混沌なき箱庭 6‐1

混沌なき箱庭 6‐1

 その日、イーリオは上機嫌で酒を呑んでいた。
酒場の喧騒はいつにも増してひどい。
それもそのハズで、今日はイーリオが所属する<ウクジェナ>警備隊第七区部隊の次席の結婚が決まった祝いで第七区部隊の貸切になっているのだ。
あちこちで、何度目か分からない乾杯の音頭が響き、主役の次席はべろんべろんに酔っ払って床に転がっている。
カード賭博に興じる者や、殴り合いの喧嘩になっている者もいた。
一部を除いて真面目と評判の部隊とて、一皮剥けばこの程度だ。
こうした祝いの席の酒代や弁償などは(余程被害が甚大でない限り)経費として落として良いことになっているので、ここぞとばかりに暴飲し暴れる者が出るのが警備隊の常である。
第七区部隊は店の壁や机を破壊しないだけ、お上品な部類に入るだろう。
イーリオがご機嫌なのも、タダ酒を思う存分呑めるからだ。
こういう機会はたまにしかないので、高い酒を隅の席に確保しぐいぐいいっていた。
稀に呑み比べを挑んでくる命知らずな隊員もいたが、全て返り討ちにしている。
イーリオの席の周りには、死屍累々とばかりに真っ赤な顔で沈んでいる隊員たちが転がっており、もう寄ってくる者はいないだろう。
そう思っていた矢先に、倒れている隊員たちをひょいひょいと跨いで、大柄で顔はイカツイが気の良さそうな男がやってきた。
角刈りの強面旦那こと、第七区部隊を預かる主席である。
「おー、イーリオー、呑んでるかぁ?」
主席は酒瓶を片手にイーリオの背中をバシバシ叩く。
「いってぇなぁ、もう。呑んでますよ。見りゃ判るっしょ」
乱立する酒瓶を指さしながら、ぐいっと杯を空ける。
「それは重畳(ちょうじょう)。良きかな良きかな」
ガハハハと笑い、主席はイーリオの隣の席にドカッと座って、イーリオの杯に酒を注ぐ。
それを一息にあおったイーリオは返杯の酒を注ぎながら、「何の用っすか?」と尋ねた。
ただ絡みに来ただけではないことは、なんとなく分かった。
根拠はと尋ねられれば勘としか答えようがないが、どうせまたロクでもないことを頼みに来たに決まっているのだ。
イーリオは第七区部隊において第三席という立場にある実力者であったが、同時に自他共に認めるこの部隊では例外の不真面目な男だった。
燃え盛る炎のような赤毛は、くすんだ灰髪が標準のこの国では特に目立つ。
悪目立ちすると言ってもいい。
その分、周囲の目も厳しいものになるが、イーリオは処罰されない程度の不真面さを補って余りある武の才を持っていた。
イーリオの適当さは、良く言えば柔軟性でもある。
業務に関しては真面目で杓子定規な隊員が多い中、通り一遍の対応では難しい事案などがイーリオに回ってくることが多いのだ。
主席はイーリオの問いかけに、にやりと笑った。
息は酒臭いが目は濁っていない。
イーリオがザルなら、主席はワクである。
さすがのイーリオも、両手の指の数に近い人数と呑み比べをした後だ。
泥酔はしていないが、常よりは判断が低下している。
このままでは主席に丸め込まれることは目に見えている。
が、上司の命令は絶対だ。
イーリオは露骨に嫌そうな顔をして、先を促した。
「で、なんすか?」
主席は素早く床に転がる男たちが本当に泥酔していることを確認してから、喧騒にかき消されないギリギリの声量で、こう言った。
「お前さ、ちょいと新の字に遊びに行かねぇか?」
「はぁ?」



イーリオは何言ってんだ、コイツと言う意味を込めて主席の顔を凝視した。
無礼には違いないが、このくらいで怒る主席ではない。
もちろんやり過ぎれば鉄拳制裁となるが、イーリオはこの辺りの境界線を読むのが上手い。
それに『何言ってんだ?』というのは、イーリオの偽らざる感想である。
新の字というのは、警備隊における新興地区の隠語だ。
新興地区は<ウクジェナ>の第七区と第八区の外郭にまたがって存在する非公式の街で、独自の自治組織と自警集団を持っている。
言わば、<ウクジェナ>という都市に寄生する別の街だ。
こういう事例は、<ウクジェナ>の新興地区以外では聞いたこともない。
都市や街は必要に応じて、美しく整然と配置されているものなのである。
非公式の街などとんでも無い。
犯罪者の受け渡しなど実務レベルではどうしても交流せざるを得ないが、<ウクジェナ>が新興地区を公に認めることは天地がひっくり返ってもないだろう。
実際に存在しているのに、存在しないことになっている街。
それが新興地区だ。
特にエリート意識の強い警備隊の隊員には、新興地区を丸無視するか見下すかしている連中が多かった。
その新興地区に、警備隊の一部隊を率いる主席が第三席に行けと言う。
イーリオがキナ臭いと思うのは、当たり前のことだった。
折角いい気持ちでいたのに、酔いもすっかり吹っ飛んだ。
厄介も厄介、特級の厄介の臭いがする。
が、警備隊において上司の命令は絶対なのである。
イーリオが主席の命を断るとするならば、主席よりも上の立場でなければならない。
しかし、悲しいかな、イーリオは同部隊の第三席。
もう、しっかりばっちり、主席の直属の部下なのである。
諸々の事情で警備隊を辞する気がないイーリオは、渋々と続きを促した。
「何でまた新の字に行かなきゃなんないんすか?」
主席は手酌で酒を注ぎながら、近所にお使いを頼むような気軽さでそれに答える。
「簡単に言やぁ、つなぎを作っておきてぇんだよ」
「つなぎ?」
「おう。実はな、新の字の自治組織経由で、<テーラン>が警備隊(ウチ)と情報提携したいって言って来ててな。もちろん公式には出来んから、七と八の裁量に任すってよ。要は責任逃れだな。けど、裏の書類には載っけてもらえるって話はつけた。都市間会合のこともあるし、八の方は渋ってるがやっといた方がいい気がしてなぁ。つーわけで、お前、ハインツ連れて<テーラン>に行って、とりあえずは顔売ってこい」
「あー、なんとなく話は見えてきました。この間の事件も対岸の火事とばかりは言ってらんないっすよね。しっかし、つなぎを作るのは分かりましたけど、なんでまた連れてくのがハインツなんすか? おそらくそういうの一番不向きでしょ? アイツ」
イーリオは話題の後輩の姿を店内で探した。
他の隊員に呑まされたのだろう。
白に近い灰髪の青年はカウンターに突っ伏してピクリとも動かない。
今はあの様であるが、ハインツは部隊一融通が利かない生真面目人間として有名である。
まだ若いことも要因の一つだろう。
若いと言ってもイーリオの二つ下だから、今年で十九になったはずだ。
剣の腕は悪くはないし、事務処理能力もある。
しかし、その融通の利かなさが足を引っ張って、未だ席次なしだった。
第七区部隊は百名ほどの組織で実際は更に何組かに別れているが、部隊の上位三十名は席次が与えられる。
席次は年に一回、文武共に試されて与えられるもの。
完全な実力主義なのである。
イーリオがハインツはこの任務に向いていないと思うのは、先月行われた席次決めの際の失態が記憶に新しいからだ。
ハインツは最終面接で試験官に袖の下を要求され、激昂して部屋を出てってしまったのである。
実はこれも試験の内で、どのような問答を交わすかが評価対象だった。
正直言って、激昂して部屋を出ていってしまうのは倫理的には正しいかも知れないが、対応としては下策だ。
実際、ハインツは最終面接で落ちた。
あの性格が治らない限り、席次は無理。
それが部隊内の共通認識であった。



イーリオはちびちびと酒を呑みながら、肩をすくめてみせる。
「つなぎを作るには歓待やら付け届けやら、そういったものが不可欠でしょ。それらに嫌悪感を持つハインツを連れて行くのはまずいんじゃないすかね」
「まぁ、何だ、後輩指導ってヤツだよ。ハインツは能力はあるんだ。あの杓子定規なトコが治れば使えるだろ? 新の字に行くのも、<テーラン>とのつなぎを作るのも、あいつにはいい経験になる。お前の不真面目さを見習って、ちったぁ融通ってモンを覚えてもらわんといかん。正直、人手はいくらあっても足りないんだ。使えるようになってもらわんと困るんだよ」
な、頼む、と言いながら、主席がイーリオの杯に酒を注ぐ。
「それってお願いっすか。命令っすか」
イーリオが隣の主席の顔をちらりと見る。
主席は真面目くさった顔で言い切った。
「命令に決まってんだろ」
「ですよねー」
イーリオはおざなりな返事をし、杯の酒を一気に飲み干した。
主席に注がれた酒は美味いが度が高い。
いくらイーリオでもそう何杯も一気にあおれば酔いが回る。
だが、面倒くさい任務と面倒くさい後輩を押し付けられて、呑まずにはいられない気分だった。
吐くまで呑むぞ、と決意して新たな酒瓶の栓を抜く。
主席は「じゃ、よろしくな」と言って裸踊りをしている集団の方へと行ってしまった。
イーリオは杯に注ぐのも面倒くさいとばかりに、瓶から直接呑み出す。



翌日、<ウクジェナ>警備隊第七区部隊の面々がぐったりしながら仕事をこなしている様子が各所で目撃された。
いつもならピンピンしている第三席までが二日酔いに苦しんでいるという。
ただ一人、主席だけがいつも通りガハハハと笑いながら、新人をしごいているようだった。