混沌なき箱庭 5‐14

混沌なき箱庭 5‐14

 なんとも派手な登場をしてくれたカーサに、葉月はこっそりとため息をついた。
二階建ての建物の屋根から飛び降りたくらいでどうにかなるような御仁ではないと知っているので、カーサ自身の心配などする必要はないのだが、巻き添えをくらいかけた身としては一言言ってやりたい気分になる。
同じく巻き添えをくらいかけたアンジェリカもそうだろう。
しかし、カーサへの小言は葉月やアンジェリカの領分ではない。
ブノワがいないこの場では、参謀であるヴィリーの役目だ。
「親分! なんて所から現れてるんですか!」
どうやらカーサが建物の屋根へと上る過程で見失ったらしいヴィリーが、オズワルドの後ろから非難めいた声をあげた。
しかし、カーサは何故か得意げな顔だ。
「一回やってみたかったんだよ。カッコいいだろ?」
反省やら後悔やらとは縁遠い人である。
何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘、馬耳東風だと承知しているヴィリーだったが、だからと言って言わないわけにはいかない。
聞く者が同情してしまうような深いため息をついて口を開く。
「子供じゃないんですからアホなことやらかさないでください。それに冥土の土産はダメです。殺さずに捕縛するんですからね。分かってます?」
疑い深く尋ねるヴィリーに、カーサは獰猛な笑みを浮かべる。
「わかってんよ。口が利けりゃあいいんだろ?」
「そうですけど、せめて三日は口が利けたままじゃないとダメですからね」
「おう。気をつける。お前らも気をつけろよ」
他の団員に向かってカーサが言うと、三方から、
「親分じゃねぇんですから大丈夫です!」
と、総ツッコミが入った。
戦闘狂ぞろいの戦列の<テーラン>の中で、最も強く最も手加減が不得手なのが首領のカーサだった。
というよりも、端から手加減などするつもりがない。
女どころか人間離れした膂力(りょりょく)で繰り出される豪剣は、実行部の隊長たちでさえ真正面から受けることを避ける程だ。
葉月もその強さは出会った時から知っている。
首領カーサ、実行部第三隊隊長オズワルド、同じく第四隊隊長ケヴィン、副長直属タイロン、そして首領直属ジーク。
<テーラン>の中でも指折りの猛者(もさ)たちが、この場に勢ぞろいしていた。
他の団員にしても並以上の強さを持っているし、おとり役である葉月やアンジェリカでさえ、そこらのチンピラ程度なら軽く撃退出来る程度の鍛錬を積んでいる。
この場にいない団員も含めれば、実に<テーラン>の半数以上がこの作戦に参加していることになる。
それほど、この作戦が重要視されているという証だった。



葉月が提案した作戦とは、おとり捜査にリアリティを付し、餌が疑似餌だとは分からなくするというものだ。
それまでやっていたおとり捜査は、葉月やアンジェリカが事件の発生しそうな路地を歩くだけという、なんともお粗末なものだった。
該当区域は広範囲であるし、<ゼルダの使徒>が狙う十代半ばから後半の若者が夕暮れ時に路地を一人でうろうろしているのは、罠だと見え見え過ぎる。
遺体の損傷が激しいとはいえ被害者の身元がここまで調査をしても分からないとなると、<ゼルダの使徒>はいきあたりばったりに犯行を行っているのではなく、ある程度の調査をして対象を絞っているのだろう。
ヴィリーと共に葉月が考えた被害者像は、次のようなものだ。

1.十代の半ばから後半の若者であること
2.二人組であること
3.最近この街に流れてきた者たちであること
4.縁者が片割れ以外にいないこと

唯一、身元が特定出来そうな娼館の遊妓にしても、女衒(ぜげん)の所に自ら売られに来たということだし、一緒に居た妹も娼館で下働きをしていたらしいが、姉が被害にあった時を前後して行方不明となっている。
女将は姉が殺された為に飛び出したと考えたようだったが、おそらくは<ゼルダの使徒>に殺害されたのだろう。
妹の行方不明が<テーラン>に伝えられたのが女将の判断により大分遅かった為、妹らしき遺体を確認してもらうことは出来なかった。
冷蔵・冷凍技術が発達していないのだから、腐敗する前に埋葬してしまうのは仕方がないことだ。
放っておけば、伝染病の発生源になる可能性がある。
ただ、身につけていた遺品は保管されているので、後日女将や遣手(やりて)に確認してもらった所、おそらくは下働きをしていた妹だろうという証言がとれた。
この証言は葉月の提案した作戦の後押しとなった。
<ゼルダの使徒>は<世界の落とし子>の特徴をよく把握していることが分かったからだ。
それを逆手にとる作戦の概要は簡単だ。
実際に<世界の落とし子>を装い、二人組で新興地区に家を借りて生活すること。
その間はもちろん、<テーラン>の本拠地には近づかないし、他の団員にも諜報部を除いては接触しない。
つなぎ役の諜報部員にしても、潜入を得意としている者たちだ。
働きに出る店の客を装うなど、不自然さを気取られるような真似はしない。
肝心のおとり役は他に適当な候補がいないこともあって、葉月とアンジェリカにすんなりと決まった。
アンジェリカは元々諜報部で潜入捜査をしているだけあって適役であるし、葉月の方も今までのおとり捜査での実績や見かけによらぬ肝の据わり具合からこの作戦にも耐えられるだろうと判断された。
ただ、二人とも今までのおとり捜査で<テーラン>の団員だと感づかれた恐れがある。
その為、印象を変えるように変装することになった。
人の印象とは意外に曖昧なもので、特に女性は髪の色や髪型、化粧、服装のタイプを変えてしまうと、余程親しくないと気づかないものだ。
名前はもちろん偽名を使用する。
アンジェリカの場合、既に“アンジェリカ”という名前自体が偽名であるのだが、今回の作戦の為に別の偽名を名乗ることになった。
後は一旦<ウクジェナ>の外に出てから流れ者を装って新興地区に入り、諜報部が事前にピックアップした被害に遭いやすいルートを通る借家の付近に“たまたま”たどり着いて、家や職を探して生活するだけだ。
その辺りは潜入捜査に慣れたアンジェリカに任せておけばいい。
アンジェリカはごく自然にその借家に住めるようにし、大通りにある商家に通いで勤められるように算段をつけたのだった。
もちろん、借家の大家や商家の主はこの作戦のことを何も知らない。
アンジェリカはあくまでも新参の流れ者として、家と職を探したのである。
それは戸惑いやいくつか門前払いを食らうなどの、世慣れしていない流れ者という難しい設定を踏まえた上での演技込みで、実に見事だった。
住処と職さえ得られれば、二人がしなくてはならないことは普通に生活することだけだ。
後はさりげなく、諜報部が噂を流して標的がおとりに食いつくのを待つ。
その間に他に被害者が出ないように、大々的な見回りも実行した。
陣頭指揮を首領であるカーサが取ることで、人々の不安を取り除こうというのである。
街道での護衛を請け負っている実行部第一隊や第二隊も見回りに回される程の力の入れようだった。
犯行を未然に防ぐのが見回りの目的だが、実はおとり捜査の目くらましも兼ねている。
元から外回りの多いアンジェリカはともかく、葉月が長期に渡って学問所を休むのは何かあったと噂される可能性があった。
何せ、副長の隠し子としてご近所では有名になってしまっている。
そこで大々的な見回りの補佐を理由として学問所を休むということになったのだ。
もちろん、理由が理由なのでジークも学問所を休むことになった。
実際に人手が足りないので、嘘でも無駄でもない。
元々学問所に通っている生徒は家業の手伝いで休む者も多いので勘ぐられることはないし、葉月が外に姿を見せないのも忙しいということにしてしまえば何とかなる。
そうした工作を含めた結果が、今、目の前にあった。



黒外套の女は歯ぎしりしながら、カーサを睨みつけている。
「己ぇ、おのれぇ!」
という呪詛に似たうめき声を漏らし、明らかに不慣れな様子で剣を構えた。
対するカーサは余裕綽々だ。
無造作で一見隙だらけに見える構えで、獲物をいたぶるのが楽しくて仕方がないという笑みを浮かべている。
端(はた)から見たらどちらが悪人か分からないくらいだった。
しかし、葉月は<ゼルダの使徒>に同情する気など更々ない。
カーサが黒外套の女を相手するならばと、葉月が横、アンジェリカは後ろの男たちに向き合った。
後ろはケヴィンが率いる組が道をふさいでいる。
横がタイロンとジークたちだ。
葉月とアンジェリカの振り分けは、好悪は関係なく戦力差で判断したものだ。
葉月とアンジェリカでは、実は葉月の方が強かったりする。
アンジェリカもそこそこは出来るのだが、役目柄こうした正面切った戦いは不得手なのだ。
葉月の方は二十数年の経験に加えタイロンとの朝稽古で自身より体が大きい者との戦い方は心得ている。
別にケヴィンが弱いということはないが、細身に見える分、大剣を軽々構えるタイロンよりも隙があるように見えるだろう。
タイロンを相手にするよりは、とこちらに向かって来ることは十分考えられる。
そう判断してのことだった。
三方を塞いでいて逃げ道がない中、一番まずいのは自害されること。
次点が葉月やアンジェリカが人質に取られることだ。
人質を盾に逃げられるということではなく、自身たちごと切り捨てられると承知しているからこそ、気を付ける必要がある。
服は裾が長く動きにくい女物だが、袴捌(はかまさば)きに慣れた身としては問題ない。
隙があるようで攻めあぐねてしまう独特の空気を醸し出しながら、葉月は剣を構える。
おっとりとした笑みが場違いであることは承知の上である。
戦いの火蓋はカーサの「さぁ、さっさと片付けて晩飯食おうぜ」と言う一言で切って落とされ、あっという間に終幕した。
カーサは一足で女の目の前まで距離を詰めて剣をはじき飛ばすと、その長い足で女を蹴り倒した。
女が昏倒した所をオズワルドの命で他の団員が縄で縛り上げる。
後ろや横の男たちも、ケヴィンやタイロンの敵ではなかった。
これは黒外套の男たちが弱いというわけではない。
葉月では荷が重いし、ジークも体格差がある分、倒すのには時間がかかるだろう。
ただ、ケヴィンやタイロンが化物並みに強いだけだ。
この二人の戦い方は対照的で、ケヴィンは手数が多くフェイントが上手い。
避けたと思った矢先に思いもよらない方から切られる。
敵を翻弄する嫌らしい戦い方だ。
少しだけ、自分の戦い方と似ていると、葉月は思う。
しかし、倒れた男の左手に剣を突き刺しえぐるようにして引き抜く姿を見て、その印象をやや修正した。
念の為、利き手を潰しておくというのは別にいいのだが、その顔が心底楽しそうなのだ。
葉月はそういう嗜虐趣味は持っていない。
正直、その表情(かお)にドン引きだ。
それに対してタイロンの戦い方は豪快である。
両刃の大剣を振るうと、巻き起こった風が六、七メートル以上離れた葉月の髪を吹き上げるのだから恐ろしい。
一見、力任せに大剣を振るってように見えるが、ただの馬鹿力だけではこの大して広くない道で大剣など振るえるハズがない。
戦闘センスの塊のような人なのだ。
ただ、剣を持たない右手で男の腹を殴って葉月の足元まで吹っ飛ばすことからして、手加減は苦手だとよく分かる。
男は白目を向いて泡を吹いているが、生きているようなのでタイロンにしては手加減している方だ。
隠し持っていた縄で足元に転がる男の腕を後ろ手に縛りながら、葉月は苦笑を浮かべる。
内蔵が無事かは分からないが、即死でないだけマシだろう。
まぁ、マシなのは葉月たちの観点からであって、余計に苦しむ男にとっては不幸なのかも知れないが。
「アンジェリカ、体を起こすのに手伝ってもらえますか?」
猿轡(さるぐつわ)を噛ませる為に男の体を起こそうとして、葉月は傍らのアンジェリカに声をかけた。
舌を噛み切ってもそう簡単には死なないが、話をするのに支障が出ては困るからだ。
「了解〜」
アンジェリカは葉月の申し出を快く引き受け、男を起こすのを手伝う。



黒外套の三人を捕縛し、現場にはほっとした空気が流れた。
それは、ほんの僅かな隙だった。
ジークがタイロンに声をかけ、葉月の手伝いをする為に歩み寄ろうとしたその時、背中がぞわりとした。
元の体であれば、全身の毛が逆立つような悪寒。
それが何か、頭で考える前にジークは叫び、駆け出していた。
「ねえさん! 伏せて!」
葉月は切羽詰ったジークの声に、咄嗟(とっさ)にアンジェリカを押し倒しながら伏せる。
カキンッ。
放たれた幾本もの矢の内、葉月たちに向かっていた矢をジークが叩き落す。
が、狙われたのは葉月たちではなかった。
顔を上げた葉月が見たものは、喉と左胸に深々と矢が刺さり、物言わぬ骸となった黒外套の男の姿だった。