混沌なき箱庭 4‐6

混沌なき箱庭 4‐6

 教室に入ると、好奇に満ちた目が二人に集中する。
皆、<テーラン>の副長の隠し子の話は知っているのだ。
「あれが」「へぇ」「結構普通?」「でもすげー強ぇって」「えー」と、ほとんどの生徒たちが好奇心を抑えきれない様子である。
「はいはい。お喋りはそこまで! 今日から一緒に勉強する子たちを紹介するから黙んなさい!」
ざわめく生徒たちを一喝し、ジャニスが葉月たちの方を振り返る。
「挨拶と簡単な自己紹介をお願いね。この子たちの下世話な好奇心を完璧に満たす必要はないけど、痛くもない腹を探られるのは嫌でしょ? 一通りでいいから話してやって」
歯に衣着せぬ言い方に、葉月とジークは苦笑し、生徒たちはきまり悪そうな表情を浮かべる。
面白い先生だと思いながら、葉月が口を開いた。
「初めまして、葉月といいます。皆さんご存じだと思いますが、現在は戦列の<テーラン>でお世話になっています。母と義父が亡くなったので、弟と一緒に私の実の父を捜す旅をしていました。いろいろあって、しばらく<テーラン>で下働きをしていましたが、母の形見によって<テーラン>の副長が実の父だったと知り、私も驚いています。まさかあんなにかっこいい人だったとは思わなかったので」
くすくすと女の子たち数人が葉月の言葉に笑った。
葉月もおっとりと笑って、話を続ける。
「父親似だったなら美人だったんでしょうけど、残念ながら母親似なので私自身はすこぶる普通です。この都市には来たばかりで分からないことも多いので、いろいろと教えてもらえると助かります。よろしくお願いします」
葉月の挨拶が終わると、ぱちぱちと拍手が巻き起こる。
その拍手が鎮まるのを待って、ジークが口を開いた。
「こんにちは。初めまして、ジークです。俺も<テーラン>にお世話になっていて、先に挨拶した姉とは異父姉弟になります。なので俺の父は副長ではありません。あと一部では俺は親分の隠し子じゃないかという噂もあるそうですが、残念ながら違います」
「えー!? 違うの!?」
前の方に座っていた八歳くらいの女の子が、素っ頓狂な声を上げる。
その子ほどではないが、一部の生徒はざわざわと「違うの?」と言い合っていた。
ジークの肌の色がカーサと同じであることと、首領直属になったことでそういう噂が出ているとライナスから聞いていたジークだが、ここまで広まっていたのかと苦笑する。
「はい。違います。親分が母親だという説は面白いですが、そうするとねえさんと血がつながってないことになってしまいますし」
実際はつながってなどいないどころか、同じ世界の生まれでもないのだが、いけしゃあしゃあとジークは言い切った。
真面目でまっすぐな気性なジークではあるが、意外とその面の皮は厚い。
にっこりと笑って、生徒たちの顔を見回す。
「俺にもねえさんにもいろいろな噂が付きまとうと思いますが、本人を見て判断してもらいたいと思います。よろしくお願いします」
ジークの挨拶が終わると、またわっと拍手が起こった。
生徒たちは先ほどよりも好意的な目で葉月たちを見ていた。
第一印象というのはとても大事だ。
<テーラン>の身内だからと威張るのではなく、隠し子とその弟だからと卑屈になるわけでもない。
自然な態度だった。
しかも、ぶっちゃけ訊きたかったこともさらっと話されてしまったのだ。
<テーラン>の団員はそれぞれの矜持があるので簡単には認めないが、そうした利害関係のない生徒たちは、この境遇でさらっと自然体に振舞ってしまえる二人を無意識にでも認めてしまっていた。
少し普通ではないが、面白いヤツらだ、と。



ジャニスはそんな生徒たちと新たな生徒となった二人を見て、軽く眉を上げた。
確かに子供というのは、大人たちが思うほど愚かではない。
ただ、それを整理して折り合いをつける方法と表現する方法が未熟なだけだ。
しかし今のこの二人の挨拶はどうだろう。
こましゃくれた子というには、そつのない挨拶だった。
大人びた子というよりは、まるっきり大人のような……。
(まぁ、<テーラン>に入れるような子たちだし、普通じゃないか。あそこに入るヤツで普通のヤツなんかいないものねぇ)
ジャニスは妙な納得の仕方をして、思考を保留した。
二十一人になった生徒たちの相手をしなくてはならないからだ。
「ヒューゴ、ルーシー。ちょっと立ってくれる?」
名前を呼ばれた男女二人の生徒が立ち上がる。
男子生徒はがたがたっと、女子生徒はすくっと立ち上がり、それがそれぞれの性格を表しているようだった。
「葉月、ジーク。男の子の方がヒューゴ、女の子の方がルーシーよ。この二人がウチの子たちのまとめ役なの。何かあったら二人に相談するといいわ」
そこでジャニスは一旦言葉を切り、ヒューゴたちの方を向いて続けた。
「あなたたち、面倒みてあげてね。……ヒューゴ」
「あんだよ」
名指しされたヒューゴが不機嫌そうに眉をひそめる。
ジャニスは腰に手をあてて、ぴしゃっと言い放った。
「示しつけたいのは分かるけど、もめごとは教室外で解決してちょうだいよ。教室内に持ち込んだら叩きだすからね」
「うっせぇ! それが教師のせりふかよ!」
「目上を敬えないガキが何を言うんだか。それに教師は副業でやってるんだからいいのよ」
「自分だって敬われるような人格者じゃねぇくせに。副業だろうがなんだろうが教師やってんのには違いねぇだろ」
教師と生徒がいきなり軽口を叩き合い出した状況に、葉月とジークは目を丸くした。
険悪な雰囲気はないので本当に“軽口”なのだろうが、いきなりだと驚く。
他の生徒たちが『またか』という目で二人のやりとりを見ているところを見ると、どうやらこの光景は日常茶飯事のようだ。
ルーシーは呆れたように額に手をやり、口を開いた。
「先生、二人が困ってます。いつまでも立たせておくのは可哀想です。私も含めて」
生徒にぴしゃりと怒られて、ジャニスがぴたっと止まる。
そして、どうでもよさそうな顔をして、ひらひらと手を振った。
「あー、それもそうね。あなたたち座っていいわ。葉月はそっち、ジークはそこね」
教室には二人掛けの机と椅子が四台ずつ三列、合計十二台並んでいる。
窓際の一番後ろの机は誰も座っていない。
あと空いているのは、廊下側の三番目に一席と真ん中の二番目に一席だ。
ジャニスが指さしたのは、葉月が廊下側で真ん中がジークである。
人数からするともう一席空きがあると思われるが、窓側の三番目の机は一人の男子生徒が占領していた。
縦にも横にも大きい彼と一緒に座るには、針金のように細くないと無理だろう。
ジャニスは二人が席に着くのを待って、紙束を配り出した。
「新入りたち以外の今日の課題を配るわよ。こらっ、そこ、ぶーたれない。課題増やすよ」
じゃかじゃか一人ずつに課題を渡しながら、ジャニスが机を巡っていく。
どうやら個人個人違う課題のようだ。
二十人ちょっととはいえ、年も進度も違う生徒たちに合わせて課題を作成するのは面倒だろう。
口で言うほど、彼女は教師に向いていないわけではないらしい。
だが大量の課題を出される生徒の方は、その熱心さにうんざりしているようだ。
葉月の隣に座るラナも、渡された課題にため息をついている。
葉月が「いい先生みたいね」と言うと、「えぇっ」と小声ではあるが驚いた声をあげた。
「えー、どうして? 葉月もあの先生の態度は見てたでしょ? そりゃあ悪い先生とまでは言わないけど」
眉間にしわを寄せて小声で抗議するラナに、葉月は少し困ったように笑って答える。
「だって、生徒一人一人に課題を作ってるんでしょう? それに変に偉ぶってもないし、私たちに変に気を遣わないしね。いい先生だと思うよ」
「えぇー」
納得出来ない様子のラナが抗議の声をあげると、その頭をジャニスが丸めた冊子でぽかりと叩いた。
「うるさい。課題に対するおしゃべりならいいけど、教師批判は本人がいないトコでやって」
ぷくぅっとほっぺたをふくらませるラナに、葉月が「ごめんね」と謝った。
「私が話しかけたせいで叱られちゃって」
「むぅ。そうさっさと謝られちゃうと怒れないじゃん」
「うん、ごめんね。許して」
笑顔で謝る葉月に、ラナはぷっと吹き出して小さく笑った。
「うん。いいよ。許してあげる。葉月って面白いね」
「許してくれてありがとう。でも面白いって言われるとちょっと複雑かな」
葉月が苦笑いを浮かべる。
面白くないと敬遠されたり嫌われたりするよりはいいが、“面白い人”というレッテルを貼られるとなると、少し複雑な気分だ。
相手は意識の上では一回り以上年下の女の子なのだ。
中身だけとはいえ、大人としてどうだろうという話になる。
だが、それを知っているのは自分とジークのみなので、まぁ、いいか、と葉月は納得することにした。



教壇まで戻って来たジャニスは、教卓に両手をつき、葉月とジークの名を呼んだ。
「二人は読み書きと計算を最優先ってライナスには言われたけど、それよりもこの<ウクジェナ>という街のことを先に知ってもらった方がいいと思うのよね。あなたたちはどのくらいこの街のことを知ってる? 葉月。あ、座ったままでいいわ」
指名を受けた葉月は、今までに聞いた話を思い出しながら口を開いた。
「そう多くのことは知りません。<ゼルディア国>の都市であること。中央区と一から十までの番号付街、そしてこの新興地区……えぇと、たんこぶから成り立つこと。貿易で栄えていること。大雑把に言ってしまえば、そのくらいですね」
「うん。葉月の言ったことはだいたい合ってる。じゃあ、ジーク。この街はどちらの神様が造った街でしょう?」
指名されたジークは、目をまたたかせてその質問を繰り返した。
「どちらの神様がこの街を造ったか、ですか……?」
「そうよ。どちらか知らない? 葉月は?」
質問を振られた葉月も困ったように首を傾げた。
「えぇ、ちょっと分かりません」
二人が答えられないと知っても、ジャニスは落胆した素振りもなくうなづいた。
「まぁ、そんなに意識しないところだからね。<ゼルディア国>は主神がゼルダで、副神がエルフィムなわけだけど、<ウクジェナ>を造ったのはエルフィムの方ね」
ジャニスがさらっと言ったことの意味が理解出来ず、葉月は手をあげた。
「すみません。ちょっと意味がよく分からなかったんですけど、そういう伝説があるんですか?」
葉月の質問に、ジャニスが目を見開き、驚愕の表情を浮かべる。
それどころか、ぺちゃくちゃとうるさかった教室内がシーンと静まり返っていた。
皆、信じられないといった表情で葉月のことを見つめていた。
何かまずい質問をしたことを悟り、葉月は冷や汗をかいた。
ジークもこの沈黙の意味がわからず、困った顔で葉月と周りを見回している。
ジャニスはおそるおそると言った様子で、口を開いた。
「ごめん、葉月。それ、本気で言ってるの?」
どうやら知っていないと馬鹿を通り越して、正気を疑われる類の常識らしい。
葉月はおっとりと笑って答えた。
「嫌だ。もちろん冗談ですよ」
途端に張りつめていた空気が一斉に弛(ゆる)んだ。
ジャニスは、はぁっと深いため息をつく。
「そうよね。国や街は神様が造るものだって、どんな小さな子だって知ってるわよね。ちょっと葉月、教師をからかうもんじゃないわよ」
「すみません、先生」
申し訳なさそうに謝りながら、葉月はこの世界の常識の一つを頭に叩き込む。
まさかこの常識がこの世界の闇を構成するものの一つだとは、この時の葉月とジークは、露ほども気付かなかった。