混沌なき箱庭 5‐5

混沌なき箱庭 5‐5

 じろりと冷たい視線に射抜かれて、三人は飛び上がるようにして立ちあがった。
皆一様にばつが悪い顔をしてうなだれている。
先生にいたずらを叱られた生徒のようだが、ケヴィンの言うことはもっともだった。
なにせ、ここは連続殺人の犠牲者と思われる女性の遺体発見現場である。
ふざけて良い場所ではない。
「申し訳ございませんでした」
葉月は腕を組んで見下げたと目で雄弁に語るケヴィンに頭を下げ、布の掛けられた遺体にも深く頭を下げた。
タイロンとアンジェリカも同じように頭を下げる。
頭を上げた葉月の顔は、灯りに照らされている分を差し引いても真っ赤になっていた。
タイロンは言っては何だがこういう性格で、アンジェリカはまだ若い。
三人の中で立場は一番下である葉月だが、中身はタイロンやアンジェリカよりだいぶ上だ。
本来なら二人をさりげなく諌(いさ)めるべきだったのに、一緒になって騒いでしまうとは何という失態だろうか。
葉月はどこか浮かれていた自分を戒(いまし)めた。
実際、葉月は『子供』という立場に酔っていたのだ。
元の世界では政界や経済界にも顔が利く師岡流宗家の次期当主補佐として、重圧に耐える生活をしていた。
次期当主である兄は結婚し子供も居たので、家族からは葉月に対して結婚や出産に対してのプレッシャーはなかったが、親族や道場関係者からは二十八で独身、しかも次期当主補佐という地位にある葉月はお節介な忠告をされることもしばしばだった。
この世界でも陰口を叩く者はいるが、実際にブノワの娘だのというのは嘘っぱちなのだからたいしたダメージはない。
これが一人きりならば堪えたかも知れないが、ジークという『弟』が一緒なのだ。
それにジークは子供扱いされることに内心焦れているようだが、葉月は意外にも子供扱いがそんなには嫌ではない。
面倒なことも多いが、何かと気を配ってもらえて人に頼れるというのは、実に甘美なことだった。
甘えなど、元の世界では久しく忘れていた感情だ。
もちろん、この世界だって甘くはない。
けれど、この世界にも『子供は守るもの』という概念がある。
例外も山のようにあるし、当の本人にしたら疎外や差別と感じるものかも知れないが、確かにそれは子供の特権なのだ。
葉月はその心地よさに酔っていた。
子供扱いされて、本当の『子供』のような気分になりかけていた。
環境への適合ともいえるかも知れないが、甘えるだけでは駄目だということを葉月は知っていたはずなのに……。
だからこそ、この失態が心の底から恥ずかしい。
子供扱いを逆手にとるのは構わない。
だが、本当の『子供』になってしまっては、己の価値を自ら捨てるようなもの。
自分に対する裏切りに他ならない。
それは『師岡葉月』としての二十八年をなかったことにするということだ。
あの二十八年がなければ、今の葉月はいなかった。
それだけは、決して忘れたくはない。
『どのような状況であれ、己を見失うようなことはあってはならない。師岡の教えを忘れるな』
厳しさでは親族内でも随一だった曾祖父の鋭い叱責が聞こえた気がした。
まったく、その通りだ。
簡単に堕落するような『姉』では、ジークにも申し訳がないし、拾ってくれたカーサにも、『娘』にしてくれたブノワにも顔向けが出来ない。
『魂にも脂肪がつくものだ』とは何で知った言葉だっただろうか。
今の自分はまさにそれだ。
余分で無駄な脂肪はそぎ落とす。
それに気付かせてくれたのがこの軽薄な男であるというのは少々癪だが、感謝しなければならないだろう。
葉月は目礼でもって、ケヴィンに感謝の意を示した。



ケヴィンは葉月と目が合うと、軽く驚いたように目を見張った。
葉月の変化に気付いたからだ。
最初は面白そうなお嬢様だと思っていたが、最近は見た目だけではなく中身まで平和ボケしているように見えた。
弟の方はずっとギラギラしていて面白さを失わないというのに、姉弟でなんという違いだろうか。
挙句の果てに現場で馬鹿とオカマと一緒にこの体たらくだ。
ケヴィンの中で葉月の価値がほぼなくなりかけていたが、この目を見て少し意見を保留することにした。
いい目だった。
底の見えない静かな水面のように、恐ろしさと一緒に惹き込まれるような魅力が同居する、そんな目だ。
その底知れなさが浮かんだのは一瞬で、今はまたぽやんとしたたれ目にしか見えないが、先ほどまでの惰弱でゆるみ切った顔とは、少し違う。
一見、同じように見えるが……これはまた、面白いヤツになるかも知れない。
楽しみだ。
ケヴィンはその端正な顔にぞくりとするような薄ら笑いを浮かべ、口を開いた。
「まぁ、分かればいいさ。お遊びが終わったらお仕事の時間だ。……アンジェリカ」
「は、はぁい」
ケヴィンに名を呼ばれたアンジェリカは、恐る恐るという様子で返事をした。
どうやら先ほど怒られたのが相当こたえているようだ。
しかしケヴィンはそのようなことは歯牙にもかけず、指示を出す。
諜報部所属のアンジェリカであるが、今は葉月やタイロンと同様に実行部に貸し出され、ケヴィンの指揮下にあった。
「お前は第一発見者から情報を聞き出せ。聞き取りは諜報部の得意技だろ。それにむさくるしいのよりはお前の方が話しやすいだろうさ」
「はい。了解です」
さすがというか何というか、アンジェリカは指示を聞いて気持ちを切り替え、いつもの調子を取り戻していた。
しかも先ほどの葉月の声が低いという指摘を受けてか、1オクターブ高い声だ。
葉月は声まで変えられると本当に女の子にしか思えないと感心したが、ケヴィンはうんざりしたようにしっしっと手を振る。
「気色わりぃ声だしてねーでさっさと行け」
「はぁい」
アンジェリカは怒られない内にと、第一発見者がいるという民家へ小走りで向かって行った。
「さぁて、残るお前らの仕事だが……」
そこで言葉を止め、ケヴィンにしては珍しく考えあぐねたように大量の血を吸いこんだ地面へと目を向けた。
つまらなそうな顔をしているが、何を考えているか判らない。
「……お嬢様、一連の事件をどう思う?」
「この短期間に少々犠牲者が多過ぎるような気がします」
地面に目を向けたまま尋ねるケヴィンに、葉月は即答した。
約四週間の間に遺体が発見された犠牲者がこれで八人目。行方不明者は推定で二十人以上。
犠牲者は遺体の損傷が激しい為、科学捜査の発達していないこの世界では身元の特定すら困難な状態だ。
しかし手口が滅多刺しという点で共通している為、同一犯の犯行と考えられているが、確証はない。
そして行方不明者の人数も、ただ単に家出しただけの者も入っている可能性がある。
「あー、っと、犯人は一人じゃねぇってことか?」
タイロンが首を傾げながら問う。
「それも考えなければならないことですけど、それとは別に同一ではなく複数の事件が同一犯の犯行に見えている可能性があるのでは、と」
葉月はタイロンの言葉に補足しつつ、ケヴィンの方を伺った。
ケヴィンは満足げににぃっと笑う。
「その可能性は十分あるだろーな。お嬢様、今までの事件情報を洗うから手伝え。脳味噌まで筋肉で出来てる輩が多くて分析の手が足りねーんだ」
「はい。承知致しました。ですが、私はまだ文字が完璧に読めるわけではないので……」
葉月は困ったように語尾を濁す。
学問所での学習の他、ブノワに買ってもらった絵本等で表音文字はほぼマスターしていたが、表意文字の方は種類も多くてまだまだ覚束ない。
「その辺りはタイロンが補えばいいだろ。どうせホシの確保ン時くらいしか出番ねーし。なぁ、タイロン」
首を巡らしケヴィンが話を振ると、タイロンはにかっと笑い胸を叩いた。
「おう。任せとけよ、お嬢」
「え、えぇ、お願いします」
葉月は内心、そこは怒るところではないのかと思ったが、本人が気にしていなさそうなので流すことにした。
細かいことを気にしない男、タイロン。
それが彼の短所であり、長所でもあったりする。