混沌なき箱庭 5‐3

混沌なき箱庭 5‐3

 とりあえず、捕縛した露出狂を本拠地に連れていくことになった。
本拠地の西の離れの地下には牢がある。
<テーラン>が本拠地とした時に増設したのではなく、もともとあったものだ。
前の持ち主の商人がその牢をなんの為に使用していたのか誰も知らないが、どうせろくなものではないだろう。
世の中には知らなくてよいことがごまんとある。
それはそれでおいておくとして、地下牢を本拠地に持つ<テーラン>だが、罪人を捕縛する権利はあれど罪人を裁く権利を有さない。
番号付街ならば警備隊が捕まえた罪人は、裁判所で専任の裁判官によって裁かれる。
だが、この新興地区は公には“存在しない街”。
街でも街外でもない空白地帯。
そこで行われた犯罪は、“そのような土地はない”ので“起こらなかった”と解釈される。
少なくとも<ゼルディア国>の法ではそうなるのだという。
そうなると犯罪者の温床とでもなりそうなものだが、実際はそう治安が悪いわけではない。
もちろん葉月が知っている日本の治安の良さとは比べようもないが、歌舞伎町の裏路地や、ましてや一時のヨハネスブルグのダウンタウンほど危険なわけでもなかった。
戦列の<テーラン>がいることもそうだが、新興地区の住民は独立心が強い者が多く、自治組織がしっかりしているし、富める者は慈善事業に熱心だ。
裁判所のような部署もあり、基本的には<ゼルディア国>の法に則って審判が下されていた。
裁かれた罪人の大半は<ウクジェナ>との裏取引によって、市管理の矯正施設や強制労働場へと送られる。
つまり<テーラン>の役割は新興地区の裁判部に罪人を引き渡すこと、ということになる。
ただ、その裁判部の受付が日のある間に限定されるため、夕刻から夜に捕縛した罪人は一時的に本拠地の地下牢にぶち込んでいるのだ。
こうした治安維持に貢献していることから、中には<テーラン>が自治組織の下部組織だと勘違いしている者もいるようだが、この二つはまったく別の組織だ。
しかも“組織”が持つ意味さえ裏と表ほどの差がある。
戦列の<テーラン>は決して正義の味方などではなかった。
それは悪人面揃いの団員達の雰囲気からも推し量れようというもの。
中にはブノワやケヴィンのように容姿の整った男もいるが、大抵の団員は見るからに堅気ではないチンピラ風の容貌をしている。
人を見た目で判断すると痛い目に合うが、視覚に訴える形で威嚇するのは何も毒を持つ昆虫だけではない。
人間の男も往々にして見た目で突っ張るものだ。
ただ<テーラン>の中でもそれぞれの部署で特色があり、首領直属や副長直属はどちらかといえば堅気っぽい服装をしている。
タイロンでさえ、羽織の裾は短いものの、腰の剣さえなければ気のよい兄ちゃん風である。
勘定部や医療部も服装は大人しい。
諜報部はその任務上、庶民に紛れる必要がある。
<テーラン>の印象で最も強く住民に映るのは、住民と接する機会も多い実行部だ。
この実行部が曲者揃いなのである。
中でも第四隊は隊長の性格の影響もあり、派手な服装の者が多い。
葉月とタイロンが行動を共にしているのは、第四隊の者たちだ。
後ろ手に縛り上げた露出狂を囲む派手な柄物の羽織をまとった柄の悪いチンピラ風の男たちの三人の後に、気のいい兄ちゃん風の大柄な男とおっとりしたたれ目の小柄な少女が続く様子は一種異様な光景に映る。
まず、普通の人間なら近寄らない。
おそらく、これも原因の一つだろう、と葉月は考えた。
怪しそうな裏路地でとりあえずおとりが往来する。
怪しそうなヤツが出てきたらとりあえず三、四人で取り押さえる。
おとり捜査としては稚拙な部類だ。
そもそも、戦闘バカの集まる<テーラン>でおとり捜査というのは、方向性が間違っているのではないだろうか。
ブノワもそれが分かっていたので、この作戦に乗り気ではなかったのだ。
他に方法があるのかと言われたら答えがないので、葉月たちを貸し出しただけで。
このままむやみにおとり捜査をするよりも、これまでの事件を洗い直した方がよいのではないだろうか。



葉月がかすかに眉間にしわを寄せ、今後の行動の算段をしていた時、隣を歩くタイロンが突然足を止めた。
「タイロン? どうかしましたか?」
葉月が同じく足を止め振り返ると、タイロンは厳しい顔つきで薄闇の向こうを見つめていた。
「おい。どうしたんだ?」
「なんかあるのか?」
第四隊の男たちもタイロンの様子を不審に思い、足を止めている。
タイロンは「しっ」と男たちを黙らせると、「聞こえねぇか?」とつぶやいた。
男たちと葉月はタイロンの言葉に耳をすませる。
すると虫の声に混じり、微かではあるが甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
はっと喜色を浮かべる第四隊の男たち。
女性の悲鳴を聞いて笑みを浮かべるというと悪趣味な性格破綻者のようだが、空振りばかりのおとり捜査で鬱憤(うっぷん)がたまっているのだ。
<黄昏の怪人>の手がかりになることならば言うことないが、ただの喧嘩でも憂さを晴らせるならそれでいい。
「声の方向がどちらか分かるか?」
気がはやるのか、早くも腰の剣に手をかけながら男が問う。
それにタイロンはうなづき、北を指さした。
「あっちだな。おそらく、雨月通りの近くだ」
「よしゃ! 行くぞ!」
「おうよ!」
「うおおお!」
第四隊の男たちが奇声を発しながら北へと走り出す。
よほど向いていないおとり捜査でストレスが溜まっていたようだ。
葉月もその後を追おうと、長い裾を膝までたくし上げた。
葉月にしたら走りやすいように、という合理的な理由による行動だが、慌てたのはタイロンだ。
「ばっ、お嬢!? 何やってんだ?」
葉月は裾をつかんだまま、首を傾げながらタイロンを見上げる。
「何って、走りやすいように裾をまくってます」
ごく平然と言い放った葉月に、タイロンは葉月の手を裾から放させた。
裾がふくらはぎの中間に戻る。
「はしたねぇ! 堂々と足見せる女がいるか!」
葉月の感覚で言えば、膝丈では短い部類には入らない。
別に太ももまで見せるわけでもないので抵抗はないのだが、タイロンにしてみれば、というよりこの国の常識に照らし合わせれば、膝を出すというのは大変にはしたないことになる。
葉月は内心、タイロンに『はしたない』と指摘を受けたことにへこみ、『こんな細くて色気のない子供の足を見せたところで――』と思ったが、殊勝にうなづいておいた。
今、ここで羞恥心や少女偏愛(ロリータ・コンプレックス)について問答している暇はない。
長い裾は走りにくいが、元々袴や着物での動きに慣れているので、転ぶことはないだろう。
こっそり嘆息した葉月の体が、急に宙に浮いた。
「ちょっ」
気が付けば、タイロンに俵のように肩に担ぎあげられていた。
葉月が抗議の声をあげる前に、タイロンがものすごい速さで走り出す。
「こうすりゃあ、お嬢が裾まくらねぇでも早ぇだろ?」
葉月の顔を見上げてにかっと笑うタイロンの頭を叩(はた)きたい衝動を抑えて、葉月は額に手を当てた。
なんというか、もう、頭痛がする。
「確かに早いですけどね。ですけど、タイロン。これは裾をまくりあげるのと同じくらい恥ずかしいですよ」
「そぉか?」
「そうです」
ぴしゃっと葉月は言い放ったが、その後は言いたいことをぐっと呑み込む。
あのやりとりで時間を無駄にしたことは確かだ。
葉月が自力で走るより、この方が断然早いことは認めないわけにはいかない。
タイロンの羽織の襟を掴んで、高速で流れる路地裏の道を覚えることに集中する。
元の場所に独りぽつんと残された露出狂は、事態についていけず後ろ手に縛られたまま、ぽかんと立ち尽くしていた。
「俺はいったい、どうしたらいいんだ?」



女性の悲鳴は既に止んでいたが、北に行くに従い代わりに血の臭いと、がやがやという複数の人の声が聞こえてきたので、その場所を特定するのはそう難しくはなかった。
現場に到着し、タイロンに下ろしてもらった葉月は、その惨状を見て胃からこみあげてくるものを根性で嚥下(えんか)した。
被害者は服装からして女性だろうということしか分からなかった。
それほど遺体の損傷がひどい。
五体はつながってはいたが、傷がないところが見当たらないというほど切り刻まれ、顔もつぶされていた。
特に喉が大きく切り裂かれており、これが致命傷となったとみて間違いないだろう。
殺害現場はここだ。
壁にまでおびただしい量の血痕が残っている。
八人目の犠牲者。
また止められなかった。
犯人を確保した様子はない。
四十代とみられる女性が真っ青な顔で座りこんで震えている。
どうやら、不幸な第一発見者のようだ。
彼女は何か目撃しただろうか。
葉月は遺体検分に合流しているタイロンから離れ、中年女性の方へと足を向けた。
正直、あまりじっくりと遺体を見ていられなかったのだ。
すっかり暗くなった中、いくつもの灯りに照らし出された惨殺死体は、こういっては犠牲者に失礼だが悪夢に出てきそうだ。
葉月が中年女性のところへ着く前に、またバタバタと足音が聞こえた。
葉月たちが来たのとはまた別の路地から現れた四人の男たちは第三隊の者たちだろう。
葉月にも見覚えがあった。
が、その後についてきた十六、七歳ほどの少女には見覚えがない。
灯り越しにも大層な可愛らしさだ。
これだけの可愛らしい少女なら、一度でも見たら忘れられないだろう。
左右の耳の上で一部を結んだ、いわゆるツーサイドアップにした髪がその可愛らしさを強調している。
はっきり言って、殺人現場にはまったく似つかわしくない人物だ。
少女は遺体を目の当たりにして微かに眉をしかめたが、とり乱した様子はない。
しばらく現場の状況を見回していた少女だったが、葉月の視線に気が付いてこちらへとやってきた。
「また出遅れちゃったみたいね」
「はい。そのようです」
苦い顔で葉月がうなづく。
「あなた、副長の娘さん?」
少女がちょこんと小首を傾げながら尋ねる。
その可愛らしさに、葉月は今後の参考にしようと心にとどめ置きながらうなづく。
「はい。葉月と申します」
すると少女の表情がぱっと明るくなる。
「あ、やっぱりそうなんだ。わたしはアンジェリカ。諜報部の所属なの」
「あなたがアンジェリカさんでしたか」
「アンジェリカでいいわ。<テーラン>はむさ苦しい男ばっかで女の子がいないんだもの。わたし、葉月とは仲良くしたいわ」
にっこり笑うアンジェリカに、葉月も笑顔を返す。
「えぇ。アンジェリカ。私でよろしければ」
ふふふふ、とここが陰惨な殺人現場であることも忘れ、笑い合う少女たち。
そこに割って入ったのはタイロンだった。
タイロンは葉月の肩を掴むと、アンジェリカから引き離した。
「出たな、変態」
「やだ、タイロン。変態だなんてひどい」
悲しげな顔でタイロンを見つめるアンジェリカ。
そんな顔で見つめられれば、女の葉月でさえ反射的に謝ってしまいそうだ。
だがタイロンは苦虫を噛み潰したような顔でアンジェリカを無視し、葉月の両肩をぐっと掴んだ。
「タイロン?」
様子のおかしいタイロンに、葉月はいぶかしげにタイロンの名を呼ぶ。
タイロンはいつになく複雑そうな表情だ。
「お嬢。この変態に騙されんなよ。コイツ……」
そこでタイロンは言葉を切り、深いため息と共に絞りだすようにつぶやいた。
「コイツ、男なんだ」