混沌なき箱庭 6‐7

混沌なき箱庭 6‐7

 昔の人はよく言ったものだ。
『女三人寄れば姦(かしま)しい』、と。
それはこの世界でも通用する、世界を問わない普遍の真理らしい。



「で、やっぱり男は顔だと思うのよね」
手元の針と布から目を話すことなく、ローザがきっぱりと言い切った。
ここは<テーラン>の本拠地の中でも使用人たちの領域にある被服室。
そこそこ広い机の上には、色とりどりの糸や継ぎ当て用の布などが散乱している。
その机を囲んでいるのは、若い女ばかりが五人。
<テーラン>の本拠地に勤めている下働きの女性たちだ。
<テーラン>はその屋敷の規模とは比例せず、使用人の数は少ない。
商家や名家などとは違い、住人の世話はその仕事の内に含まれていないこと、見栄を張る必要がないこと、もっと身も蓋もないことを言えばそんな金はないことなどがその理由である。
よって、ここで働く使用人は必要最低限しかいない。
彼女たちの他にも料理人や下男などがいるが、全員合わせても十人に満たない。
姉御肌で気風のいいローザ、薄幸の美少女風で大人しいミッシェル、ややぽっちゃりでお喋りなコニー、常に無表情でズバッと言いたいことを言うリスウ、そして現在は姉の出産の為里帰り中の、ややそそっかしいながらいつも元気なサラ。
これが使用人の中でも屋敷内の雑用全般を担う下働きの面々である。
今、彼女たちは夕食の仕込みの前の一仕事として、団員たちの服の繕いを行っている。
団員たちはその荒っぽい仕事柄から、よく服を破る。
庶民は破れた衣服を修繕してまた着ることが普通だが、自分で破れた服を繕える器用な団員などほんの一握りしかいない。
専任のお針子がいない<テーラン>では、繕い物も下働きの仕事の内なのである。
若い女性陣が五人も集まったとあらば、監督する者もいないのに黙々と針仕事をするはずがない。
もちろん手は動かすが、それと同時に口もよく動く。
「そりゃあ、顔がいいことに越したことはないですけど、ちょっと極端じゃないですかぁ?」
コニーが新しい糸を取りながら、ローザが出した話題に乗った。
ローザがいきなり極端なことを言い出すのはいつものことだ。
皆それに慣れているので、ポンポンと言いたいことを口々に言い出す。
「コニーの言う通りだと思う。外見に中身が伴わなければただの下種(げす)でしかない」
高速で針を動かしながら辛辣なセリフを無表情に吐くリスウに、ローザは「ちっちっち」と舌を鳴らす。
「分ってないわね。顔が悪い男ってのは、卑屈になっちゃって性根まで腐ってるのが多いのよ。その点顔がいい男はそういう卑屈さとは無縁でしょ? あたし、卑屈な男が一番タチが悪いって思うわ。ミッシェルはどう思う?」
話を振られたミッシェルは色の合う継ぎ当てを探しながら「そうですねぇ」と応じる。
「わたしは優しい人がいいです」
「優しければ顔が悪くても構わない?」
「優しくて顔が良ければ最高ですよね」
ローザが意地悪げに笑いながら尋ねると、ミッシェルはあっさり顔が良い方がいいと認めた。
世の中の男性が聞いたら泣きそうなくらいのあっさり具合だった。
ミッシェルの答えにローザは満足気に頷く。
「うんうん。やっぱりね。葉月はどう? 顔の言い男と悪い男だったらどっちがいい?」
「それは、中身が同じだったら顔が良い方がいいですよ。見てるだけでしたら、中身が良いけど顔が残念な男より、中身が残念でも顔が良い方がいいです」
きゅっと玉止めを作りながら、葉月もあっさりと言い切った。
自身とて人の美醜を評せるような容姿ではないが、美人やカッコイイ人を見るのは好きだ。
なんとなく幸せな気分になれる。
ただ見るだけならば、中身などどうでもいい。
大事なのは外見だ。
葉月だってもちろん、知り合いとなれば中身も考慮するが、中身が同じであれば見目が良い方がいいというミッシェルの意見には賛成である。
これはもう、好みというか本能の問題だ。
「中身が同じであるという前提条件があるのならば、ミッシェルの意見には賛成する」
「あ、あたしも。そうゆうことなら顔が良い方がいいですぅ」
ローザの意見に懐疑的だったリスウとコニーもあっさりと持論を翻(ひるがえ)した。
男は顔で勝負。
葉月の脳裏にかつて一部で流行った替え歌が過(よ)ぎる。
顔の良い人が嫌いという人も中にはいるだろうが、大多数は見目が良い方を好むだろう。
こうなると、話題は自然と自分の好みの話になる。
口火を切ったのは、コニーだった。
「皆さんは<テーラン>の中だったら誰が好みですかぁ? あたしは断然、ハンフリー隊長押し。眼鏡の奥の涼しげな目がもう堪らないですよぉ。立ち姿もすっとしていてその辺の男とは空気が違いますもん」
アイドルに憧れる女子学生のごとくきゃっきゃ言いながらも、手が止まらないのは流石である。
「なるほど、確かに第一隊長は整った顔立ちをしていると私も思う。立ち振る舞いも洗練されている。しかし、私が好ましいと思うのは第二隊長の方。女の私から見ても凛々しく、しかも気さくだ。笑顔もいい。憧れる」
リスウが淡々と熱弁を振るうと、コニーはうっとりとしながら同意した。
「うんうん、ブライアン隊長も素敵よねぇ。あたしも憧れちゃうなぁ。ローザさんはどぉですか?」
「リスウ、ブライアン隊長は確かに素敵だけど女の人じゃない。今は男の人の話だってば。あたしはやっぱり副長かな。大人の男の色香っていうか、無精髭っぽいのにカッコいいってすごいわよね。最近、ちょっとやつれ気味だけど、そこがまた色っぽいっていうか」
繕い終えたズボンを駕籠(かご)に放り込んですぐに次の上着を手に取るローザを、ミッシェルがたしなめる。
「ローザさん、葉月ちゃんの前ですよ。そんな明け透けな言い方はちょっと……」
困り顔のミッシェルに、葉月はころころ笑って「良いんですよ。ミッシェルさん」とフォローを入れた。
「貶されるならともかく、褒められたんですから。ところでミッシェルさんはどなたが好みですか?」
葉月が水を向けると、ミッシェルは困ったような笑みを浮かべながら、少し考えるように首を傾げた。
「うーん。そうね、首領直属のライナスさんかしら? なんとなく安心出来るお顔なの。苦労人っぽくて優しそうな感じがいいなぁって思うわ。葉月ちゃんは?」
「私ですか? そうですねぇ」
うら若き女子学生の頃は私もこんな風に誰それがカッコいいとか言ってたなぁ、と若干オバちゃんチックなことを考えていた葉月だったが、予想されていたはずの質問にわずかに言い淀んでしまった。
葉月はどちらかと言えば、綺麗系やカワイイ系よりもイケメン系の方が好きである。
ヒョロっちいのは好きではないが、実家の道場でもここでも筋肉ダルマは見飽きているので、細身マッチョが良いと思っている。
そんな葉月の嗜好に合致した人物が<テーラン>に居ることは居るのだが、アレの名前を出すのはなんとなく憚(はばか)られた。
理由は簡単だ。
外見はかなり葉月の好みだが、最悪に相性が悪い相手だからである。
ここは他の適当な人物を上げてしまえと思うが、何故かローザはこういうことに鼻が利く。
適当なことを言えばあっという間にバレることは確実だ。
下手に誤魔化せば邪推されてしまうだろう。
その方が百倍面倒くさい。
本当のことを言った時の面倒さと適当なことを言った時の面倒くささを天秤にかけて腹をくくった葉月は、取れかけたボタンを縫い付けながらさらりと言った。
「純粋に外見だけの好みを言えば、ケヴィン隊長でしょうか」



その瞬間、今までどんなにきゃあきゃあ言っていても止めなかった手を、葉月以外の全員が止めた。
四人は顔を見合わせて、ローザはにやりと口の端を吊り上げ、コニーは瞳を輝かせて、ミッシェルは微笑ましい物でも見るような笑みを浮かべた。
リスウは相変わらずの無表情である。
が、じぃーっと葉月を見つめる視線は強い。
四人が四人とも興味津々なのは明らかだった。
「へぇーえ。ケヴィン隊長、ねぇ。さっきもケヴィン隊長から預かった繕い物を持ってきたし、葉月ってばもしかして……もしかしちゃう?」
ローザがにやにや笑いながら突っ込むと、コニーが両の頬に手を当てて黄色い声を上げた。
「たしか葉月とケヴィン隊長って十四歳くらい違ったわよね。突然現れた副長の隠し子とイケメン隊長の歳の差を超えた恋! きゃー、恋愛小説みたい!」
実際はあちらの方が年下なんだけどなぁ、と思いながら、葉月も針を動かす手を止めた。
「外見だけって言ったじゃないですか。中身は全然好みじゃありませんよ」
心外だと抗議する葉月に、ミッシェルが温かい視線を寄越す。
慈愛に満ちた笑みはまるで聖母のようだ。
「あら? 恥ずかしがらなくてもいいのよ。歳の差だっていいじゃない。応援するわ」
「いえ、ないですから。あの人と恋愛なんて考えただけでうんざりしますよ」
葉月はそう言いながら、本当にうんざりとした表情を浮かべる。
しかも、はぁっという実に重たいため息付きだ。
「本当に外見だけ?」
そのあんまりなうんざり具合に、リスウが首を傾げる。
尋ねられた葉月は、ひょいと肩をすくめて見せた。
「外見だけですよ。皆さんだって知ってらっしゃるでしょう? ケヴィン隊長の性格は。あの人は完全なる観賞用です」
葉月はきっぱりすっぱり、一ミクロンの照れもなく言い切る。
四人とも、もちろんケヴィンの性格は知っていた。
ついでに、街での評判も耳に入っている。
いわく、難癖をつけてきた命知らずのチンピラの腹を蹴り飛ばした上、血反吐を吐きながら土下座した相手の頭をブーツの踵でぐりぐりと踏みつけたとか、あるスリ集団の内の二人を捕縛した際は一人の指の骨を一本ずつ折りそれでも吐かなかったので足の爪を一枚ずつ剥がして、見かねた相方に他の仲間を売らせたとか、色街で一番の売れっ妓に惚れられたがその嫉妬心がウザいと言ってあっさり捨てたとか、良くも悪くも――大抵は悪評だが――とにかく噂に事欠かない御仁なのである。
しかも、前の二つの件は、実に楽しそうにニヤニヤ笑いながら行ったのだという。
顔は良いが、性格はかなりの難あり。
それが戦列の<テーラン>実行部第四隊長の客観的な評価だった。
その事実に思い当たったローザは、少し白けたようにつぶやいた。
「まぁ、そうね。ケヴィン隊長は見る専門よね。というか、葉月ももっと照れたりしなさいよ。からかい甲斐のない」
ふうっとため息をついて、ローザが繕い物に戻る。
それを合図に、葉月を含めた他の四人も作業を再開した。
「やだ、ローザさん。そんな誤解を招くようなこと、するはずがないじゃないですか。ケヴィン隊長相手との間に照れるような関係性なんてこれっぽっちもないんですから」
葉月は朗らかな笑みを浮かべながら、糸切り鋏を手に取る。
取り付く島もない葉月に、コニーは苦笑を浮かべた。
「葉月も結構言うよねぇ。あ、ケヴィン隊長と言えば、さっき前の通りで起きた騒ぎの件、ケヴィン隊長とオズワルド隊長も呼ばれたみたいですよぉ。あたしお茶出しに行ったんですけど、押しかけてきた人たちの代表って、あのビルガさんとエーガーさんでした。なんでも娘さんたちが行方不明みたいで、例の<黄昏の怪人>事件が解決したなんて嘘なんじゃないかって難癖付けに来たみたいですぅ」
「えー何それ。ちゃんと事件は解決したでしょ。犯人は捕まえたし、あれから十日以上経つけど犠牲者は出てないじゃない」
コニーが何気なく変えた話題を聞いたローザは、憤慨したように口を尖らせた。
いくら下働きとはいえ<テーラン>の本拠地で働いている身としては、身内を馬鹿にされたようで腹が立つらしい。
「殺人の方は起こってないけど、若い女性が失踪する件は続いているらしい。ただ、それが<黄昏の怪人>事件と関係しているかは疑問だ。自ら失踪したと思われる事例の方が多いと推測する」
リスウが買出しの際に聞いたと言うと、ミッシェルがその後を継いだ。
「そうですねぇ。消えた娘さんたちは、大抵失踪してもおかしくない状態だったみたいですね。ビルガさんにしてもエーガーさんにしても、噂になる程ひどい親だったみたいですから」
「あぁ、ビルガってあの呑んだくれ親父ね。それはあたしも聞いたことあるわ。あの親父の娘さんってフィオナでしょ? あの子、酒代でこさえた借金返済の為に娼館に売られるトコだったって聞いたわ」
「それはエーガーさんのトコのパティも似たようなものですよぅ。パティ、お給料は全部父親に巻き上げられて、それが少ないってよく殴られてたみたいで。しかも、エーガーさんってばパティの勤め先に押しかけてお給料を前借りさせろって騒ぎを起こしたって聞きましたぁ。あ、パティの勤め先ってあの角の金物屋さんなんですよぉ。そこの奥さんから聞いた話ですから信憑性ありありですぅ」



四人はわいわいと他にも“聞いた話”で盛り上がっていた。
どれも街で聞いた噂話の類だが、その情報量は凄まじい。
耳の広さは諜報部顔負けなのではないだろうか。
葉月は相槌を打ったり、さりげなく質問を挟んで情報を引き出していたが、次から次へと出てくる噂に空恐ろしいものを感じていた。
話には聞いていたが、これが下町ネットワークというものだろうか。
なんで他人の家の家族構成から勤め先から趣味嗜好まで、ここまで詳しく知っているのだろう。
葉月とて、あちらでも利害関係にある人々の情報は頭に入れるようにしてはいたが、ローザたちは別に利害関係の為に情報を仕入れているわけではあるまい。
若い女性の失踪が続くのは確かに不審だし気になるが、それ以上に彼女たちの情報ネットワークの方が恐ろしい。
彼女たちは情報の受信者であると同時に、発信者だからだ。
葉月は<テーラン>の副長の隠し子ということで、街で声を掛けられる機会も多い。
その時になんでそんなことを知ってるんだろう、という話題を振られることがあった。
その全ての情報源が彼女たちだとは思わないが、割合の大部分を占めると今確信した。
繕い物が終わるまでに、この辺り一帯のダメ親と虐げられる娘たちの情報をひと通り得ることが出来た葉月は、決してローザたちだけは敵に回すまいと固く心に誓ったのだった。