混沌なき箱庭 5‐4

混沌なき箱庭 5‐4

 葉月はタイロンの言葉に目を瞬(またた)かせ、むくれるアンジェリカの方を見やる。
この可愛らしい少女が男なのかと自分の目と耳の両方を疑いながら、全身をざっと見回した。
街灯はないが、現場には大量の灯りが灯されていたし、今夜は月も出ている。
葉月は鳥目ではなかったので、アンジェリカの顔や体つきもだいたい把握出来た。
しかし、どこからどう見ても可憐な少女にしか見えない。
こちらの女性の服は体の線が出ないものとはいえ、ただ女の服を着ているだけでは一目で女装だとバレる。
よくテレビで見た、いわゆるニューハーフタレントのような、女を意識し過ぎた過剰な女らしさとも違う。
とてつもなく可愛いという点では普通の少女とはいえないが、アンジェリカは女の目で見ても普通に『同性』と認識してしまうレベルだ。
葉月にまじまじと見られ、アンジェリカは「はぁ」と大きいため息をついた。
億劫そうに、その長い髪のかつらをとる。
その下から現れた自毛は肩につくかつかないか、といったくらいの長さだった。
「なんで早々にバラしちゃうかなぁ、タイロンは。こんなに早くバラしちゃったらつまんないじゃん」
ぶぅぶぅ文句を言うアンジェリカは、かつらをとっても可愛かった。
ただ、先ほどまでとはがらりと印象が変わっている。
さっきまでのアンジェリカは『可愛い』という記号が具現化した存在だった。
すこぶる可愛いが、純粋に『可愛い』ものだけ集めた、現実味のない偶像のようなものだ。
どこかお人形めいた人工的な可愛さを感じたのは、アンジェリカが『可愛い』を演じていたからに他ならない。
それでも、男だとは露ほども思わせないのは流石というべきだろうか。
今のアンジェリカは確かに変わらず可愛いが、もっと人間味にあふれた、おちゃめというか、やんちゃというか、大変親しみやすい雰囲気だ。
アンジェリカはわくわくした顔で、じっと自分を見ている葉月に笑いかける。
「ね? 葉月、驚いた? オレが男で」
「まぁ、多少は驚きましたけど……」
いたずらっ子のように尋ねるアンジェリカに、葉月は苦笑した。
ここまで印象が違うと、信じられないと驚いたり騙されたと怒ったりするよりも、すごいものを見たという変な感動がある。
まさか異世界でリアル男の娘(こ)に遭遇するとは思わなかった。
「まさに、こんなに可愛い子が女の子のはずがないってことでしょうか」
「へ?」
葉月の言葉に、アンジェリカがきょとんとした顔をする。
「あー。って、あれ? 可愛いから女の子じゃない? 男の子じゃない? んー」
タイロンが言葉の意味が分からずに頭を抱えてうなる。
そんな二人の様子を見て、葉月は己のセリフのチョイスを間違えたことを悟った。
「ごめんなさい。タイロン、アンジェリカ。調子に乗りました。言葉遊びみたいなものです。忘れてくださいね」
うずくまって頭を抱えているタイロンを立ち上がるように促し、葉月は謝った。
異世界人に日本のネットスラングが通用するとは思わなかったが、ここまで悩まれるとも思っていなかった。
これは『かわいいは正義』とか言える雰囲気ではない。
おちゃめにはおちゃめで返そうと思い、しかしこちらのエスプリが利いたジョークを習得出来ていない状況で、あまりにぴったりなネットスラングを思い出して口にしてみたが、どうやら失敗だったようだ。
まだまだ修行が必要だなぁ、と葉月は小声で独り言(ご)ちたが、気持ちを入れ替えておっとりとした笑みを浮かべる。
「それにしても、私よりアンジェリカの方が断然可愛いですね。なんというか、こう、女としては悔しがるべきなんでしょうけど、嫉妬を超越して可愛いと思う感覚を久しぶりに感じました」
ごくごく自然にアンジェリカを受け入れている葉月に、アンジェリカは目を丸くし、タイロンは顔を引きつらせ気味に尋ねる。
「なぁ、お嬢。気持ち悪くねぇのか?」
「はい? 気持ち悪いって、何がですか?」
「何って、男が女の格好してるんだぞ? 名前まで女の名前を名乗って女の振りしてるんだぞ?」
「え? そりゃあ、タイロンみたいな体格の良い男性が女装していたら似合わなくて気持ち悪いと思ってしまいますけど、アンジェリカは可愛いですよ?」
「いや、確かに可愛いのは認めるけどよ。……男だぞ?」
畳みかけるように尋ねるタイロンに、この世界ではよっぽど女装は異質なのかと葉月の方が面食らった。
あくまでも世間知らずという風を装って、葉月は首を傾げる。
「えぇと、女装って、そこまで非難されることでしたっけ?」
「んー、まぁ、一般的ではないよね」
葉月の問いに答えたのは、苦笑気味のアンジェリカだ。
「葉月ほどあっさり受け入れる人は少ないけど、タイロンほど拒否反応するのも珍しいかな。まぁ、タイロンはオレが男だとは知らずに惚れかけてたらしいから、その反動だろうけど」
「ばっ、馬鹿! 何バラしてんだよ!? おめぇのそういうところが大嫌いなんだ!」
顔を真っ赤にしてタイロンが怒鳴る。
葉月はその光景を見て、「あぁ」と納得した。
「それはショックでしょうね」



事実を知った時のタイロンの心境は想像に難くない。
葉月が男だと仮定して、好きになった相手が実は男でした、と言われたら多分ショックでひきこもる。
恋だの愛だのに性別なんて関係ない! という所まで達観出来れば違うのだろうが、その域まで達せられる人はどのくらいいるのだろう。
少なくとも、タイロンはそこまで行けなかったようだ。
葉月に同情めいた視線で見つめられたタイロンは、不貞腐れたようにしゃがみ込み、地面に向かってぶつぶつ呟いている。
どうやら当時の恥ずかしい思い出がフラッシュバックしているようだ。
タイロンの周りだけ、夜の闇が一段と濃くなり、じめじめとした重苦しい空気が漂っているように見える。
可哀想だけど、ちょっと可愛いなぁ、と葉月がひどいことを考えていると、かつらをかぶり直したアンジェリカと目が合った。
お互いの顔に浮かんでいるのは苦笑だ。
二人してタイロンをいじめ過ぎたと反省する。
怒らせると怖いタイロンだが、いじると楽しいのだ。
何せ反応がいい。
タイロンは葉月の指導役ではあるが、中身の年齢は葉月の方が上だし、アンジェリカにしてもタイロンは先輩格にあたるのだが、『男である自分に惚れた過去』という弱みを握っている。
戦闘の時は鬼神のごとしと恐れられ、人を動物に例えるくせのあるカーサにして“虎”と言わしめるタイロンであるが、普段はその外見通り気のいい兄ちゃんなのである。
本人も堅苦しく接せられるより、砕けた付き合いの方が楽だという。
もちろん、ものには限度というものがあるが、葉月にしてもアンジェリカにしても、その辺りは心得ている。
二人とも、平時の虎にじゃれつく勇気こそあれ、そのしっぽを思いきり踏んづけて怒らせる勇気はない。
そもそもそれは勇気などではなく、無謀というものであるが。
「ごめんね、タイロン。ちょっと調子に乗り過ぎちゃった」
しゃがみ込んでいじけるタイロンの右横にアンジェリカが膝をつき、殊勝な顔をして謝る。
「私も。ごめんなさい、タイロン。口が過ぎました」
葉月もアンジェリカとは反対側にしゃがんで頭を下げる。
が、タイロンはぶつぶつと呟き、顔をあげようともせず、膝をかかえている。
「どうせ、俺は男と女の見分けもつかない間抜けですよーだ」
「いやいや、タイロン。間抜けとまでは言ってないって。タイロンは間抜けなんかじゃないって」
「そうですよ、タイロン。それにアンジェリカを男性と見抜くのは難しいですよ。声だってちょっと低めかな、と思いますけど、声の低めの女性なんてたくさんいますし、女の私だって言われなければ気付きませんでしたもの。仕草や歩き方も違和感やわざとらしさがありませんでしたし、アンジェリカの女装技術は完璧です。それを見抜けというのはかなり難しいことですよ」
「そうそう。オレってばマジで可愛いから、オレに惚れた男はタイロンだけじゃないしさ」
「うおおおおおおおおおおおおおおお、惚れたって言うなぁ!」
また恥ずかしい過去を思い出し、それを振り切るようにタイロンが地面に頭を打ち付け始めた。
「アンジェリカ……」
「うっ、ごめん。禁句だった……」
じとりとした目で葉月ににらまれ、アンジェリカがうなだれる。
ますますよく分からない状態になった三人の場違いな喜劇を終わらせたのは、頭上から降って来たひどく冷たい一言だった。



「なぁ、お前ら。殺人現場で何遊んじゃってんの?」
ぴたりと動きを止めた葉月、タイロン、アンジェリカの三人は、聞き覚えのある声におそるおそる顔を上げる。
果たして、そこには氷よりもなお冷たい目をした<戦列のテーラン>実行部第四隊隊長であるケヴィンが立っていた。