクラスでなければどうでも良いです。
確か、二年生女子は5人だったハズなので、

女子がいるクラスに入ることはなさそうですが、寮には一年生の女子がいるでしょう。
それで我慢します。
「では、まずは圭吾君の方から、君は一年橙組だよ」
理事長はやはり弟の方から発表しました。
予想通りです。
弟は「は、はい」と緊張からか、うわずった返事をしていますが、

どこかホッとした様子です。
得体の知れないクラスにほうり込まれずに済んだ、とでも思っているのでしょう。
「次は世津子君、君は……二年生としては三人目の銀だ」
「え? 待ってください。そんな」
得体の知れないクラスに入れないでください、という言葉は飲み込みました。
その様子を気後れしていると誤解したのか、理事長は穏やかな微笑みを浮かべて言います。
「君の試験の成績は優秀だったよ。

それに前の学校も進学校で、優秀な成績を修めていたし、

去年は生徒会の手伝いもしていたそうだね。

君は銀に相応しい。自信を持っていいよ」
試験の結果が良かったのは、勉強時間が足りなかったので張ったヤマが大当りしただけですし、

生徒会は雑用が足りないからと、内申を盾に生徒会顧問の担任に頼まれただけでした。
買いかぶりも甚だしいと思います。
「私はそんなに立派な人間ではありませんから……」
お願いですから、そんな変なクラスに入れないでください。
しかし、私の心の叫び声は、理事長に届くハズもありませんでした。
「大丈夫だよ。金も銀も、他のクラスの子も、皆いい子たちばかりだ。二人とも頑張ってね」
私はこうして、この特殊な学院の、更に特殊なクラスに編入することが決定してしまったのです。
もし、あの編入試験でもう少し手を抜いておけば、などと考えましたが、後の祭りというものでした。




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