理事長室を出ると、そこには気の弱そうなオッサンが立ってた。
「越前先生」
一緒に部屋を出た日向センセがオッサンの名前を呼んだ。
見るからに胃が悪そうなオッサンは、青白い顔に気弱な笑顔を浮かべる。
余計なお世話だろうけど、『今すぐ保健室よりも病院に行った方がいいんじゃね?』

って言いたくなるくらい顔色が悪い。
「東 圭吾くんだね? 1年橙組の担任の、越前です。教科は体育で……」
マジで!?
今にも倒れそうなこの人が体育教師!?
あだなは゛もやし゛ですって感じなのに!?
俺はあくまでも心の中で叫んだつもりだったのに、越前センセは困ったような笑みを浮かべて言った。
「えーと、よく驚かれたり、疑われたりするんだけど、

本当に体育教師で、ついでに言うとまったくの健康体なんです」
人間ドックでも引っ掛かったこと、一度もないんですよ、

と笑う越前センセの顔は、やっぱり青白かった。
「では、越前先生。圭吾君の方、よろしくお願いします」
「はい」
先生同士が挨拶を交わし合っている間に、姉ちゃんが小声で話しかけてきた。
「あんたさ、気をつけなね」
「気をつけるって何を? 顔に出んのは分かってるけど」
「いや、それもなんだけどね。どうにもオカシイでしょ、この学校」
姉ちゃんは難しい顔で言う。
オカシイ? まぁ、確かに橙とか金とか変だし、センセたちも変だけど。
「でもさ、男子の方が多いんだから、気をつけんのは姉ちゃんの方なんじゃないの?」
俺がそう言うと、姉ちゃんは苦虫を噛み潰したようなっていうの?
まぁ、そんな顔をした。
ほんの一瞬だったけどさ。
「東 世津子君、君はこちらだ」
日向センセが姉ちゃんを呼んでる。
すぐに普通の顔に戻った姉ちゃんは、「はい」と返事をして、すれ違い様にポンと俺の肩を叩いた。
「頑張れ。私の想像が当たらないことを祈るよ」
「へ?」
姉ちゃんは手をひらひらさせて、日向センセの後をついてった。


「じゃあ、僕らも行こうか」
「はっ、はい」
姉ちゃんたちとは別の方へ歩きながら、姉ちゃんが言ったことを思い返す。
姉ちゃんは俺に「気をつけろ」って言った。
「お互いに気をつけよう」じゃなくて。
姉ちゃんの勘はメチャクチャ当たるから、気をつけた方がいいのは分かるけど、

いったい何に気をつければいいんだ?
それが問題だよなー。
「東くん」
俺、姉ちゃんみたいに頭よくないし、勘もあんまよくないもんなぁ。
後でメールで聞いてみよ。
「東くん」
「へ? あ、なんですか?」
真新しい学校指定の上履きがキュッキュ鳴る。
遠くからもガヤガヤと声が聞こえるんで、そっちの方にも気をとられてた俺は、

越前センセが呼んでいるのに、うっかり気付けなかった。
歩きながら話しやすいように隣まで進むと、

越前センセはやっぱり気弱そうな笑顔で話しかけてきた。
「君のお姉さんは優秀なんだね」
「え? あぁ、そうっすね。たぶん、どちらかと言えば出来る方じゃないかとは思いますけど」
中学までは何度か言われたことだけど、前の高校は違う学校だったし、
親はそういうことは言わない人たちだったから、
最近はあんま意識したことはなかったな。そういえば。
別に俺も破滅的に出来ないとかじゃないし、

姉ちゃんは天才型じゃなくて、どっちかってゆうと努力型っぽいし、

気にする必要はないとは思ってる。
だけど、あんまり言われて嬉しいことじゃないよな。
要は比べられてるってことだし。
「あ、別に東くんとお姉さんを比べているわけじゃないんだよ」
俺ってば、よっぽど腐ったような顔してたのか、越前センセは慌てたように言う。
やべー。ホントに俺、ただ漏れじゃん?
「僕が言いたかったのは……ここは他とちょっと違うってことなんだよ」
「まぁ、ちょっと違うなー、とは思いましたけど」
「うん、それはそうなんだけど、その中でも金と銀は特別なんだ」
フクシキガッキュウとか、人数がメチャ少ないとか、優秀なヤツしか入れないとか、

そりゃそうかと思うけど、それがどう関係があるんだろ?
「もしかしたら、お姉さんとはあまり会えないかも知れないよ」
いや、もしかしたら、じゃなくて、たぶん、そうなるかな、と越前センセ。
「はぁ? どういうことっすか?」
確かに、クラス違うし、寮も違うけど、会おうと思ったら会えるんじゃね?
文明の利器、携帯電話ってものもあるし。
図書館とか、廊下ですれ違うとか、なくもないんじゃん?
越前センセは困ったように笑いながら、
「金と銀は、特別だから」
とだけ言った。
俺が、
「理由に」
なってない、と言おうとした時、どこからか悲鳴が聞こえた。
男の野太い声だけど、やっぱり心配になったのはセンセも一緒で、

話はそこでお終いになって、早足で進んだ。
廊下の角を曲がると、一番最初に目に入ったのは、背の高い男子生徒の姿だった。
なんてゆうか、すんげぇ目立つ。
とにかく目立つ。
それも悪目立ちじゃなくて、男の俺の目から見ても、ものすんごくカッコイイ上に、

背は180以上は確実にあるし、手足も長い、

おまけに周囲にキラキラしたオーラが見えるくらいに“特別”だった。
だから最初は目に入んなかったんだよな。
その異常な光景が。
ちょっと冷静になってみると、現代日本の、しかも高校の校舎内で土下座なんて、

たぶん他じゃ絶対に見られない光景が見えた。
もちろん、土下座してんのは、目立つ男の方じゃない。
ガタガタ震えながら這いつくばってんのは、別の男子生徒だ。
周りの連中は気の毒そうに、っていうか、完璧に哀れみの目で土下座してる生徒を見てる。
教師が現れたことにも気付いてないみたいだ。
さすがに止めるだろと思って隣の越前センセを見ると、

ただでさえ顔色の悪い顔がさらに白くなって固まってた。
止める気配もない。
「も、申し訳ありませんでした!」
「あぁ、俺としたことが、音楽室からの近道だとはいえ、こんな所を歩くのではなかったな」
土下座して平謝りしてる生徒を無視するように、目立つ男が言う。
「朝のSHR(ショートホームルーム)が始まる前に、

友達とフザケてて……まさか会長が後ろにいらっしゃるとは思ってもみなかったんです! 

ぶつかってしまって、本当に申し訳ありませんでした!」
土下座してる生徒が、必死に叫んでる。
たかだか、ちょっとぶつかっただけで土下座って……。
何時代だよ!?
江戸時代の切捨御免じゃないだろ!?
平成の世の中だぞ!
信じられないものを見た俺は、隣で固まってる越前センセの袖を引く。
「センセイ、止めなくていいんですか?」
「無理だよ」
「は?」
「僕には無理だ。止められない」
力なく首を横に振る越前センセ。
「なんで!? センセイはあんなの、見過ごすんですか!」
教師だろ!
それも、仮にも体育教師じゃんか!
「彼には逆らわない方がいい。あの生徒は……不憫だけど、辞めるしかないだろうね」
「はぁ? ぶつかったくらいでガッコ辞めるっていったい」
「彼は金なんだよ」
「だから?」
「しかも、理事長のご子息だ」
「だから何だっていうんですか! それとこれとは関係ないじゃないっすか!」
憲法にキホンテキジンケンノソンチョーっていうのがあることくらい、中学で学ぶだろ!?
もういいよ。この人には期待しない。
姉ちゃんの言うことは正しかった。
やっぱ、このガッコ変だ。
姉ちゃんなら「余計なことに首をつっこむな」って言うだろうけど、俺には無理だ。
「東くん!」
「止めろよ!」
俺は止めようとした越前センセの手を振り払って、

土下座をしている生徒を冷ややかな目で見下ろしてる男の前に出た。
「この人、こんなに謝ってんじゃないか! それなのにネチネチ言いやがって! 

ケツの穴の小さい男だな!」
周りがざわついた。
「あいつ、正気か」って声も聞こえた。
けどさー、黙って見ないフリなんか、出来るわけねーじゃん。
会長って呼ばれてるってことは、生徒会長だろ?
こんなヤツが生徒会長って、やっぱこのガッコ、腐ってるよ。
「アンタ、何様のつもりだよ! アタマおかしいんじゃねーの! つーか、チンカス以下だろ!」
言ってやった。
男はちょっと驚いた顔をして、俺を見てる。
後ろから「退学者は二名か」って越前センセの声が聞こえた。
うん、まぁ、正直、後悔してないかって言ったら、そうとも言い切れないんだよな。
なにせ、ここを追われたら、俺、行くトコねーじゃん?
でも、スッキリはした。
あそこで知らんぷりしてたら、自分を許せなかっただろうな。
だから、「ま、いっか」って思う。
そう思って睨んでると、会長はじろじろと俺のこと見た後、「君の名前は?」と言った。
「東 圭吾」
別に俺は会長の名前なんかにはキョーミないから、

「人に名前を尋ねる時は、自分から名乗れ」なんてことは言わない。
俺が名乗ると、会長が笑った。
面白いオモチャを見つけたような、そんな顔に見えた。
「ふぅん。東 圭吾ね。君、転校生?」
「そーだよ。だからなんだよ」
喧嘩腰の俺。
虚勢でも張ってないと、気圧されそうになる。
キラキラオーラ、恐るべし。
会長はちょっと考えたような間の後、土下座してる生徒に向かって言った。
「君、もう行っていいよ。面白いモノを見つけたから」
「は、はい! 有難うございます!」
床に額をこすりつけるように頭を下げた生徒が、一目散に逃げて行った。
うん、まぁ、その気持ちは分かる。
けど、それよりも今は会長が言ったことの方が気になった。
面白いモノって、俺だよな?
「君、クラスは?」
「一年橙組」
「うんじゃあ、今日から君は金だ」
さらりと会長が言った言葉に、俺はビックリ仰天した。
「は? なんでアンタにそんな権限があんだよ!? っていうか、退学じゃなくて、なんで金!?」
生徒会長っていったって、所詮は生徒だろ!?
思わず叫んだ俺に、会長はいたって涼しい顔で答える。
「綾品学院の生徒会長には、任期中に一度だけ、理事長クラスの権限を発動することが出来るんだよ。

けど、俺は大抵のことは普通に処理出来るから、使うあてもなかったんだけどね」
どこの漫画の世界の話だよ!
っていうか、なんかそんな話読んだことあるよ!
姉ちゃんの持ってた少女漫画で!
ぽかんと口をあけたままの俺に、会長が笑いながら近づいて来る。
思わず逃げ出したくなったのに、足が動かない。
何で!?
キラキラオーラにあてられた!?
「たまにはこちら側にも来てみるものだね。思わぬ掘り出し物を見つけた気分だよ。

その威勢のよさ、気に入った」
近くに立ってみると、会長の背の高さとか、キラキラオーラとか、

やっぱりタダモノじゃないって感じが余計にする。
会長は動けないでいる俺の肩に手を置いて、男の俺でも見惚れるような、極上の笑顔で言った。
「ようこそ、綾品学院へ。君を金の仲間として歓迎しよう。東 圭吾くん」




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