混沌なき箱庭 5‐13

混沌なき箱庭 5‐13

 夕暮れ時の路地を、二人の娘が寄り添うように急いで歩いている。
年上の娘は十六、七歳、年下の娘は十三、四歳といったところだろうか。
姉妹であれば、顔の造作はまったく似ていない。
似ているのは同じ亜麻色の髪くらいなものだろう。
しかし、得も言われぬ可愛らしさを体現したような娘と、下町に相応しくない所作に品がある娘。
この辺りでは少々珍しい髪の色も相まって、地味な服を着ていても人目をひく組み合わせだ。
路地に面した家の老人が、裏口に置いた椅子に座って煙管を飲みながら「今、帰りかい?」と気さくに声をかける。
娘たちは一瞬びくっとしながらも、笑顔で応じた。
「えぇ、今日はちょっとお店が忙しくて」
「そうかい。気をつけなよ。……黄昏時だからねぇ」
「ありがとうございます。そうします」
にっこりと笑いながら会釈をして、再び家路を辿る。
二人がこの先の貸家に越してきたのは、つい最近のことだ。
どこから流れて来たのかは誰も知らない。
ただ気立ての良い娘たちで、近くの商家へそれぞれ働きに出ており、そこでの評判も上々だった。
この街は新参者にも寛容だ。
揉め事さえ起こさなければ、しつこく詮索されることもない。
だが、ふらりと現れた年の若い娘二人は、この街でも珍しいことには変りなく、それとなく注目の的だった。



赤く染まる地面に長く伸びる影、どこからか聞こえてくるカラスの鳴き声が何故か不気味に響く。
いつもと同じようでいて、どこか違う。
空気が重く、生暖かい。
嫌な風が吹いている。
路地には娘たち二人の影しかないが、間違いなく見られている。
どこからかねっとりとした気配を感じ、娘たちの足は自然と駆け足になる。
そこを右に行けばもうすぐ家だという三叉路に差し掛かった時、影に先に気づいたのは、年下の娘だった。
「フィーリア……」
怯えたように、年上の娘の名を呼ぶ。
フィーリアと呼ばれた年上の娘も、行く手に立ちふさがる怪しい人物に気づいた。
建物の影に佇む、黒い外套をまとい手に幅の広い剣を持った人物を、怪しいと言わずになんと言おう。
「エ、エゼル……後ろに」
フィーリアは年下の娘をかばう為、一歩前へ進み自身の体でエゼルと呼ばれた娘を隠す。
しかし、それも無駄なことだった。
「後ろと横にも!」
エゼルが悲鳴じみた声を上げ、フィーリアの袖を引いた。
三叉路のすべてに、黒い外套をまとい剣を持った者たちがいた。
目深にかぶったフードと西日の所為で顔はよく分からない。
ただ、行く手に現れた者は線の細い体で、覗く手首も白い。
エゼルは直感で女だと断定した。
幅広の剣も重そうにだらりと下げている。
剣技に長けているようにはとても見えない。
しかし、横と後ろに現れた者たちは外套の上からでも分かる巨躯(きょく)で、剣をだらりと下げているのは行く手を遮る女と同様だが、隙がない。
この男たちは、間違いなく強い。
エゼルはフィーリアの背中に右半身ですがりつきながら、男たちに向かって叫ぶ。
「あ、あなたたち何なの!?」
「クックックックッ、何? わたしたちが何? わたしたちが何者かと?」
エゼルの問いに答えたのは、男たちではなく女の方だった。
額に手を当て嗤(わら)いながら、妙に抑揚をつけ唄うように言う。
「知りたい? 知りたいの? クックックックッ、へぇ、知りたいのねぇ……忌(い)むべき子たち」
女ははらりとフードを後ろへと落とす。
西日に当たり赤く輝く髪は白に近い銀なのだろう。
緩く編んだ三つ編みを背中に垂らしている。
それだけならば、この国では稀に見かける普通の女だ。
異様なのは、その瞳。
色が異様なのではない。
限界まで見開かれ、異様なほど血走っている。
愉悦に歪んだ唇もまた、毒々しい程赤く色づいていた。
女が体現するのは、まさに“狂気”。
正面から対峙するフィーリアが、その毒気に当てられて息をのむ。
しかし、女はそんなことは露程も気にかけず、クックックックッと嗤って続けた。
「わたしたちが何か? 決まってるわ。神の使徒よ。忌むべき子たち」
「い、忌むべき子? なんですか、それ。私たちはそんなものじゃありません!」
フィーリアが精一杯の気を張って言い返す。
その後ろでエゼルもこくこくとうなづいている。
娘たちの言葉に、女はにぃっと口角をつりあげた。
「ふぅん。でも、それこそわたしたちには関係がない。疑わしければ誅(ちゅう)す。その中に本当に忌むべき子たちがいれば、それで良いのだもの。どうせわたしたち以外は愚かで怠惰で救いようがないのだから、無駄ではないわ。新たなる世界の為の礎(いしずえ)となるのだから、むしろ感謝してもらいたいくらい。えぇ、それに他の者たちに自分たちの愚かさに気付かせるきっかけにもなるでしょう? ほら、無駄どころか一石三鳥くらいにはなるじゃない」
滔々(とうとう)と女は語り、自身の言葉に酔っているかのように恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべる。
「さぁ、感謝にむせび泣きなさい。忌むべき子たち。小指の先ほども役に立たぬ小物どころか害悪でしかないお前たちを有効活用してあげるのだから」
女はクックックと笑いながら、剣を持たない右手を差し出した。
さぁ、跪(ひざまず)いて命乞いをしなさいとでも言うように。
フィーリアたちにとって、実質的な驚異は屈強な男たちの方であるはずなのに、より恐怖をかきたてるのは目の前の女の方だった。
狂気を超えた禍々しさを放っている。
それは、絶対に相容れず理解すら出来ないモノに対する、原始的な畏怖(いふ)だった。
「あ、あなたたちが連続殺人事件の犯人なの!?」
エゼルがフィーリアの肩ごしに問いかける。
その途端、女の恍惚とした表情は怒りへと変わり、白いはずの顔がどす黒く染まった。
「犯人!? 犯人! 犯人!! なんて無粋な言い方! 我らは<ゼルダの使徒>! 高尚なる伝道者! 選び選ばれし者! それが分からぬお前たちはやはり愚かだ! 死ね! 死ね!! 死ぬがいいぃぃぃ!!!」
女は幅広の剣をフィーリアたちに差し向けた。
それを合図に、それまで微動だにしなかった後ろと横の男たちが剣を構えた。
そこに居ることすら忘れてしまうくらいに影が薄かったのに、今は目に見える程の殺気をまき散らしている。
ただでさえ大きな体が一回りは大きく見えた。



誰がどこからどう見ても、か弱い娘たちの命は風前の灯火だろう。
しかし、先程までの怯えっぷりが嘘のように、娘たちは平然とした顔をしている。
「まぁ、時間も稼げたし、これは黒確定ってことで良いのかな?」
フィーリアと呼ばれていた娘が、先程までよりも幾分か低い声でつぶやく。
それを受けたエゼルと呼ばれていた娘が、おっとりと笑って首から下げていた笛を懐から取り出した。
「良いと思いますよ。しっかり自分たちがやったと白状していますし」
そう言って、大きく息を吸い込み、三度続けて笛を吹いた。
その途端、静まり返っていた路地に、次々と鬨(とき)の声が響く。
三叉路の全ての道からわらわらと現れた男たちに、黒外套の女は狼狽えた声を上げた。
「なっ、人除けに置いておいた奴らはどうした!?」
「雑魚どもなら眠ってもらった」
そう言って女の後ろの道から進み出たのは、眼光の鋭い鷲鼻の男。
オズワルドだ。
「さーて、年貢の納め時だ。なぁ、<ゼルダの使徒>」
オズワルドとは別の道から現れたケヴィンが、にやにや笑いながら抜剣する。
残る一方の道には、大剣を抜きはなったタイロンと二振りの短剣を構えるジークの姿があった。
三方の道にはそれぞれ六人は居るだろう。
纏う雰囲気や構えから、その全てが手錬(てだれ)だと分かる。
完全に囲まれた黒外套の三人は、中央の娘たちの異変にも気が付いた。
それぞれ亜麻色のかつらを取り去っており、銀と濃い灰の地毛をさらして、羽織の下に隠し持っていた剣を抜き放っている。
明らかに鍛錬を積んでいると分かる構えだ。
素人ではあり得なかった。
「お前たち、何者だ!」
黒外套の女が口から泡を飛ばしながら、やや裏返った声で問いかける。
その答えは、頭上から降ってきた。
「俺たちが何者かだって?」
驚いた黒外套たちが見上げると、二階建ての建物の屋根に黒い影が一つ。
「オラ、退け! 危ねぇぞ!」
と言って、その身を宙に躍らせる。
慌てたのは、着地予定地点にいる娘たちだ。
巻き添えを避けて、それぞれ後ろに跳び下がる。
飛び降りてきた影は、娘たちが避けた所へ膝のバネを使って見事に着地した。
そこに立ち上がったのは、浅黒い肌をした男物の服を着ていても分かる長身の女だった。
すらりと手に持っていた長剣を抜き放ち、物騒な笑みを浮かべる。
それは、獲物を見つけた獣の笑みだった。
「泣く子も黙る天下無敵の自警集団、戦列の<テーラン>たぁ俺らのことだ。冥土の土産によぉく覚えておきやがれ!」