混沌なき箱庭 6‐5

混沌なき箱庭 6‐5

 いつも賑やかな通りが、賑やかを通り越して騒然としている。
灰山の人だかりは、少し離れたここからもよく見えた。
「やっぱり、騒ぎになっていますね。どうなさいますか?」
葉月は角で足を止めている男たちを振り返った。
ハインツは目を丸くし、イーリオは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐにへぇっという表情(かお)をしてみせた。
「すごいね、弟くんの言ってた通りだ。……さすがにあれは……ちょぉっと厄介そうかな」
葉月はイーリオの言葉に本拠地の入り口に目を戻し、垂れ気味の眉を微かにひそめた。
まだ乱闘にはなっていないが、団員に詰め寄る数人は興奮しているようだし、野次馬の数も思ったより多かった。
二十人以上はいるだろう。
住民と諍(いさか)いを起こすのは、地域密着型自警集団の<テーラン>としてはだいぶまずいことで、団規でも明確に禁じられていることだ。
だからどんなに血の気が多く喧嘩っぱやい団員たちも、本拠地の近くでは揉め事を起こさない。
よって団員たちが剣を抜くことはないだろうが、住民の方が読めない。
特に野次馬がいつ詰め寄る側に回るか分からなかった。
普段から住人同士の揉め事の仲介をし、医療部は割安で住民の往診を行って好感度アップを目論んでいるが、戦列の<テーラン>を胡散臭くて邪魔だと思っている輩も少なくはないのだ。
<テーラン>は言ってしまえば警察のようなやくざだ。
みかじめ料を取るし、一部を除いてガラはお世辞にも良いとは言えない。
憧れられもするし、忌避(きひ)されもする。
そういう、不安定な存在だ。
<テーラン>を嫌う者たちが野次馬を煽(あお)れば、乗せられる者も出てくるだろう。
逆に<テーラン>側に加勢する者も現れるかも知れない。
気持ちは嬉しいが、それはそれで面倒というか、大乱闘に発展するだろう。
原因は知らないが、厄介なことが起きていることだけは分かった。
<ゼルダの使徒>といい、後ろの男たちといい、なんでこう、厄介なことが立て続けに起きるのだろう。
あちらに居た頃はこんなことは……と一瞬思ったが、よくよく考えてみるとその立場柄年柄年中厄介な案件の解決に駆り出されていた気がする。
自分はもしかして、とんでもなく運が悪いのではないだろうか。
もしかしなくても、三十にもならずに交通事故で死亡し、異世界の女神に“世界の行く末”などという面倒でとてつもないモノを託されている時点で厄介事を引き寄せる性質(たち)なのは確定している。
その事実からわざと目を逸らし、葉月はこっそりと小さなため息をつく。
今は自分の不幸に浸っている暇なんぞないのだ。
建設的な手段を考えなければならない。
安全を考えて客人たちを裏門へ案内することも考えたが、瞬時に却下した。
失礼がどうのこうのという前に、この男たちに逃走経路にもなる場所を見せたくない。
「時間を惜しまれるお気持ちは分かりますが、少し待って頂けませんか? あそこにお客様をお連れするのは躊躇(ためら)われます」
葉月はイーリオたちの方に向き直り、少し困ったような顔をして提案した。
イーリオは額に手を添えて騒ぎを見ながら言う。
「まぁ、実際騒ぎが起きてるし、人数も意外と多い。あそこにのこのこと現れるのは得策じゃないね」
潔く前言撤回したイーリオは一旦言葉を切り、葉月を流し目で見た。
意地の悪い笑みを浮かべて、イーリオが問う。
「待つのは、“少し”でいいのかな?」
「えぇ、もちろんです」
葉月はイーリオの視線を受け流し、ふわりと笑った。
数人が本拠地の門から出てきたことを視界の端に捉えながら、きっぱりと言い切る。
「“少し”で構いません。それほどお待たせしないことをお約束します」
葉月の言葉通り、事態が収束までにはたいして時間は掛からなかった。
新たに出てきた団員たちは詰め寄った数人を落ち着かせ、代表者の二名を本拠地内に入れた。
野次馬も手際よく散らされている。
それを見てイーリオがぴゅぅーと口笛を吹いた。
「手際いいねぇ」
「揉め事を収めるのには慣れておりますから」
葉月は少し誇らしげに笑う。
褒められたのは自分ではないが、自分のことのように嬉しかった。
だいぶ帰属意識が芽生えてきているらしい。
「ねえさん、そろそろ大丈夫そうです」
ジークが葉月の隣に並び、報告する。
「不穏な声は聞こえません」
葉月は頷いて男たちを振り返る。
やや芝居がかった動作で手のひらを本拠地の方へ向けて言った。
「大変お待たせ致しました。戦列の<テーラン>の本拠地へご案内致します」



葉月たちが立っていた角から<テーラン>の本拠地までは歩いて数分。
見通しの良い道だ。
事態の後始末の為に残っていた団員は、近づいてくる四人組にとっくに気づいていた。
「ミケーレさん、ただいま帰りました」
「ただいま帰りました」
「嬢(いと)はん、坊(ぼん)さん、お帰りやす」
輪唱するように帰宅の挨拶を述べた葉月とジークに、柔らかな笑みを浮かべた優男が応える。
この辺りとは一風違ったイントネーションで話す、顔色が悪く柔和な顔立ちをした男の名前はミケーレ。
葉月と同じ副長直属部隊に所属している団員だ。
有能ではあるが、迷惑極まりない嗜好(しこう)を持つ男である。
そのミケーレがイーリオたちに笑いかけながら、彼らは何者なのか葉月に尋ねた。
「そちらは、お客さんですか?」
「はい。<ウクジェナ>警備隊第七区部隊第三席のイーリオさんと、同じく第七区部隊に所属されているハインツさんです。<テーラン>に御用があるとのことでご案内しました」
葉月が二人を紹介し改めて二人が名乗ると、ミケーレは「あぁ」と頷いて、
「伺っております。ようお越しやす。私は戦列の<テーラン>副長直属部隊のミケーレと申します。先ほどはお見苦しいところをお見せして申し訳ござりまへんでした」
と、深々と頭を下げた。
その腰の低さに面食らったのは、イーリオたちだった。
両手をぶんぶん振り、「とんでもない!」とミケーレの頭を上げさせようとする。
「一歩間違えば暴動になるところを収めた手際、とてもお見事でした。ああも鮮やかに場を収めるとはすごいと感心していたくらいです」
「えぇ、そうです! 警備隊(ウチ)の人間にもあれほど上手く捌(さば)ける人間がいるかどうか! どうか頭を上げてください!」
「そうですよ。あなたが頭を下げられることではないでしょう」
二人がかりで慰めの言葉をかけられたミケーレはやっと頭をあげ、ふにゃりと人の良さそうな顔で笑って一礼する。
「ありがとさんでございます。そう言って頂けると助かります」
まったく毒気のない笑みと一礼に、イーリオとハインツは恐縮しお辞儀を返した。
「いえいえ、そんなお礼を言われるようなことは言ってないんで」
「当然のことを言ったまでですから……」
葉月とジークはそのやりとりを、『騙されてる騙されてる』と割と冷めた目で見ていた。
葉月は表面上ミケーレにならって申し訳なさそうな顔をしていたが、ジークは明らかに可哀想なものを見る目でイーリオたちを見ている。
あまりにあからさまなので、葉月が肘でジークの脇をつついて注意を促したほどだ。
しかし、その葉月とて内心ではジークと同じように、二人のことを哀れに思っていた。
知らないということは幸せなことだ。
ミケーレは腰は低いが、決して“いい人”ではない。
そもそも<テーラン>に“いい人”などいるはずがないが、その中でもミケーレはある一点において最大級の警戒を必要とする人である。
ミケーレの“趣味”の被害にあったことのある葉月とジークとしては、お客さんにまでその被害が及ばないようにミケーレの自重を祈るばかりだ。
ひとしきりお辞儀合戦を繰り広げたミケーレは、はたと気付いたように困った表情を浮かべた。
「あぁ、こないな道の往来でお客さんをお待たせてしてしもぉて、申し訳ござりまへん。ただいま中にご案内しますよって」
そう言いながら、通用門を開けてイーリオたちを中へ促す。
自身が門を通る前に、ミケーレは葉月たちの方を振り返った。
ふにゃりとした柔らかな笑みを浮かべながら、二人をねぎらう。
「嬢はん、坊さん、ここからは私がご案内しますよって、ご苦労さんでしたなぁ」
「葉月ちゃん、またね」
門の向こうから、にっと笑いながらイーリオが手を振っている。
イーリオの隣のハインツがぺこりと頭を下げた。
葉月はジークと一緒に頭を下げながら、出来れば“また”はありませんようにと願う。
しかし、同時にその願いが叶えられないことも分かっていた。
根拠はない。
ただの勘である。
しかし、そういう勘に限ってよく当たるものだ。
「厄介ごとってば寂しがり屋だから、一つ来ると他にもどんどん集まって来るのよねぇ。これ以上集まって欲しくないんだけど」
「まったくです」
三人が門から遠ざかった所で心底面倒くさそうに独りごちた葉月に、ジークが力いっぱい同意する。
「……ほんと、そうだといい」
「はい……」
自身の言葉を微塵も信じていないような声音で葉月がつぶやくと、ジークも遠い目をして頷いた。
それがどんなに儚い願いでも、願わずにはいられない。
厄介で奇っ怪な運命を背負わされた<世界の落とし子>たちは、揃って大きなため息をついた。