混沌なき箱庭 2‐1

混沌なき箱庭 2‐1

 荒野が終わりかけていた。
不毛の大地から、ぽつぽつとではあるが緑が増えてきている。
しばらく歩くと、草原と言って良いほどになった。
そうすると、途端に草の下に轍が消え、道が分からなくなってしまう。
「どうやら、今は使われていない街道のようですね」
地面に膝をつき、道を確かめていたジークが難しい顔をする。
葉月も困ったわね、というように頬に手を当てて、風に波打つ草原を見やる。
「荒野は雨が降らないから、古い轍が残っていたみたいね。道理ですれ違う人もなかったわけだわ」
「向こうに見える山々と太陽の位置で方角は分かりますから、今まで向かっていた方向にそのまま進みましょう」
膝についた草を払いながら、ジークが立ち上がる。
「それしかないでしょうね」
葉月が同意すると、「では」とジークが先に歩き出す。
二、三歩遅れて葉月がその後を追う。
何とか調子を取り戻し、既に杖にすがったような亡者ではなくなっていた。
疲れた足を補う杖の使い方が分かってきたし、足の運び方も自然と舗装された道を歩く時とは変わってきている。
ただ、赤茶けた荒野から緑の草原に入ったことにより、草に足を取られたり草に隠れた穴にはまりそうになったりもしたが、ジークの歩いた後をなぞることによって、それらを回避することが出来た。
本当によく出来た“弟”である。
いや、どちらかというと、お姫様を守る騎士のようだろうか。
葉月としては守られて当然と思えるほど神経が太くも鈍くも卑屈でもなかったので、野宿の準備など積極的に自分が出来ることをした。
ジークは旅慣れた者が慣れない者に気を使うのは当然と言うが、そんなわけがないことを知らないほど葉月は世間知らずではない。
“姉”としての矜持の問題もある。
ジークも一見おっとりとして見える葉月に、頑固で苛烈な一面があることは知っていた。
なので、必要以上に気を使ったりはしない。
エルフィムの設定ではないが、葉月は良家の子女に見えた。
蓮っ葉な話し方をしてはいるが、所作に品があるのだ。
実際、葉月の生家は四百年以上続く旧家なのだという。
葉月曰く、古いだけで荒々しい家柄とのことだが、孤児上がりの傭兵だったジークと比べればそれこそお姫様のような身分だ。
葉月もジークの生まれと生業は知っていたが、態度は変わらない。
それが何よりも嬉しい。
生まれを知って、それまで普通に話していた女の顔に嫌悪の表情が浮かぶことなど、数えきれないほど経験してきたジークにとって、葉月は理想の“姉”だった。



お昼に休憩をとり再び歩き出すと、今度は背が高い木が増えてきた。
立派な森である。
そうすると今度は細くはあるが、踏み固められた道に出た。
獣道にしてはやや幅がある。
その道には、新しい蹄(ひづめ)の跡が残っていた。
ジークの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「ねえさん、この道をたどれば街につけそうですよ」
「本当。良かった」
葉月もほっとしたように微笑んだ。
やはり道があると歩くのも楽だし、心理的にも安心する。
二人の足取りも自然と軽くなった。
その道をしばらく進むと、今たどってきた道よりも大きな道に出た。
どうやらあの細い道は支道だったようだ。
こちらが現在の街道なのだろう。
支道と街道が合流した地点には、立て札が立っていた。
そこに書いてある文字は読めなかったが、大きな矢印が道の西へとのびる方を指していることから、おそらくそちらが街なのだろう。
二人が手を叩いて喜んでいると、東の方からガラガラという音が聞こえてきた。
何の音だろうと、しばらく待っていると、山羊と羊の中間のような姿をした牛ほどの大きさの生き物が二頭、幌馬車を引いてくる姿が見えた。
いや、引いている生き物が馬ではないので、馬車というのは不適切だろうが、あいにく葉月にはその生き物の名前がわからない。
御者台に座っている中年男性の他に、幌馬車の周りに二人の男たちが足早に歩いていた。
二人の男たちの腰には、剣があった。
御者台の中年男性の身なりはそれなりに良さそうだったが、剣をはいた徒歩の二人はどう見ても堅気の人間には見えない。目つきが鋭すぎる。
おそらく、中年男性は商人で、男たちは商人が雇った用心棒か何かだろう。
この世界に来て初めて会う住人だったが、それが善人であるとは限らない。
が、やはり情報は欲しい。話す価値があった。
ジークはさりげなく、葉月の前に移動する。
幌馬車の男たちは、葉月たちの姿に道行く速度を落としていた。
おそらく、旅姿をした二人の年齢が若過ぎるからだろう。
周りに保護者らしき姿はないのだ。
いぶかしがって当然だった。
葉月たちの前で馬車を止めて、商人がにこやかな笑顔で話しかけてくる。
「こんにちは、お嬢さん方。よいお天気ですね」
「こんにちは。えぇ、本当によいお天気で。旅日和ですね」
葉月がおっとりと笑って答える。
ジークは警戒しているのが丸わかりのように、ちらちらと用心棒たちの方を気にしており、用心棒たちも胡散臭そうに二人をじろじろと見ていた。
異様な雰囲気だったが、商人は笑顔を崩さずに続ける。
それを受ける葉月も笑みを浮かべたままだ。
「失礼ですが、どなたか大人の方は一緒ではないのですか? こんなに可愛らしいお嬢さんとお坊ちゃんだけにするとは不用心ですね」
「ご心配頂きありがとうございます。ですがお気になさらないでください。少し休んでいるだけですので」
問いかけに微妙にずれた答えを返す葉月に、商人は心配気な表情を浮かべる。
「おや、そうなのですか。この辺りは賊が出ますよ。お嬢さん方も<ウクジェナ>へ向かっているのでしょう? よろしければご一緒しませんか?」
<ウクジェナ>という名は初めて聞いたが、おそらく街の名なのだろう。
葉月はあたかも最初から街の名を知っていたかのように尋ねる。
まだまだ遠かったらどうしよう、というように不安げな顔で、だ。
「はい。<ウクジェナ>はまだ遠いのでしょうか?」
「いやいや。お嬢さん方の足でも日暮れ前までには着けるでしょう。森の木々が鬱蒼(うっそう)としているので城壁も見えませんが、もう少しですよ」
商人の言葉に、葉月はほっとしたような表情を浮かべる。
「それを聞いて安心しました。ご厚意を無下にするのも申し訳ありませんが、私たちなら大丈夫です。どうぞお進みになってください」
葉月は微笑みながら、手の平で西を示す。
商人は良心がとがめるのだろう。
複雑な顔をしていたが、有無を言わせない葉月の微笑みにしぶしぶと「そうですか」とうなづき、幌馬車を進めようとした。
しかし、そのわずかなやり取りが、商人たちと葉月たちの運命を決定づけた。



最初に異変に気付いたのは、ジークだった。
「ちっ、囲まれました!」
鋭く叫び、二振りの短刀を抜き放つ。
それで道の両脇から殺気が沸き立った。
用心棒の二人もそれに反応して剣を抜刀する。
商人が慌てて幌馬車を進めようとするが、木々の間からわらわらと男たちが飛び出し、行く手をふさぐ。
あっという間に退路もふさがれ、五人は袋の鼠となった。