混沌なき箱庭 5‐9

混沌なき箱庭 5‐9

 戦列の<テーラン>は、六つの部署から成り立つ組織である。
首領のカーサを補佐する首領直属部隊、副長のブノワの手足たる副長直属部隊、会計および総務を担当する勘定部、団員や周囲の住人の診察・治療を担う医療部、番号付き街や他都市の情報収集を行う諜報部、そして治安維持や護衛などを請け負う実行部がある。
中でも実行部はもっとも人数が多く、更に四つの部隊に分けられていた。
実行部には部長はおらず、それぞれの隊長が采配をふるうが、番号が若い方の隊長が偉いという序列が存在する。
首領、副長、各部の部長、実行部の四人の隊長に参謀を加えた十人がいわゆる幹部と呼ばれる人々だった。
今、葉月の目の前にいるのは、そのうちの二人だ。
実行部第三隊長のオズワルドと、同じく第四隊長のケヴィン。
葉月をここへ呼んだのはケヴィンであるが、オズワルドは帰れという。
立場でいえば、オズワルドの方が上だ。
しかし、それで大人しく帰るような葉月ではない。
オズワルドは少々小柄な葉月よりもかなり背が高く、体もがっちりしている。
体格が良いだけならばタイロンとてそうだが、身にまとう空気はまったくの正反対だった。
気のいい兄ちゃん風のタイロンに対して、オズワルドはマッチョ思考の堅物という印象を葉月は持っている。
見た目の威圧感ではトーリスを抜いて<テーラン>一と言われ、目が合っただけで泣き出した子供もいるという噂だ。
一言で言えば、見た目が怖いのである。
鋭すぎる眼光に、短く刈り込んだ黒に近い灰の髪や鷲鼻が特にそれを増大させているとの見方もあるが、やはり性格もかなりの割合を占める要因だろう。
可愛らしいものは軟弱とこき下ろし、強さこそ男の証と公言するような男だ。
その強さや判断力は本物なので、割と男性には憧れられるようだが、女子供受けはまったくもってしない。
葉月やジークの入団を快く思っていない人々の筆頭であり、おとなしく見える見た目も女であることも武器の一つと考える葉月とは、ケヴィン以上に相性が悪かった。



「帰れ、と言ったのが聞こえなかったのか?」
不機嫌丸だしで見下ろすオズワルド。
そのひと睨みで屈強な盗賊も震え上がるというが、葉月は困ったように笑ってその目を見返した。
「呼ばれて参りましたのに、来て早々に帰るわけにもいきません」
「俺は呼んでない」
「はい。ケヴィン隊長に呼ばれましたので」
そう答えながら、葉月はおっとりと笑う。
もちろん、ワザとだ。
オズワルドのこめかみがピクピクしているが、葉月は笑みを崩さなかった。
世の中には読むべき空気と、読まなくていい空気と、読んだ上で丸めてゴミ箱に投げ捨ててしまえな空気があるが、今はその三番目だ。
オズワルドの後ろでハラハラしているオズワルドの部下たちには悪いが、引く気はない。
「お父様からも実行部から要請が来ているので協力するようにと言いつかっております。若輩かつ非力な身ですが、精いっぱい頑張らせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します」
葉月はそう言って、すっと頭を下げた。
そして上げた顔には相手の警戒心を解くような笑みを浮かべている。
オズワルドはその如才ない所作に口の中で舌打ちし、ぎりっとケヴィンを睨みつけた。
「どういうつもりだ」
恫喝(どうかつ)に近い問いかけに、ケヴィンはにたにた笑いながら答える。
「どうゆーもこうゆーも、お嬢様だってこの事件の捜査に一役かってんだぜ? ついでに知恵も絞ってもらおうってんじゃねーか」
「そもそも、そこからおかしい! なぜ女子供が、しかもその両方に当てはまるヤツが捜査に加わってるんだ!」
見下され、おまけに指までさされて面白くないが、葉月は口を挟まずに二人の隊長のやりとりを眺める。
「しゃーねーだろ。おとりやれるようなのは、諜報部のオカマかお嬢様くれーだし。他はむさくるしいのばっかだろ。特にあんたのトコとか」
「むさくるしいとはなんだ。むさくるしいとは! それを言うならお前の所はチャラチャラした輩ばかりだろうが!」
「むさくるしいくて暑苦しいのよりはマシだと思うぜ?」
口論はどんどんヒートアップしていた。
いや、ヒートアップしていたのは主にオズワルドで、ケヴィンはのらりくらりとかわす、というよりも火に油を注いでいる。
責任者と副責任者がこんなのでよいのだろうか、と思いながら周りを見回すが、二人の部下の顔に浮かんでいるのは『あー、またやってら』という見守るような生温かい笑みだった。
どうやらいつものことらしい。
第三隊長と第四隊長は見た目から考え方まで正反対で、あまり相性がよくないと聞いていたが、そこまで最悪でもないようだ。
そもそも、幹部同士の反目の度が過ぎれば上手くいくはずがなく、そんな状態を放っておくようなブノワではないだろう。
うがった見方をすれば、ケヴィンがやつ辺りと誤魔化しついでに、オズワルドのガス抜きをしている、といったところだろうか。
当事者であった葉月はおいてけぼりだ。
オズワルドとしては葉月と話しても埒があかないと思ったのだろう。
しかしその矛先をケヴィンに向けたところで、埒があくわけがない。
口論をしながらも、オズワルドに見えないところで、ケヴィンがちょいちょいと奥を指さす。
なし崩しの内に混ざっておけ、ということだろう。
葉月としてもその提案に異論はない。
ケヴィンとて気に食わない男ではあるが、正攻法以外を使いこなす外道っぷりは、頑固で融通の利かない石頭よりも断然葉月好みである。
顔も良いし、これで自分やジークに突っかかってこなければ、と葉月は胸中で嘆息しながら部屋の奥へと足を向けた。



捜査本部に使用している部屋は、ほぼ小中学校の教室と同じくらいの広さだった。
入口の側には六脚の長机が二列で等間隔に配置されており、奥にはダイニングテーブルのような八人掛けほどの大きな机が置いてある。
部屋にいるのは十人程だ。
出払っている者もいるが、ほとんどの面々は第三隊と第四隊の男たちだった。
葉月は「お疲れ様です」と会釈しながら、奥の机まで進む。
反応は様々だが、やはり上の影響か、第三より第四の者たちの方が気軽に応じてくれる。
微妙な立場にある葉月とジークだが、相手がどういう態度であろうと愛想の良い対応を心掛けている結果、あからさまな悪感情をぶつけてくる相手は少なくなってきた。
ただ、その少数派を懐柔するには、だいぶ骨が折れそうではある。
奥の机まで近づくと、椅子に座ったタイロンが片手をあげて葉月を迎えた。
「よう。お嬢、災難だったな」
タイロンがにかっと笑いながら労いの言葉をかけると、葉月は苦笑で応じた。
「まぁ、オズワルド隊長のお気持ちも分かりますよ」
葉月とて、子供が殺人事件に積極的に関わりを持つのには感心しないだろう。
いくら葉月たちの中身がとうに二十歳を越しているとはいえ、それは相手に知られてはいけないことだ。
葉月は苦笑を引っ込めて、タイロンの隣に座る人物に顔を向ける。
「お疲れ様です。ヴィリーさん」
「お疲れ。お嬢は本当、見た目と違って神経太いよね。あのオズワルドさんに睨まれて笑ってられるって相当だよ」
言葉は辛辣だが、ヴィリーの顔に浮かんでいるのは毒のない笑みだ。
これで本人は褒めているつもりなのだ。
そして葉月も怒ったりはしない。
<テーラン>の中では無害でおっとりしたお嬢様を“分かりやすく”装っている。
嫌みにならないさじ加減というのは難しいが、したたかさを滲(にじ)ませなければ、本当に“ただのお嬢様”になってしまう。
ヴィリーの言葉は、葉月にとっても正しく褒め言葉なのである。
だから葉月は若き参謀の言葉に笑って答えた。
「本気で殺されそうになったら怖いですけど、殺気とかありませんでしたから」
「あぁ、そうなったら俺も全力で逃げるね」
ヴィリーが肩をすくめると、タイロンも笑って言う。
「俺もそれは微妙に遠慮してぇな」
タイロンの発言に、葉月とヴィリーはそのような事態を想像し、顔をひきつらせた。
「タイロンとオズワルド隊長が本気でぶつかるのなら、少なくとも見える範囲からは離れますね」
「俺なら隣街まで行くね。可及的速やかに」
「辺り一帯廃墟になるんじゃないですか」
「人災だよね。まさしく」
二人にじと目で見られたタイロンは慌てて口を開いた。
「遠慮してぇって言ってんじゃんか! つーか想像だろ? それ! んな化けモンじゃねぇだろ、俺もオズワルドの兄貴も!」
椅子から腰を浮かして抗議するタイロンに、ヴィリーが笑ってたしなめる。
「冗談じゃん。本気にすんなよ」
「まぁまぁ、落ち着いてください。タイロン」
いけないと分かりつつ、ついタイロンはからかいたくなる。
それに誇張はしたが、あながち間違いでもない。
武力だけで言えば、タイロンは間違いなく隊長クラスだ。
<テーラン>の実行部の隊長クラスというと、他の団員よりも圧倒的に強い。
盗賊十人程度なら、一人であっさり片付けられるくらいに強い。
平団員からすれば、それこそ化け物みたいな強さなのだ。
そんな実力を持つ二人が本気で殺し合ったら……。
しかも共に静よりも動を旨とする戦い方をする二人だ。
想像するだけで恐ろしい。
「ところで、ヴィリーさんも実行部から協力要請があったんですか?」
未だ納得していない様子のタイロンを放置し、葉月が問いかける。
ヴィリーは参謀という役職についているが、どちらかといえば首領付きのようなものだった。
首領補佐は自由奔放過ぎる首領の補佐はすれど、歯止めにはならない。
なる気もないようだ。
ブノワも当人が忙し過ぎてカーサにばかり構っているわけにもいかない。
そこで白羽の矢が立ったのが、ヴィリーというわけだ。
「参謀とか偉そうな肩書きだけど、実際は遊軍みたいなもんだから」
腕っ節にはあんまり自信ないんだけどね、とヴィリーはうそぶく。
実際、つわもの揃いの<テーラン>の中では、ヴィリーは線が細い方だ。
が、頭の回転が速く、弁も立つ。
武力に偏りがちな<テーラン>では貴重な頭脳派だった。
「まぁ、何にせよ、この事件は速やかに解決しなきゃね」
ヴィリーが大机に広げられた地図に目をやる。
模造紙ほどの大きさの新興地区の地図だ。
地図上には点々と赤と黒の印が記されている。
その内の赤の一点の場所に合点がいった葉月はヴィリーに尋ねる。
「赤は遺体発見現場ですか?」
「そうだよ。黒は誘拐現場と思われる場所。目撃証言があったトコとかね」
「目撃者はいないという話でしたけれど、あるんですか?」
葉月は軽く驚いたように地図から顔をあげる。
ヴィリーはうんざりした顔で机に頬杖をつきながら答えた。
「あるよ。真偽問わずに結構ね。裏取るのが大変なくらい。噂は相当尾ひれがついてるようだけど」
「へぇ、やはりそういうものなんですね」
葉月はそう言いながら、地図に目を戻す。
そして、脳内で赤の点だけを線で結んでみた。
新しい赤の印を含めて八つを、いくつかのパターンで。
一見バラバラ、無造作に見える点だが……。
あれこれ考えている内に、何故か三週間ほど前に聞いた単語がふと浮かんできた。
その言葉と地図上の赤い点が結びつき、唐突に理解した。
途端に背筋に悪寒が走る。
そして即座にこの動揺の理由を知られてはならないと悟った。
だから葉月は笑みを浮かべた。
いつものおっとりとした邪気のない笑みとは違う、十三の少女には似つかわしくない凄みのある笑みを。
そしてじゃれ合いを止めて近づいて来る二人の隊長を振り返り、言い放った。
「犯人の目星はとっくについていたのですね」
と。