混沌なき箱庭 2‐2

混沌なき箱庭 2‐2

 葉月たちを包囲したのは、むさくるしい髭面の男たちだ。
各々、違った武器を手にしているが、それなりに統制はとれている。
全部で二十人以上はいるだろうか。
どこからどう見ても、盗賊である。
「ねえさん、すみません。用心棒たちに気をとられて、気づくのが遅れました」
ジークが苦々しい顔で、盗賊たちをにらみつけた。
葉月も固い顔をして、杖を握っている。
「どちらかといえば、幌馬車が標的でしょうね。私たちが足止めしてしまったから、格好の餌食になってしまったみたい。悪いことをしたわ」
油断なく辺りをうかがってジークが小声で言う。
「突破口を開きます。そこから逃げてください」
「無理ね。人数が多過ぎる。すぐに追いつかれるのが落ちよ。森の中は?」
「伏兵がいるようです。俺たちには土地勘がありません。しかし、あちらにしたら庭のようなものでしょう」
葉月の眉間にしわがよる。
「万事休す、か」
「いえ。ねえさんは俺が守ります。必ず逃がしてみせます」
覚悟を決めた顔で言うジークに、葉月はきっぱりと言い切った。
「馬鹿言わないで。ジークを置いては逃げられるわけないでしょ」
「おおっと、麗しき姉弟愛だなぁ。泣かせるぜ」
下卑た笑みを浮かべ、一人の盗賊が前へ出る。
その男だけが皮の胸当てではなく、皮のよろいを着ている。
おそらく、盗賊の頭だろう。
盗賊の頭はにやにやと笑ったまま、手下たちを振り返る。
「野郎ども。商人と用心棒は殺して構わねぇが、ガキ共は殺すなよ。売っ払うからな」
その声と同時に、盗賊たちが葉月たちに襲いかかる。
そこにあえて踏み込んだのは、ジークだった。
小さい体を跳躍させ、短剣を振る。
先頭にいた盗賊の首から血しぶきがあがり、崩れ落ちた。
その結果に目をやることなく、次の盗賊の腹に短剣をねじ込み、えぐる。
そのまま右から来た盗賊からの盾にするように、腹を刺した盗賊をそちらに蹴飛ばし、短剣を引き抜いた。
勢い余って、右から来た盗賊の剣が、腹を刺された盗賊の肩に食い込む。
その隙に、右から来た盗賊の喉をかき切って、大きく後ろへと下がる。
その直後、ちょうどジークが先ほどまでいたところに、鉈が飛んできた。
後続の盗賊が投げたものだ。
盗賊たちの間に動揺が広がった。
どこからどう見ても十歳前後にしか見えない子供が、あっという間に自分たちの仲間を三人も殺したのだから、混乱するのも当たり前だ。
商人の用心棒たちもそれなりの手練れなのだろう。
その動揺の隙に、それぞれ一人ずつ仕留めていた。
それでも、十五人は残っている。
しかも、敵は四方にいるのだ。
いくらジークが獣染みた動きで倒そうにも、全ての敵を一辺に相手出来るわけではない。
威嚇(いかく)のため、先ほどとは逆の方向へ駆け出し、また一人倒したところで、背後から盗賊の頭のだみ声が響く。
「用心棒共は囲みゃあ何とかなる! あのボウズは後回しにしろっ。姉の方を人質にとれ!」
「ねえさん!」
ジークは葉月の方へ駆け寄ろうとしたが、斜め後ろからの攻撃を避けて転がる。
そのままの勢いで足払いをかけ、すかさず止めを刺したが、遅かった。



二人の盗賊がにやにや笑いながら、葉月に近づく。
葉月は幌馬車を背に立っていた。
盗賊たちが近づくにつれ、御者台の商人の顔色がどんどん青くなる。
しかし、葉月の顔には何も浮かんでいない。
たれ目気味な目は、無表情でも怯えたように見えた。
盗賊たちは勝利を確信していた。
弟の方は獣染みた強さだが、こちらを抑えれば簡単に片がつくと。
その油断が仇となった。
盗賊たちがあと数歩というところまで来た時、葉月が動いた。
流れるように杖を構え、盗賊の右肩を突く。
まさか攻撃されるとは思っていなかった盗賊が、驚愕の表情を浮かべてひっくり返った。
葉月はそのままもう一人の盗賊の手を杖で打ち、蹴りを食らわした。
右肩を突かれた盗賊は、肩を押さえてうずくまっている。
関節が外れたのだろう。
蹴りを食らわされた盗賊もたたみ掛けるように足払いを受け、無様に転がる。
葉月はその右腕に容赦なく足を踏み下ろした。
骨が砕ける嫌な音と悲鳴は、怒号と剣戟(けんげき)の響きにかき消された。
手下の二人が無力そうな少女にやられたのをみて、盗賊の頭の顔が怒りでどす黒く染まる。



ジークは更に一人を倒して、葉月の側に寄り、短剣を構えたが、その肩は激しく上下していた。
ジークは確かに獣染みた強さを見せたが、その動きに体が付いていけないのだ。
それは致し方がないことだった。
まだその体に創り変えられて、十日も経っていない。
その前は、今の体とはかなり異なった構造をしていたのである。
背が縮んだせいで視界はまったく違っており、間合いが狭くなった。
筋力も落ち、自由に操れるのは短剣のみであったから、その装備に異論はないが、そもそも短剣での戦いなど経験したことがない。
食料よりも水がなくなる方が心配だったので、激しい運動は避けており、短剣を手に馴染ませるまで至っていなかった。
背丈も筋力もそう大して変わっていない葉月とは違うのだ。
爪も牙もない小さな体……。
それがこんなにも無力だとは知らなかった。
ジークの顔が悔しさで歪む。
葉月の心はくじけそうになっていた。
稽古でも多対一の試合は多く行ってきた。
だが、これは試合ではない。
殺し合いだ。
むせ変えるような血の臭い。
吐き気がする。
先ほどだって、敵がやってくるまで動かなかったのではない。
動けなかったのだ。
分かってはいたが、どれだけ甘っちょろい世界で生きてきたのだろう。
本音を言ってしまえば、今だって逃げ出したい。
泣きわめいて、目も耳もふさいでしまいたい。
杖を持つ手が震える。
盗賊の腕を砕いた足には、その感触が生々しく残っていた。
盗賊を二人も無力化したことに一番驚いているのは、葉月自身だった。
体が勝手に動いたのだ。
二十年以上、体に叩き込んできた結果だった。
だが、心はそこまで強くない。
ジークが側にいることで、かろうじて意識を保っているのだ。
用心棒たちにしても、囲まれて切り結んでいるが、多勢に無勢。
かろうじて致命傷は避けているが、怪我ばかりが増え劣勢だ。
商人は泡を吹かんばかりに震えている。
ジークが五人、葉月が二人、用心棒たちが一人ずつ。
計九人を倒した計算になるが、盗賊はまだ十人以上残っている。
しかも、仲間を倒され、怒り狂っていると同時に、修羅場慣れした盗賊たちからは油断が消えていた。
ジークには三人、葉月にも二人の男たちが襲いかかる。
しかも、先ほどとは違い、盗賊たちの連携がとれていた。
ジークは太ももを斬られて転び、短剣の一振りを落としてしまった。
囲んでいた盗賊がすかさず、その短剣を遠くへ蹴り飛ばす。
なんとか立ち上がり、攻撃を避けて応戦するが、先ほどの動きに比べると明らかに精彩を欠いていた。
葉月も怯える心を叱咤し目まぐるしい攻防を繰り広げるが、袈裟がけの一撃を思わず杖で受けてしまった。
木製の杖が、真っ二つになる。
その隙を盗賊は見逃さなかった。
葉月の腕から血しぶきが飛ぶ。
使えなくなった杖を捨て、半身の構えをとるが、左腕は下がり気味だ。
用心棒たちも、明らかに限界だった。
葉月たちの心を絶望が支配していく。
その時だった。



ぎゃああああああああ。
森の中から複数の悲鳴が聞こえてきた。
明らかに野太い悲鳴は、伏兵の盗賊たちだろう。
しかも、それは一方からだけではない。
右からも左からも、悲鳴が聞こえ、しかもそれらは近づいてきているようだった。
困惑と動揺がその場に広がる。
「何なの……」
呆然とつぶやいた葉月の言葉に、返答があった。
「分かりません。盗賊たちにとっては敵のようですが、俺たちの味方か、それとも俺たちにとっても敵なのか……」
盗賊たちの注意が左右の森へと向いている隙に葉月の側までやって来たジークは、手慣れた様子で外套の裾を裂き、葉月の左腕に巻きつけ止血する。
「動きますか?」
「ありがとう。神経は大丈夫みたい。ジークは?」
「大丈夫です。動けます」
力強く受け合いながら、自身の太ももにも外套の切れ端を巻きつけ止血した。
その間も辺りを油断なくうかがっている様は、さすがだった。
葉月もジークが落ち着いているのを見て、自分を取り戻した。
まだ体は震えていたが、周りを見る余裕が少し出てきている。
だが、葉月とジーク以外のものは、浮足立ったままだ。
場を支配する、まるで得体の知れない化け物が迫りくるような奇妙な緊張感。
その均衡を破ったのは、森の中から突如飛び出してきた黒い獣……ではなく、浅黒い肌をした長身の女性だった。