混沌なき箱庭 6‐4

混沌なき箱庭 6‐4

 「それにしても」
微妙に息のつまる昼食を終えた四人は、連れ立って屋台群を後にした。
連れ立ってといっても、横に並んでは他の通行人に迷惑だ。
自然と二、二に並んで歩くことになる。
道案内役の葉月が先を歩くのは当然として、その隣にはちゃっかりとイーリオが陣取った。
その後ろをジークとハインツが無愛想な顔をしてついてくる。
道中無言で歩くのも何なので、葉月は世間話でもするようにさらりと言った。
「<テーラン>にいらしたにしては、だいぶ遠くまで来られましたね。この辺はもう“中”ですよ。<テーラン>はもっと“表”の方にありますのに」
無邪気を装って尋ねる葉月に、イーリオはあはははと笑いながら後頭をかく。
「迷ってる内にどんどん奥に行ってたみたいなんだ。通りがかりの人に道を尋ねて教えてもらっても、なんか別の方に出ちゃったりさ。迷路みたいだよね、ここは。……ところで、“中”とか“表”って何か聞いてもいい?」
「えぇ、“中”や“表”というのは新興地区の大まかな区分です。新興地区を三つに区切って、番号付街に近い方から表、中、奥と呼び表しているんです。正式な区分ではないんですけど、なんとなく棲み分けている感じですね」
戦列の<テーラン>の本拠地は、新興地区の中でも七番街よりの、番号付街と新興地区の境である朱河(あけがわ)の近くにある。
番号付街との境の方が人通りが多く諍(いさか)いも多いのも理由の一つだが、<テーラン>自体が新興地区の新参者である証でもあった。
新興地区は<ウクジェナ>の七番街と八番街の外郭にまたがって、都市の外にたんこぶのように突き出た地区だ。
公式には存在していないものとして扱われている関係もあって、一体いつ頃から存在しているかは判然としない。
ただ、残っている古い建物を見るに、少なくとも百数十年は前から有ったと考えて良いだろう。
新興地区の外郭を葉月自身が見たことはないが、ブノワが言うに新興地区の外郭もそれくらいの年代に出来たものだろうということだった。
枠自体は百数十年変わらないが、その中は目まぐるしく変わっている。
人の出入りも多いし、新興地区内の転居も意外と多い。
持ち家という概念が希薄なのだ。
稼ぎが良くなれば良い物件に移るし、金が無くなればそれ相応の物件に移らざるを得ない。
人の動きが激しいから、商家でさえより良い立地に移ることに余念がない。
そうした中で、ちょっとした不文律が出来た。
新参者は表に、成功したり親の代から新興地区に住まう者は中に、落ちぶれた者は奥にという具合だ。
治安の良い中と治安の悪い奥が接しているというのも不思議な話ではあるが、中には<テーラン>のような自警組織が複数ある上、金持ちは自前の警備を雇っている。
実を重視する傾向のある住人にしては、いささか経済的ではない話だったが、矜持の問題なのだろうか。
その辺りの感覚は、新参者の葉月にはまだ分からない。



「へぇ、新興地区も結構広いんだね」
葉月の説明を聞いて、イーリオはしみじみと感心したような声を上げた。
「本当は来る前に調べておかなきゃならないことだけど、周りに知ってる人が皆無でさ。葉月ちゃんが説明上手で助かったよ」
とにこにこ笑いながら言う様は油断を誘ったが、
葉月は、
「ありがとうございます」
と笑って受け流した。
素直に油断して良い相手だとはとても思えない。
聞き上手で、お世辞も上手い。
乗せられて話し過ぎないように気をつけねばならない程だ。
表面上は談笑に見えても、その裏には腹のさぐり合いと情報の争奪が潜んでいる。
「いったいどれくらい広いのかな?」
「七番街と八番街の外郭にまたがって外に膨らんでますから、番号付街の一街と比べて、およそ一.五倍の面積があると言われています」
「言われている?」
「外郭から計算して弾き出したようです。正直内側から計測するのは困難でしょうね」
「ふぅん。奥があるから、かな」
イーリオがにぃっと笑ってさぐるように言う。
葉月もそれを受けて、にっこりと笑う。
「それも理由の一つです」
葉月はあえて他の理由を言わなかった。
新興地区は入り組んでいる上、住人の独立精神も旺盛だ。
自治組織にはそこまでの権限と金がない。
理由はいろいろあるが、わざわざ教えることもないだろう。
こちらが言わずとも推測されるだろうが、開けっぴろげに全てを教えてやる必要はないし、そんなことをするのは馬鹿か能なしかどこぞの間諜か、まぁ、それに類する者だけだ。
「地図はあるのですか?」
ふいに、イーリオの後ろを歩いていたハインツが口を挟んできた。
正確な面積も分からずに、正確な地図があるのか疑問なのだろう。
「新興地区全体の、というのなら、表と中の主立った大通りを示したものがありますよ。奥は白いままですけれど」
「もっと詳細なものもあるのでしょう?」
葉月の説明に満足いかないハインツが、重ねて尋ねる。
葉月は内心苦笑しつつ、さらりと答えた。
「ありますね」
「見せて頂いても?」
無表情ながら意気込んでいるハインツに、イーリオがあちゃーと額に手をやり天を仰いだ。
若いというか、まっすぐ過ぎるというか、可愛らしいものだ、と思いながら、葉月はふわりと笑う。
「申し訳ありませんが、私にはそれを決める権限はありませんので。副長のブノワか参謀のヴィリーにお尋ねください」
「ごめんね、葉月ちゃん。困らせちゃって」
イーリオがハインツの頭を叩いて下げさせた。
邪気のない笑みを浮かべたまま、葉月は首を横に振る。
「いいえ。お気になさらず」
別に気を悪くした訳ではないので、これは本音だった。
直球でも甘い球は打ち返しやすい。
一見まっすぐに見えて、どう落ちるか分からない球の方が曲者だ。
赤頭の方もこれだけ単純なら丸め込むのも簡単なんだけど。
などと、さり気無くひどいことを考えているだけである。
現代日本では駅前などによく地図が立っているし、携帯でも自分の現在位置から目的地までのルートを重ねて示してくれる地図まであるので身近な存在だが、実は地図とは政治的にも戦略的にも、ここではお値段的にも価値が高いものなのだ。
庶民がほいほいと持っているものではないし、部外者に簡単に見せて良いものでもない。
こんな下っ端の見習いに見せる見せないを決める権限がないことくらい、少し考えれば判ることだ。
イーリオに制されたハインツも興奮が治まったからだろう。
その事実に思い至ったらしく、
「すみません」
と頭をさげてしょげ返っている。
何か、こう、叱られてしょんぼりしているクソ真面目な大型犬を彷彿とさせる姿は嗜虐心(しぎゃくしん)をくすぐるものがある。
一言で言えば可愛らしい。
ハインツを部下に持つイーリオは大変そうだが、こちらは部外者なので他人事のように愛でることが出来るというものだ。



次の角を曲がれば<テーラン>の本拠地が見えるという所で、異変に気付いたのはジークだった。
「ねえさん」
ハインツにも適度に気を使いながらイーリオと腹の探り合いを続けていた葉月の袖を、ずっと黙ってついて来ていたジークが掴んだ。
驚いて振り返った葉月ではなく、角の向こうを睨みながらジークが言う。
「本拠地の辺りが騒がしいです。何かあったのかも知れません」
言われた葉月は耳をすませてみるも、聞こえてくるのは普段と変わらない雑踏の音だけだ。
ハインツやイーリオもジークが睨む方を見て、一瞬険しい顔をする。
が、すぐに肩の力を抜いた。
「別に変な音は聞こえないけどなぁ。お前、何か聞こえるか?」
イーリオがハインツに問いかける。
ハインツはそれに首を横に振って答えた。
「いいえ。特には」
子供の聞き間違えだろうと笑う男たちを無視して、ジークは葉月を見る。
「迂回しますか?」
「そうね……」
葉月は少し考え込んだ。
自分やイーリオたちに聞こえずとも、ジークがここまで確信を持っているのだ。
実際に騒ぎとやらが起こっているのだろう。
教えてくれたジークには申し訳ないが、正直、こんなところでジークのスペックが知られるのはよろしくない。
<テーラン>の本拠地はこの先の角を曲がって少し歩いた所にある。
普通ならば聞こえる距離ではない。
それが聞こえるジークは普通ではないのだ。
会って間もない人間に手札を晒すのはどうにも躊躇(ためら)われる。
ここでイーリオたちと一緒に気のせいだと笑うのは簡単だが、それも無駄だろうししたくない。
仕方がないな、と葉月は腹をくくることにした。
「騒ぎは<テーラン>の本拠地の辺りなのね?」
真剣な顔で問う葉月に、ジークが少し困ったように曖昧に頷いた。
「おそらく、ですが。聞こえてくる距離と方向は、だいたい本拠地の辺りです」
「なら迂回したって無駄でしょう。あの辺りで騒ぎや揉め事が起きてるなら<テーラン>(ウチ)が関わってないわけないもの」
葉月はふうっとため息をついて肩をすくめてみせた。
そして、くるりとイーリオたちの方を向き、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「申し訳ありませんが、少々面倒なことが起きているようです。そんな中にお客様をお連れするのは心苦しいので、どこかで時間をつぶしてからという訳にはいかないでしょうか?」
葉月の提案に、イーリオは苦笑でもって応えた。
「何も聞こえないのに、葉月ちゃんは弟くんの言うことを信じるんだ?」
多分に侮りが含まれている言葉に、ジークがむっとした表情を浮かべる。
葉月はそれを片手で制しながら、ふわりとした笑みを浮かべて言い切った。
「私でも他の人が言ったのなら何を言っているんだ、と思います。ですが、ジークが言うのならば本当です」
葉月はイーリオの緑がかった青い瞳をひたと見つめる。
イーリオも葉月の灰青の瞳を見つめ返した。
二人はしばし見つめ合う。
色っぽいものは欠片もない。
無言の腹のさぐり合いだ。
静かな、それでいて緊張感をはらんだ空気が流れる。
その間、わずか数瞬。
意外にも、先に舞台を降りたのはイーリオだった。
両手を小さく上げて、いかにも妥協したというような声で言う。
「了解。葉月ちゃんの言うことを信じよう。でも時間は潰さない。荒事には慣れてるし、こちらも仕事で来てるもんだからあまり遊んで時間を喰うわけにはいかないんだよね」
「分かりました。ではご案内しますが、警戒は怠らないようお願い致します」
葉月はそう言って、ジークに目配せする。
ジークはその目配せの意味を読み取り、頷いてみせた。
葉月たちを追い越し、先を歩く。
葉月もさりげなく羽織の裾を押さえながらその後を追う。
その後に半信半疑の男たちが続いた。
そこの角を曲がってから<テーラン>の本拠地までは徒歩数分。
新興地区にしては珍しくまっすぐで見通しの良い道に面している。
声はまだ聞こえない。
だが、石造りの建物の角を曲がった葉月たちの目に飛び込んできたのは、<テーラン>の本拠地に詰め寄る数人とそれを押し止める<テーラン>の団員。
そしてそれを遠巻きに眺めている野次馬たちの姿だった。