混沌なき箱庭 6‐3

混沌なき箱庭 6‐3

 葉月に声をかけた赤毛の男は、見たところ二十代前半のようだった。
その向かいには、同じ年頃の、こちらは白に近い灰髪の青年が眉をひそめて座っている。
二人ともこざっぱりとした格好で、粗野な雰囲気はない。
ただ、腰の剣は飾りではないだろう。
戦列の<テーラン>の団員たちと似たような“におい”がする。
すなわち、戦闘を生業にする者のにおい。
嗅覚に訴えるものではないが、人を斬ったことがある者は独特の雰囲気を持っているのだ。
葉月はそれを嗅ぎとって、なぜ自分に話しかけて来たのか考えた。
葉月とジークは<テーラン>の本拠地の近くでは割と顔が知られているが、ここは本拠地からは離れている。
自分を<テーラン>の一員、それも副長の娘と知って話しかけてきたのか、それとも単に街娘だと思ってか、はたまた……同類というには中途半端なにおいを嗅ぎつけられたか……。
それによって想定される事態は変わってくる。
裏を勘ぐり過ぎるのは葉月の悪いくせであり、それを自覚していても直す気はない習性だった。
男の目的を勘ぐりながら、葉月は少し警戒心をにじませた笑みを浮かべて小首を傾げた。
「えぇと、私に何か御用でしょうか?」
「うん、もし席を探してて……二人連れならここ空いてるよ。良かったらここ座らない?」
赤毛の男はにっこり笑いながら、自身の隣の席をぽんっと叩いた。
男たちが座っている席は四人掛けで、相席者はいないので確かに空いている。
葉月と同じように席を探している者は他にもいるのに、空いていた訳は明白だろう。
灰髪の青年が目に見えるほどの不機嫌なオーラを出しているからだ。
にこやかに笑う赤毛の男と、超絶に不機嫌な白に近い灰髪の青年。
髪の色以上にちぐはぐで、目立つ二人組だ。
この者たちに関わると厄介なことになりそうな予感がひしひしとする。
災難に自ら飛び込むような酔狂な人間になったつもりはない。
避けられる災難は避けるべきだ。
迂闊なことをすれば自分だけではなく、ジークや<テーラン>の団員も巻き込むことになる。
それは葉月の望むところではない。
葉月が断ろうと口を開こうとした瞬間、赤毛の男が灰髪の青年に話を振った。
「ハインツ、お前もいつまでもそんなツラしてないでお誘いしろよ。可愛いお嬢さんと一緒の方が飯もうまいだろ?」
葉月を無視してラセッタと呼ばれる具沢山のすいとんを食べていた青年は、男にうながされて渋々といった様子で、
「どうぞ」
と、空いている席を手で示した。
どうやら、赤毛の男の方がハインツ青年より立場が上らしい。
持っていた手提げが二つだから二人連れと推測したのだろうが、葉月をさりげなく断りにくい状況に持っていく手腕はたいしたものだ。
だが、葉月は『可愛いお嬢さん』などと平然と言える男は信用しないことにしている。
自分に向かって言うような男は、特に。
いくら断りにくい状況であろうと、空気に流されるような葉月ではない。
「いえ、お誘いはありがたいのですが、連れは二人いるんです。他の席をあたりますね。ありがとうございます」
おっとり笑って平然と言い切る。
そのあからさまな口実に、赤毛の男はへぇと言うように器用に片眉をあげて、笑った。
「それは残念。<テーラン>の副長の娘さんとなら飯も数倍うまく感じるだろうになぁ」
ぴくり。
赤毛の男の言葉を聞いた葉月の頬が一瞬ひきつった。
自身の警戒レベルが一気に跳ね上がる。
人目が多い、などは安心材料にはならない。
相手は二人。
しかも確実に自分よりも強い。
もちろん、斬って捨てるつもりならば、このような回りくどいことも葉月のことを知っていることも言わないだろう。
それだけに男たちの目的が見えず、いくつもの可能性が脳裏をよぎる。
いっそのこと、人違いのフリでもしようかと考え、すぐに打ち消した。
この男たちが<テーラン>に用があるならば、どの道会うことになるだろう。
別人を装っても後で面倒になるだけだ。
葉月はさりげなく羽織の裾を押さえながら、笑顔で尋ねた。
「もしかして、どこかでお会いしましたか?」
「いや、初対面だよ。でも君たちのことは知ってたからさぁ。ふわふわした灰髪のお嬢さんと浅黒い肌の少年の組み合わせはここいらでは珍しいだろ? だからピンときたんだ」
当たりみたいで良かったよ。と笑う男からは害意を感じない。
「あ、名前までは知らないんだけど、教えてもらっていい? 俺はイーリオ。こっちの白頭はハインツって言うんだ。よろしく!」
なんというか、ケヴィンと違った意味で軽薄な男だ。
するすると気安く懐(ふところ)に入り込んでくる。
ハインツも不機嫌な中に少しだけ驚きの混じった顔でイーリオに促されるまま、
「どうぞよろしく」
と、頭を軽く下げた。
そんな男たちの様子に、葉月は警戒を解かないまでも幾分かそのレベルを下げることにした。
こうして開けっぴろげに接触してくるような輩だ。
この男たちは敵ではないだろう。
少なくとも、今はまだ。
ならばいつまでもピリピリしているのは精神と体力の無駄でしかない。
厄介ごとを避けるつもりだったが、もう巻き込まれることは確定のようだ。
それならば腹をくくるしかないではないか。
こちらに取り入るつもりなら、逆に取り入ってやろう。
何も、剣を振り回すだけが戦いではない。
葉月には葉月の武器と戦い方がある。
白頭の方はいかにも若いが、赤毛の男は歯ごたえがありそうだ。
どうも<テーラン>の周りにはクセの強い連中ばかりが集まってくるらしい。
自身のことは完全に棚に上げ、葉月はたれ目がちな目元を緩ませて、ふわりと笑う。
「私は葉月と申します。つい勘違いしてしまったのですが、私の連れは一人でした。そちらの席に相席させて頂いてもよろしいでしょうか?」



ジークはやっと買うことが出来た二人分の焼き飯を両手に持ち、葉月を探した。
並んでいる人数はそう多くなかったが、ジークのように他の人の分も買い込む人が多く、思ったよりも時間がかかってしまったのだ。
この辺り一帯の屋台はどこも人気のようで、ジークと同じように屋台で買った食べ物を持ってうろついている者も多い。
ねえさんは無事に席を見つけられたのだろうか。変な輩に絡まれていなければいいが……。
もちろん、そのおっとりした外見とは裏腹に、性格も武術の腕も一筋縄ではいかないとは承知しているが、それでも心配なものは心配だ。
ジークはそんなことを考えながら、辺りを見回す。
居た。
机椅子が置かれている一帯の北端の四人掛けの席に葉月の姿を見つけ、眉をひそめた。
ジークは視力は良いのだが、未だに人の顔の見分けがあまりつかない。
どうもこの世界の人間は皆のっぺりした顔をしているので、老いているか若いか男か女かくらいしか分からない。
後は髪色や服、近くに寄れば声や匂いや気配で判別している。
それでも、あの赤白の男どものように目立つ髪色の輩ならば、一度見れば記憶に残る。
あれはジークの知らない人間だ。
その知らない男たちが葉月に馴れ馴れしく話しかけているようだ。
特に葉月の隣に座る赤頭の方は距離が近い。
ただのチンピラならば相手にしないはずの葉月も、男の話に相槌を打っているように見える。
はっきり言って、面白くない。
<テーラン>の人間ならまだしも、赤の他人が、しかもこの距離で判るほど“血の匂い”を纏(まと)った男が葉月の隣にいるのは我慢ならなかった。
「ねえさん、焼き飯買ってきました」
小走りに葉月の座る席までやって来たジークは、赤白頭たちを無視して葉月の前に焼き飯を差し出した。
「ありがとう」
にっこり笑って焼き飯を受け取った葉月に笑い返した後、ちらりと赤白頭の二人を睨む。
白頭はむっとした顔で睨み返して来たが、赤頭の方はにやりと余裕をにじませた笑みで返して来た。
この男は気に食わない。
ジークはほとんど本能的に懐に手を伸ばしかける。
それを制したのは、葉月の鋭い声だった。
「ジーク。無闇矢鱈に喧嘩を売るのは止めなさい。とりあえず座って」
「でも、」
「ジーク」
葉月がじっとジークの目を見て、その名を呼ぶ。
こういう時の葉月は、相手に有無を言わせない迫力がある。
相手がその命令に逆らうことなど微塵(みじん)も許さない、命令することに慣れきった者特有の傲慢さ。
葉月以外の者がこのような態度をとれば反感を覚えるが、相手が葉月だからしゅんとしてしまう。
ジークは懐から手を離し、のろのろと葉月の向かいの席に腰を下ろした。
葉月は『よく出来ました』というように満足気に笑った後、申し訳なさそうな顔をして赤白の二人に頭を下げる。
「弟が失礼を致しました。こちらが弟のジークです」
葉月に紹介され、ジークは無表情のまま頭を下げた。
本当ならば頭など下げたくはないが、しなければ葉月が困るだろう。
ジークの思考は清々しいまでに葉月が中心だ。
葉月の謝罪を受けた赤白頭の内、赤い方がひらひらと手を振って「いいって、いいって」と笑う。
「葉月ちゃんが謝ることないじゃん。ハインツが怖い顔してたのが悪いんだろ。悪いね、弟くん、こいつ無愛想で」
馴れ馴れしく“葉月ちゃん”などと呼ぶな、悪いのはお前のへらへらした面だ、と反論したかったジークだが、葉月に目で制され、「いえ」とつぶやく。
赤頭は仏頂面のジークに構わず、白頭の肩をぽんっと叩きながら自己紹介を始めた。
「俺はイーリオ、で、こっちがハインツ。よろしくな」
「……よろしく」
にっと笑うイーリオと、ジーク以上に仏頂面のハインツの二人に挨拶され、ジークも渋々と口を開いた。
「よろしくお願いします」
葉月はそんな様子を見ながら、おっとり笑って言う。
「イーリオさんとハインツさんは、<テーラン>(ウチ)に御用がおありなんですって。食べ終わったらご案内することになったから」
「そうそう。ここいらって入り組んでるよなぁ。全ッ然分からなくって。いやぁ、葉月ちゃんたちに会えて良かったよ。ホント助かった」
笑顔の葉月とイーリオ、仏頂面のジークとハインツ。
髪色も雰囲気もバラバラの四人は、周りの好奇の目を意に介せず、独特の空気を放ち続けていた。