混沌なき箱庭 4‐5

混沌なき箱庭 4‐5

 その学問所は、葉月の感覚でいうと<テーラン>の屋敷から二十分ほど歩いたところにあった。
<ウクジェナ>の北東に位置する新興地区は、大通りと細い路地が交錯した一種迷路のような土地だ。
大通りには商店が立ち並び、露天も出ていた。
その大通りから一歩路地に入ってしまえば、民家が並んで建っている。
道行く人も多いが、薄橙の肌に灰色の髪、灰青の瞳の者が大半だ。
<ウクジェナ>が属する<ゼルディア国>の住人は、この配色が普通のようだった。
カーサやジークのような色を持つ者もいなくはないが、やはり少数派になる。
すいすい歩いて行くライナスの背中を追いながら、葉月たちは辺りの景色を覚えていく。
葉月も方向音痴ではないが、中世ヨーロッパのような中東の国のような、よく分からない様式の建物に馴染みがないせいもあって、覚えるので精いっぱいになる。
とても景色を楽しむ余裕はない。
ジークの方はというと、物珍しさに目を輝かせながらも、さりげなく辺りをうかがっていた。
怪我のせいでカーサに拾われてから、屋敷の敷地から出るのは今日が初めてである。
今日のことは楽しみにしていたのだが、元の稼業の性で辺りを見る目は普通の子供よりも鋭く油断がない。
そんな二人をちらりと振り返って、ライナスが口を開いた。
「入り組んでいるだろ? 番号付は区画整理されているし石畳で舗装されているんだが、たんこぶの方はこの通り迷路みたいな上に舗装もされていない。一応、それなりに秩序はあるんだけどな。これでも」
「すみません、たんこぶ……って何ですか?」
葉月が尋ねると、ライナスは「あぁ」と笑う。
「嬢の方は聞いたことなかったか。坊には話したな?」
「はい。新興地区の別名ですね」
「そう。ここを新興地区なんて呼ぶヤツは、番号付に住んでいるヤツらだ。ここではたんこぶの方が通りがいい。<ウクジェナ>は中央区の周りに番号付がぐるりとあって円を描いているんだが、七番街と八番街にまたがった部分が外側に大きくふくらんでいる。まるで“たんこぶ”みたいにな。それがここなんだ」
ライナスがにやっと笑う。
たんこぶという別名は揶揄する響きがあるが、外からそう呼ばれているのではなく、中の人間が自らそう呼ぶのは、自嘲とはまた違う。
ライナスは笑っているし、道行く人の顔も明るい。
ここには活気がある。
地元に対する愛着をざっくばらんに言いあらわした呼称が、たんこぶなのである。
葉月もジークも、まだ番号付と呼ばれる市街地は見たことがない。
<ウクジェナ>には各番号付の街に一つずつ門があるが、新興地区から直接街の外へと出入りすることは出来ない。
通常は新興地区に接する七番街か八番街の門から出入りする。
七番街や八番街と新興地区の境は、通称“朱河(あけがわ)”と呼ばれる大通りである。
その名は大通りが通常の地面よりも赤茶けた土であることに由来する。
葉月たちが<ウクジェナ>へ入ったのは七番街の門からだが、怪我人は幌馬車に乗せられていたので、門も朱河も街の様子も見ることが出来なったのだ。
ライナスは一見無愛想に見えるが、話が上手くしかも話題が豊富だった。
それに聞き入っている内に、学問所に着いてしまった。
外から見るに、平屋の建物はそう広くもない。
教室が二部屋あるかないか、といったところだ。
中からは賑やかな声が聞こえてきている。
外からでも聞こえるくらいなので、中は相当うるさいのだろう。
「なんか賑やかだな。まぁ、入るぞ」
ライナスが首をかしげながらも、さっさと中に入っていく。
「元気な子たちが集まってるんですね」
「二十人くらいだったっけ? それだけ子供が集まればうるさいものでしょ」
ジークも葉月もそれぞれ感想を述べながら、ライナスの後についていく。



建物の中は短い廊下に、二つの扉があった。
賑やかな声が聞こえてくるのは手前の扉がある方で、扉の位置から考えるに奥の部屋よりも広く、建物面積の三分の二を占めているようだ。
ライナスは手前の扉を通り過ぎ、奥の扉をノックする。
普通の強さで扉を叩いたのだが、隣の音にかき消されてしまった。
ライナスは軽くため息をついて、もう一度今度は強めにノックする。
「ジャニス、坊と嬢を連れて来たぞ!」
すると、扉が内側に開き、ひょいと赤茶の髪がのぞいた。
「あぁ、遅かったじゃない。待ってたのよ」
部屋から出てきた女性は小柄ではあるが、歳は二十代半ばだろう。
愛嬌のある顔にはそばかすが浮いており、丸眼鏡をかけていた。
一目見たら、ちょっと忘れそうにない存在感がある。
ジャニスは葉月とジークの顔を順に見て、にっこりと笑った。
「初めまして。私はジャニス。ここの教師をしてるの。本当はもう一人教師がいるんだけど、今日は午後からの予定なのよ」
「初めまして、葉月と申します。よろしくお願い致します」
「初めまして、ジークです。よろしくお願いします」
二人も笑顔で挨拶を済ます。
「えぇ。よろしくね」
ひとしきりの挨拶が済むと、その光景を満足げな顔で見ていたライナスが口を開いた。
「坊、嬢、俺はもう帰るが、帰りは二人で帰れるよな?」
ライナスの言葉に二人がうなづくと、
「ジャニス、二人を頼むぞ」
「はいはい。頼まれたわ」
「お前ら、ちゃんと勉強しろよ」
と言ってジークと葉月の肩を叩いて、ライナスは帰って行った。
「さて」
と、ライナスを見送ったジャニスが振り返る。
「じゃあ、教室に入りましょうか。さっきから皆あなたたちが来るのを待ってたのよ。うるさいでしょ? 皆、興味津々だから何かとわずらわしいかも知れないけど、上手く相手をしてやってちょうだい」
そう言って、ジャニスがさっさと教室に入って行く。
経歴が曖昧な二人にとって、突っ込んだことを聞かれると何かとまずい。
一応、辻褄を合せるために大雑把なところは打ち合わせてあるが、あとはそれぞれの機転とはぐらかす力に頼る他なかった。
葉月もジークも、それなりに経験を積んでいるので、そう悲観はしていなかったが油断も出来ない。
相手が子供だと思って油断していると痛い目に合うことは、よく分かっていた。
葉月がちらりとジークの方を見ると、ジークも葉月の方を見ていた。
その顔にはこれからへの期待と葉月を気遣う色が浮かんでいた。
そんなジークに葉月はおっとりと笑って見せて言う。
「さて、頑張りますか」
「はい」
二人はお互いの拳を軽く合わせて、ジャニスの後について教室へと入って行った。