混沌なき箱庭 6‐10

混沌なき箱庭 6‐10

 葉月は女将が頷くと「少々お待ちくださいね」と言いおいて、くるりと背を向けた。
マルゴと二言三言会話を交わした後、それまで浮かべていたおっとりとした笑みを消し、難しい表情(かお)でミケーレたちの元へと戻ってくる。
自分がこの場を収めたことを得意がる様子はない。
予想とは違う葉月の様子に、賞賛の言葉をかけようとしたキーファンが思わず口ごもる。
しかし、ミケーレの方は葉月の不機嫌さをもろともせず、ふにゃりと笑って葉月を迎えた。
この辺りは葉月という人間を知っているか知らないかの差というよりは、ミケーレのあえて空気読まないスキルが発動した結果である。
「嬢(いと)はん、見事な手際でしたなぁ」
「ありがとうございます。えぇ、まぁ、あぁいう手合いの対応をした経験がありますので……」
ミケーレの物言いに毒気を抜かれ、葉月は苦笑を浮かべた。
“向こう”では師岡流のトラブルシューターとして、いわゆるモンスターペアレンツやクレーマーの対応もしていた。
今までに相手にしてきた連中に比べれば、“言い聞かせて”分かるレベルの女将は可愛いものである。
しかし、解決どころか詳しい話も聞いていない状態では、事案自体が簡単かどうかは分からない。
いくつかの懸案事項の優先度を考えながら、葉月はこちらに戻ってきた用件を果たすために口を開いた。
「申し訳ありませんが、お二人にお願いしたいことがそれぞれ二点ほどあるんです。引き受けて頂けませんか?」
「「お願いしたいこと?」」
異口同音に鸚鵡(おうむ)返しする二人に、葉月が頷く。
「えぇ、キーファンさんには、ジェイル部長に『一度食堂に寄ってから応接室へお越し下さい』、ジークに『学問所へは一人で行って欲しい。先生には諸事情により休むと言っておいて』と伝えて頂きたいんですが……」
「あぁ、それくらいならお安いご用だ」
どんな難問をふっかけられるかと内心おののいていたキーファンは、にっと笑って請け負った。
朝食を食いっぱぐれた上、やらされることは使いっぱしりのような伝言だが、快く引き受けたのは面倒くさそうなことに巻き込まれている少女への同情が勝った結果である。
葉月は申し訳なさそうな顔で、すっと頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「あぁ、急ぐんだろ?」
と言って、キーファンは食堂を出ていった。
頭を上げた葉月は、見た目はむさ苦しいチンピラだが有能ないい人、とキーファンの印象を上方修正する。
多分に上から目線で失礼なのは、性分なので仕方がない。
それを表に出さないだけの分別はあるつもりだ。
「で、私は何をしたらえぇのですか?」
残されたミケーレは、どこか楽しげに問いかけた。
彼の方は騒動の前に朝食を済ませていたし、葉月がどのような采配をするか面白がっている節がある。
同じ部署である気安さもあって、葉月はキーファンに対した時に浮かべていた申し訳なさそうな表情は引っ込めた。
代わりに再び難しい表情を浮かべる。
「ミケーレさんはブライアン隊長に……もしブライアン隊長がいらっしゃらなければ……ケヴィン隊長に応接室までお越しくださいと伝えてください。その後は……」
葉月が声を抑えて二つ目の“お願い”を伝えると、ミケーレは一瞬驚いたように目を見張った。
「それは……いや、よう考えんでも必要なことやわ。このことも応接室に行かはる隊長はんには伝えておいた方がえぇですね?」
「そうですね、お願いします」
「まかせといてください」
何故か上機嫌で食堂を出ていくミケーレ。
葉月の隣にやってきたタイロンは、それを見て首を傾げた。
「お嬢、ミケーレのヤツになんて言ったんだ?」
「ちょっとしたお願いですよ。ミケーレさんが何で嬉しそうなのかは知りませんけど……タイロン」
呆れ混じりの声で名を呼ばれたタイロンは、ばつが悪そうな顔で頭をかく。
「えーあー、そのー、ありがとな。助かった」
「どういたしまして。逃げ回る場所はアレでしたけど、手を出さなかったのは正解ですよ。怪我でもさせていたら厄介でした」
葉月がそう言うと、タイロンは何故か得意げに答えた。
「まぁな。あの女将の噂はよぉく聞いてたかんな。面倒な女だって」
「その面倒な人に絡まれるようなことをしたのはタイロンでしょう?」
じろりと葉月に睨み上げられて、タイロンは首と両手を横に振り全力で否定する。
「いやいや、マジで女将がなんで因縁つけてきたのか、全ッ然分かんねぇんだって!」
「しぃっ。声を抑えてください。まったく。理由は応接室で隊長にお話くださいね」
「はい……」
大きい体を縮こませて全身でしょんぼりするタイロンに、葉月はふぅっとため息をついた。
これではどちらが指導役なのか分かったものではない。
体面をことさら気にする葉月だったが、タイロンとのやり取りはある意味<テーラン>内では有名になってしまっている為、今更取り繕うのも馬鹿らしい。
「とりあえず、私たちも応接室へ向かいましょう。こちらはおばちゃんが何とかしてくださるそうですし」
「お嬢も一緒に行ってくれるのか?」
ほっとしたように尋ねるタイロンに、葉月は肩をすくめてみせた。
「あの女将には女性の立ち会いが必要でしょう。それに……」
葉月はそう言いながら、食堂の奥へと視線を動かす。
そこではマルゴの号令の元、今まで壁の花と化していた団員たちが食堂を片付け始めていた。
本来ならば片付けなど使用人の仕事であるが、なすすべなく事態を見守るしかなかった団員たちへのマルゴの怒りは深い。
ここで逃げ出せば食堂への出入りを禁止されるのは必死である。
無料で食べられる美味しい料理を手放すには、団員たちの舌は肥え過ぎ、財布は薄過ぎた。
今後の食生活の為に黙々と片付けている団員たちを尻目に、女将は足を組みむすっとした顔で腕組みしている。
まるでここの主のような態度のデカさだ。
しかしその女将も葉月がにっこりと笑いかけると、肩をびくっとさせてさりげなく視線を逸らした。
それを愉快げに見やりながら、葉月は続きの言葉を紡ぐ。
「ここまで派手に暴れてくださった理由とやらに、私も興味があるものですから」
(やべぇ。つーか、怖ぇ!)
穏やかな笑みの中、すうっと細められた目は、獲物を見定める蛇の目。
ふふふと笑う葉月を見下ろして、タイロンは自身を厄介ごとに巻き込んだ張本人にも関わらず、思わず女将に同情していた。



戦列の<テーラン>は自警集団と名乗ってはいるが、新興地区の自治組織の下部組織でもなければ慈善事業でもない。
犯人の受け渡しなどで自治組織と契約を結んではいるが、辺りの商家等からみかじめ料を取っての地域の治安維持や用心棒の派遣、医療の提供などが主力の営利団体である。
その財務と総務を一手に引き受ける勘定部の部長、ジェイルはその童顔に青筋を浮かべながら応接室への道のりを歩いていた。
その迫力たるや凄まじく、すれ違う団員たちが恐れおののいて道を譲る程である。
力が入りすぎて手に持った帳簿にシワが寄っているが、今のジェイルにそれを気にしている余裕はなかった。
<テーラン>は副長の営業力と団員たちの実力でもってそこそこの稼ぎがあるが、食い扶持も多い分、内証が豊かとは言いがたい。
それこそ、様々なところを削りに削り、頭の血管が切れるのではないかというくらい考えぬいて回しているのである。
<テーラン>の財務を破綻させない為ならば首領のカーサさえ怒鳴り飛ばすし、備品の扱いを粗末にする者には相手が泣いて改心まで説教をし続ける。
その冷徹さと的確さと苛烈さとねちっこさで“鬼の勘定部長”の異名を取るジェイルは、乱暴なノックの後、中からの返答を待たずに応接室の扉を開け放った。
ガゴンッという音と扉が何かにぶつかった衝撃を覚えたが、構わず中に入る。
十畳ほどの室内には二組の長椅子(ソファ)が背の低い机を挟んで向かい合っている。
奥の長椅子に四十代後半とおぼしき化粧の濃い女性が座っているのを見て、ジェイルはずかずかと近づく。
そして、ばしんっという小気味いい音を立てて帳簿を机の上に広げて見せた。
「あんたが<リスティアータ>の女将か?」
広げた帳簿の上に右手を置きながら、ジェイルは中年女性を睨みつける。
「あぁ、そうだよ。あんたは誰だい? 挨拶もないなんて躾がなってない坊やだね」
侮りと嘲りの混じった目で見上げられ、ぴくり、とジェイルのこめかみが引きつった。
ジェイルは自身が童顔なことをとても気にしている。
背丈もあまり高くない為、三十を目前に控えた今でさえ、十五、六の小僧に間違えられることもしばしばだった。
が、腐っても戦列の<テーラン>の幹部の一人である。
女将のあからさまな挑発には乗らず、背筋を伸ばして見下ろすようにして答えた。
「あぁ、失礼した。戦列の<テーラン>の財務を預っているジェイルという者だ。これでもとうの昔に成人している。あんたには損害賠償の話があってやってきた」
「損害賠償?」
そう尋ねてきたのは、手前の長椅子にふんぞり返っている実行部第四隊長、ケヴィンだった。
ジェイルが説明の為に振り返ると、額を抑えてうずくまっているタイロンと、その脇に困った顔でしゃがんでいる葉月が目に入った。
「何やってんだ、お前ら」
呆れ混じりの声でジェイルがつぶやく。
「ジェイルがいきなり扉開けっからぶつけたんだよ!」
タイロンは涙目で額を抑えながら、それに抗議した。
が、
「阿呆。そんな所に立ってる方が悪いわ。それよりお前の石頭で扉に傷がついてないだろうな?」
「打ったの頭だぜ? その俺より扉の心配かよ。馬鹿になったらどうしてくれるんだ!?」
「お前の頭に詰まってるのは脳味噌じゃなくて筋肉だろ? それ以上馬鹿になりようがないから安心しろ。それよりも直すのに金がかかる扉の心配をするに決まってるだろうが」
けちょんけちょんに言われた上最後に鼻で笑われて、タイロンがうな垂れる。
「つーか、なんでジェイルが来るわけ?」
「あ、私がお呼びしました」
訝しげに尋ねるケヴィンに答えたのは葉月だった。
「タイロンから話を聞き出そうとした女将がタイロンを追いかけ回した際、食堂に少なくない損害が出ました。そちらはジェイル部長の管轄ですから」
「ま、そういうわけだ」
ジェイルはそう言いながら、開いた帳簿を指差す。
「皿が三十七枚、杯が三十三個、水差しが二個に、椅子が三脚、匙(さじ)が十五本、あと割れた破片で傷ついた机や床の修繕費込みで、八十二万一千とんで八リンガ、耳を揃えて払ってもらおうか?」
「なっ」
具体的に細かく算出された帳簿の金額を見て、女将が顔色を変えた。
「そんなに高いわけがっ」
「ある。それらを購入した時の代金はきっちり帳簿に残ってるし、その時から上昇した物価も考慮してある。床や机の修繕は別室を修繕した時のから出した概算だが、そう外れてはないはずだ。ま、その他慰謝料も含めてはあるがな。あぁ、踏み倒そうなんて考えるなよ? <テーラン>を敵に回すことの意味を知らないわけじゃないだろう?」
凄みのある笑みを浮かべ、ジェイルが女将の顔を覗き込む。
女将の顔は青を通り越して、土色に近かった。
散々でかい態度をとっていたが、やっと己の置かれた立場を理解したらしい。
<テーラン>の団員が個人的に女将の恨みを買っただけなら、悪い噂を立てられる団員の方が立場が悪いかも知れない。
だが、<テーラン>の本拠地で暴れたとなると、話は別だ。
団員個人ではなく、戦列の<テーラン>自体を敵に回したことになる。
<テーラン>は忌避されることも多いとはいえ、方々(ほうぼう)に顔が利く。
やろうと思えば娼館の一つや二つ、潰すことも不可能ではない。
ジェイルはそれを金で回避させてやろうと言っているのだ。
この辺りが警察のようなヤクザと葉月が判ずる所以である。
戦列の<テーラン>は慈善団体でも無償の有志団体でもない。
非常に微妙かつ、厄介な集団だった。
とはいえ、娼館を潰して何か利益になるわけではないので、ふっかけてはいるが十分に払える額をジェイルは提示している。
大人しく金を払うか、血の滲むような思いをして興した娼館を潰すか。
女将が選べる選択は、一つしか用意されていなかった。
「は、払わせて頂きます……」
俯(うつむ)き消えそうな小さな声でつぶやいた女将に、ジェイルは葉月も敵わない真っ黒な笑みを浮かべて言った。
「まいどあり」