1.

 決して広くない元宿屋の一室に、三人の男が集まっている。

重苦しい雰囲気の中心には、丸められた紙片。

それは西の動向を探っている同志から、つい先程、開門と同時に届けられたものだ。

ルトが代表してその紙片を開いた。

その内容に、ルトは滅多に見せない真面目な顔を見せる。

「よくない知らせか?」

ルトは黙ってザップに紙片を渡した。

紙片に目を通しているうちに、ザップの表情がくもる。

「そんなに悪い知らせなのかい?」

ザップも黙ってエゼルドに紙片を手渡す。

ざっと書かれている文字列に目を通していくと、なるほど、かなり悪い知らせだとエゼルドは思った。

紙片には、西の大国<エイデン王国>が中心となり、

東への遠征軍を編制するために、西方のいくつかの国々が同盟を組んだと書かれていた。

「いつかは来ると思っていたけど、思っていたより早かったね」

エゼルドが紙片をルトに戻しながら言った。

口調は軽いが、顔は困惑と焦りと納得が入り混じった複雑な笑顔だ。

「やはり<エイデン王国>が動いたか。あそこならやりかねんとは思っていたがな」

ザップが忌々(いまいま)しいと吐き捨てながら、煙草に火をつける。

「現国王のバルドゥイン三世は、聡明な名君と名高いからね。

未だ<エイデン王国>が大国としての体裁をつくろっていられるのも、彼の力が大きいみたいだし」

「それに、あそこには煮ても焼いても食えないし、生で食べたら毒にあたる古狸の宰相殿がいるからね」

「あぁ、確か、なんとかクロイツとかいう、クソじじいだったな」

「ヴェルナー=クロイツ宰相だよ」

「まぁ、そんな死にぞこないのことはこの際置いておくとして」

ルトは残りの二人の顔を見回して言った。

「あの計画を早めようと思う。エゼルド、同盟軍がやってくるまでに、

どのくらいの猶予(ゆうよ)があると思う?」

エゼルドはちょっと考える仕草をし、この状況を考えての予想だけど、と前置きして言った。

「あちらは大軍を送ろうとしているみたいだし、いくつかの国々の寄せ集めだから、

まとめるのに時間がかかるだろうね。今は晩夏だから、多分冬が終わって雪がとければ直ぐにでも」

「あんまり時間がねぇな。今直ぐにでも出発した方がよさそうだ」

ザップの意見に、ルトがうなづく。

「で、その人選なんだけど、ザップとエゼルドはここに残ってくれないかな」

この言葉に、ザップとエゼルドはハッキリと解せないという顔をした。

「最初の計画では、俺とザップが行く予定のはずだったよね?」

「まさかオマエ、自分で行く気じゃねぇよな?」

「え? 俺が行くつもりだけど?」

 

 

一瞬の沈黙が降りた。

真面目な顔を崩しきょとんとしたルトの顔は、とてもじゃないが実年齢の三十一には見えない。

何が悪くて叱られているのか分からない幼子のように首を傾げるルトに、

ザップとエゼルドは立ち上がり、猛然と説得を始めた。

「ふざけんじゃねぇぞ! 今この時に要のオマエが出て行くなんざ、とんでもねぇこった!」

「そうだよ、ルト。今は東の運命を決める大事な時なんだよ?」

「だからこそだよ」

年上年下の同志に挟まれ、両側からの説得という名の説教を聞き流し、ルトは再び真剣な顔になった。

「今の東はバラバラだ。いくつかの都市が出来てきてはいるけど、それだってまだ若い。

西が同盟を組み攻めてくるのなら、東も連携して守らなきゃいけない。

東は東として西に対抗するしか、打つ手はないんだ。

そのためには各地を巡って結束を呼びかけるのが最善の策という結論は出たけど、

それにはやっぱり、俺自身が行かなきゃいけないように思う。使者じゃダメなんだ。

呼びかける本人が行かなきゃ、信用も賛同も得られないよ」

ルトの言葉に、二人の同志は黙り込む。反論はできない。それが正論だと分かっているからだ。

はぁ。ザップは大きなため息と一緒に紫煙を吐き出した。その煙は見事に歪んだ筋となる。

エゼルドもやれやれというように、寝台に腰を下ろした。

「オマエの言い分はわかった。だが、一人で行かせるわけにはいかねぇぞ」

「ザップはルトの代わりにこっちの方の調整をするとして、俺はなんで留守番なんだい?」

二人同時に言われたルトは苦笑し、考えていたことを話し出す。

「うん。まずエゼルドの方からね。エゼルドにはザップの補佐をしてもらいたい。

ザップはあまり口が上手くないし、顔も怖いから」

「オイ」

ザップが低い声でうなるが、エゼルドは笑いを噛み殺しながら、

「了解」

と請け負う。

確かに、自分にはそういう仕事が性に合っている。そしてザップはそういう仕事が得意ではない。

というよりも、結構細やかな気配りができるのだが、相手がそう受け取ってくれないのだ。

ここまで外見で損をしている男は、他にあまりいないだろう。

「で、ザップの方だけど、他に三人連れてこうと思ってるから安心して」

そう言ってルトはにっこりと笑う。

ザップが自分を心配してくれているのが、純粋に嬉しいらしい。

「誰を連れてくんだ?」

「うん、まずはタムカ。彼の五感の鋭さは頼りになるから」

「ん、まぁ妥当だね。で、二人目は?」

エゼルドは狼のような青年を思い出し、続きを促す。

が、ルトはやや口ごもって、視線を彷徨(さまよ)わせ、なかなか続きを話そうとしない。

「そんなに言いにくいヤツなのか?」

ザップの問いに、ルトは微妙な顔でうなづく。

「この間、リィレンに占ってもらったんだ。誰を連れて行くべきか。

大体は決めてたんだけど、やっぱり気になってね。タムカはいいって出たんだけど、

残りの二人が意外・・・いや、

一人は出来れば連れて行きたいとは思ってたんだけど・・・そのぅ、

もう一人があまりにも意外っていうか、なんていうか・・・」

リィレンは巫女で”先見”の力を持っているが、その他にも札占いが得意だったりする。

彼女の占いは明日の天気から相性占い、今年の豊作不作まで外れたことがない。

その彼女の占いで出たのだから、間違いのはずはないのだが・・・。

歯切れの悪いルトに、さっさと言えと無言で圧力をかけるザップとエゼルド。

ルトは意を決して、口を開いた。

「それがさ、シュレイヤとイディスを連れてけって出たんだ」

「「はぁ?」」

見事に重なった驚きの声に、自分が責められているような気分がして、

ルトはだから言いたくなかったんだと、肩を落とした。

 

 

2.

「イディス!? イディスってあのイディスだよね? 銀髪紅目の」

「お前、正気か? イディスを連れてくなんざ、自殺行為もいいトコだろう?」

ルトはてっきりシュレイヤを連れてくことを反対されると思っていたので、二人の反応に首を傾げた。

「イディスは強いよ? リィレンの占が外れるはずもないし。何でそんなに反対するんだ?」

「な、何でってルト・・・」

エゼルドはひきつった顔で、信じられないモノを見るかのようにルトを見た。

「もしかして、気付いてない?」

「だから、何が?」

本気で分からない様子のルトに、ザップが、

「いや、なんでもねぇ」

と首を横に振る。そしてエゼルドの肩に手を置き、

「にぶいとは思っていたが、これほどまでとはな。言うだけ無駄だ、放っておけ」

ザップの言葉に、エゼルドは「そうだね」とうなづいた。

二人は生暖かい目でルトを見、一言だけ言った。

「頑張れ」

と。

 

 

飯屋の隅の席の方に何やら視線が集まっているとシュレイヤが気づいたのは、

あまりに忙しそうにキリたちが働いているのを見て、自分も料理を運ぼうか、と申し出たからである。

シュレイヤの両親は「働かざる者、食うべからず」という教えを娘に叩き込んでいた。

この時代、子どもが働くのは当たり前だった。

子どもとて、重要な労働力だからだ。

そういうふうに育てられたシュレイヤだったから、いくら同志だからといって、

否、同志だからこそ、ただの食客になりたくなかった。

というわけで、シュレイヤは前掛けをして、席の間をぬうように働き回っているのである。

シュレイヤがテライセンに来てから、二月が経っていた。

「これ、黄の一番な」

厨房のキリの父が出した出来立ての料理を受け取る。

黄の一番とは席番号のことで、ちょうどあの視線が集まっている隅の席のことだ。

シュレイヤは盆に料理皿を乗せると、好奇心半分で隅の席へと運ぶ。

「おまちどおさま」

そう声をかけて料理を卓の上に置くと、客が顔を上げた。

まず目に入ったのは、珍しい紅い目だ。

髪の色は銀。櫛(くし)で梳(す)けば、絡まることなく梳けるだろう背中の中ほどまである髪を、

ゆるく三つ編みにしている。

肌は透き通るように白く、けれど不健康さは微塵もない。

見れば見るほど、悪魔も裸足で逃げ出すような美青年である。

シュレイヤが自分を見ていると気づくと、青年は口の端を吊り上げた。

次の瞬間、シュレイヤは自分の耳を疑った。

「ふふ、アタシに見とれてるの?」

とびっきりの美青年の口から飛び出したのは、なんとオネエ言葉だった。

 

 

3.

 シュレイヤは目をぱちくりして、目の前の人物を見た。

一瞬、本当は女だったのかと思ったが、声は低いし喉仏もある。

どこからどう見ても男だ。

固まっているシュレイヤを正気に戻したのは、聞き覚えのある声だった。

「やっぱりここにいたのね、イディス」

振り向けばリィレンが腰に手を当てて立っていた。

「あら、小娘ちゃんじゃない。何か用?」

「用があるから呼んでるんじゃない。それと、小娘って呼ぶの、止めてくれない?」

「小娘を小娘と呼んで何が悪いの? アタシには皆目見当もつかないわ」

ふふんと嘲(あざけ)るイディスに、リィレンは額に青筋を浮かべながら言い返す。

「黙れよ! このカマ野郎!」

「まぁ! なんて口の悪い。オカマを差別する気!」

「あたしが嫌いなのはオカマじゃなくてあんた自身よ!」

二人がぎゃあぎゃあと言い争っているのを、シュレイヤは黙って見ていた。

というよりも、口もはさめず呆然と立ち尽くしていたと言って良い。

シュレイヤとて、“オカマ”と呼ばれる人々がいることを知識として知っていた。

しかし実際に会ってみると、あまりに強烈な衝撃を受けた。

イディスが外見も女のようだったら、これほどまでは驚かなかっただろう。

しかし“彼女”の外見はどこからどう見ても男にしか見えない。

服からのぞいた手首を見れば、鍛え上げられた筋肉が全身をおおっているのが判る。

しかもそのイディスと言い争っているのは、これまた黙っていれば神々しい美しさのリィレンだ。

シュレイヤがいくら田舎者の世間知らずだと言っても、
美醜を判断する審美眼くらいは持ち合わせている。

だから心の底から思った。

(・・・何か・・・もったいないな)

 

 

ガゴンッ、ガゴッ、ドゴッ。

はたから見れば金髪の美女と銀髪の美男の言い争いに終止符を打ったのは、

鋭いキレと手首の力で振り下ろされたキリの盆だった。

言い争っていたリィレンとイディスの頭を叩き、シュレイヤの額を打つ。

「ウチは客商売なの! 喧嘩するなら外でやんなさい! シュレイヤ、あんたも仕事! 働く!」

キリが腰に手を当て、利き腕で盆を持ち上げると、イディスとリィレンは引きつった顔で弁解を始めた。

「ち、違うのよ、キリ。アタシたちは別に喧嘩なんてしてないわよ。ね、リィレン」

「そ、そうよ? 嫌ね、キリったら。あたしたち、仲良しだもの。ね、イディス」

手を合わせ「ね〜」と声を合わせて仲の良さを訴える二人。

キリから見えない卓の下で、互いの足を思いっきり踏みつけていたけれど。

ある意味とばっちりをくったシュレイヤは、ジンジンと痛む額をさすりながら仕事へ戻ろうとする。

それを引き止めたのは、おそらくは後頭部ではなく足の痛みで顔を引きつらせたリィレンだった。

「シュレイヤ、この後ちょっといい? 大事な話があるの、ルトから」

「ルトが?」

「そう、だから呼びに来たの」

これに黙ってなかったのは、イディスだった。

「ちょっと! 何でこのお嬢ちゃんがルトに呼ばれるのよ!?」

そう言って敵愾心(てきがいしん)もあらわに、シュレイヤをにらみつける。

シュレイヤは初め、それを自分がまだ子どもだから同志に見えないのだと受け取った。

しかし次の瞬間、その意識はくつがえさせられた。

「悔しい! アタシのルトが!」

「いつからルトがあんたのモノになったの!」

手巾(ハンカチ)を喰いしばって絶叫するイディスを、リィレンが怒鳴りつける。

「アタシとルトは前世から運命の赤い糸で結ばれてるのよ」

「んなワケないでしょ! ルトは渡さないんだから!」

再びぎゃあぎゃあと言い争いを始めた二人は、何を隠そう、ルトを巡っての恋敵である。

二人とも気が強く、互いに一歩も譲ることはない。

「このへっぽこ巫女! アタシに勝とうだなんて百億年早いのよ!」

「何よ! このへなちょこカマ野郎! あたしの方が魅力的に決まってるでしょ!」

シュレイヤは彼女を見て、安全圏に非難することにした。

彼女の周りの温度が、すぅっと下がっていくように感じられたからだ。

とばっちりは一度で十分である。

周りの客たちも食事の手を止め、彼女の一挙一動に注目している。

気づかぬは騒ぎの中心にいる二人のみ。

ゆっくりと彼女の右手が振り上げられる。

その先には木で出来た盆があった。

大事に使い込まれてきたのだろう。年季が入ったいい飴色をしている。

だがその命も今日までだ。木製の器は衝撃に弱い。

シュレイヤはそっと目をそらし、心の中で盆の不幸を悼む。

一瞬の後、痛そうなドゴッという音が二発響いた。

 

 

4.

 カラン、カラン。

飯屋の扉が開いた。

それに気づいたシュレイヤは、苦手な笑みを浮かべて振り向く。

「いらっしゃい、お一人ですか?」

「いや」

入ってきたのは十代後半くらいの青年だった。

短い黒髪と、同じく黒く鋭い瞳が印象的だ。

その足運びから、並みの人間ではないことをシュレイヤは悟った。

野生の獣を思わせるような雰囲気の持ち主である。

「では待ち合わせを?」

「違う、オレは・・・」

「あら、タムカじゃないの? 珍しいわね、表から来るだなんて」

二人の騒がしい客を始末したキリがやってきた。

「ルトに呼ばれてやってきたんだが、裏は閉まっていた」

「あら? 変ね、どうしたのかな。ま、いいわ、シュレイヤは初対面だったよね?

紹介するわ。こっちはタムカっていうの。あなたの同志よ。

タムカ、シュレイヤよ。仲良くしてあげてね?」

キリはにこやかに年上のタムカに笑いかける。

しかしタムカはちらりとシュレイヤを見て、眉間にしわを寄せた。

「こんなガキが同志?」

「そんなこと言わないの、まったく。シュレイヤはルト自らが連れてきたのよ?」

キリが聞き分けのない弟を諭すような口調で言うと、タムカの目が大きく見開かれた。

信じられないものを見るかのように、シュレイヤを見ている。

「このガキを? ルトが自ら連れてきたって? 何の冗談だ。まだ十五くらいだろう?」

「あんただって、まだ十八じゃない。大して変わんないでしょ?」

「私は十二だ」

あっさりと言ったシュレイヤに、タムカは目をむく。

「十二だと!? ふざけるな! お前なんぞ、オレは認めん!」

いきなり胸倉を掴まれて、シュレイヤはむっとした表情でタムカをにらむ。

ここまでやられて、大人しくしているようなシュレイヤではない。

タムカの隙をついて、その胸倉を掴み返した。

同じくらいの背丈のシュレイヤとタムカだったが、

十二で女のシュレイヤと、十八で男のタムカでは筋力も体力も違う。

シュレイヤの体勢が崩れそうになり、キリが怒鳴ろうとしたその時、

奥からのんびりとした声が聞こえた。

「あれ? 騒がしいね、どうしたの?」

「「「ルト!」」」

見事に三人の声が重なった。

未だ足の踏み合いをしていたリィレンとイディスが、

二人同時にシュレイヤとタムカを突き飛ばしながらルトの元へ向かい、

タムカもまた、いきなり手を放したかと思うと、

シュレイヤのことはさっぱりと無視して、ルトの元へ駆け寄って行った。

出入口近くで伸びた襟元を直しながら、シュレイヤは無表情にその光景を見ていた。

もちろん、シュレイヤはルトの名を呼ばなかった組である。

「・・・主人に駆け寄る犬みたいだな」

「タムカはルトのこと、敬愛というか・・・もはや崇拝してるのよ。ルトは強いから」

周りの客に騒がせたことを詫び終えたキリは、ルトを囲んで騒いでいる三人を呆れた目で見ながら、

シュレイヤの独り言に答えた。

シュレイヤは隣に立つキリを見下ろして、奥を指差す。

「いいのか? あの三人、かなりうるさいと思うけど」

「いいのよ、もう。ああなったら止まらないから。

餌を目の前にぶらさげられて、『待て』出来るような奴らじゃないわよ。

それに、あのやりとりを見に来るお客様までいらしてね、もうすっかり名物扱いなの」

諦めきった表情で言い切ったキリに、シュレイヤは内心同情した。

ただし、それを口に出すようなマヌケな真似はしなかったが。

 

 

「シュレイヤ!」

名を呼ばれて奥に目を向けると、ルトが手招きしていた。

他の三人は既に“元宿屋”の方へ入ったらしく、姿は見えない。

おそらく、ルトの鶴の一声で先に行かされたのだろう。

三人ともルトにその形はどうであれ好意を持っているので、彼の言葉には逆らえないのだ。

ルトが来た理由は、先程リィレンが言っていたルトからの大事な話というヤツだろう。

そう見当をつけたシュレイヤは、しかし自分の前掛けと手にした盆に視線を落とし、

現在、自分が飯屋の手伝いをしている状況を思い出す。

シュレイヤはすまなそうな顔で、キリを見た。

「あの・・・」

「いってらっしゃいな。ルトがわざわざ呼びに来たんだから、大事な話なんでしょ」

キリは笑って、シュレイヤの前掛けと盆を受け取った。

「すまない」

「いいのよ。また手伝ってね」

キリやキリの父にぺこりと頭を下げ、シュレイヤはルトの元へ急いだ。

「何?」

「うん、シュレイヤたちに大事な話があるんだ。人が多いから、居間で話そう」

そう促されて、シュレイヤはルトの後について、居間として使用しているやや広めの部屋へ入る。

そこには先程先に行った三人に加え、ザップとエゼルドの姿があった。

低い卓を囲むようにいくつか並ぶ長椅子に、それぞれが思い思いに座っている。

左手にはザップとエゼルドが、右手の長椅子にはリィレンとイディスが端に分かれて座り、

手前の椅子にはタムカが腰を下ろしていた。

一番奥の一人掛けの椅子に、ルトがさっさと座ってしまった為、

空いている席はタムカの隣しかない。

シュレイヤは普段滅多に動かさない表情筋を、思いっきり嫌そうに歪めた。

「シュレイヤ、どうしたの? 早く座りなよ」

タムカとシュレイヤの間に漂う不穏な空気にも気付かず、ルトは首を傾げる。

そのにぶさに苦笑しながら、エゼルドが言い添えた。

「シュレイヤが座らないと話が始まらないからね。何だったら、こっちへ来るかい?」

しかし左手の長椅子は巨漢のザップと、長身のエゼルドで埋っており、

猫一匹が座れるくらいの隙間しかない。

それを分かっていて言うエゼルドは、意地悪だとシュレイヤは思った。

右手の長椅子には、シュレイヤなら余裕で座れるほどの隙間があったが、

長椅子の端と端に座りつつも、にらみ合っているリィレンとイディスの間に割り込む勇気はない。

仕方なく手前の長椅子に腰を下ろす。

タムカが快く思っていないことは、表情や雰囲気で丸分かりだったが、何も言わなかった。

(コイツはルトの前では、多少凶暴な子犬のようだな)

シュレイヤはちらりとタムカを見て、そう思った。

大人しいのか大人しくないのかハッキリしないが、まぁ、的を射た感想と言えよう。

「じゃあ、始めるとするか」

シュレイヤが座るのを待って、口を開いたのはザップだった。

それを受けて、珍しく真剣な顔をルトが言う。

「旅に出ようと思うんだ」

「旅?」

「そう、旅」

いきなりそう言われても、という雰囲気が部屋に満ちる。

自然と皆の視線は、ルトからザップやエゼルドへ移った。

ザップは大袈裟なため息を付くと、ルトに手ずから汲んだ茶を手渡した。

「落ち着け、順番に話さにゃならんだろう」

「苦手なんだよ、こういうの」

先程までの真剣な表情は崩れ、情けない顔つきで茶をすするルト。

それを見て、シュレイヤはルトに好意を抱いている三人の様子をうかがう。

(何と言うか・・・それぞれのルトに対する意識と性格がにじみ出てるな)

リィレンは苦笑し、イディスはうっとりし、タムカは視線をあらぬ方へと向けていた。

シュレイヤはいつもの無表情で、そういえば父のレイザンとルトは、

たいして歳が違わなかったと思い出した。

シュレイヤは現在十二、ルトが三十一になるから、父子でも不思議でない歳の差だ。

ルトがもし父親だったら・・・。

そこまで至った想像を、シュレイヤは打ち消した。

ルトが父親なんぞ、ろくでもないと思ったからだ。

ルトは外見もそうだが、普段の雰囲気が若いというか幼い。

ただそれは、彼が平素はのんびりしている所や、他人の感情の機微に疎いということが原因だろう。

シュレイヤと最初に出会った時はまともそうに見えたものだが、

それはいつも以上に気を張っていたからに他ならない。

虚勢を張っていたと言ってもいい。

こちらが普段のルトの素なのだと、この二月あまりでシュレイヤは理解していた。

そんなルトが同志たちの盟主たるのは、彼が“始めの人”と呼ばれているからでもあり、

その剣の腕が神業とまで謳われるほどの凄腕であるからであり、

不思議と人をひきつける魅力に富んでいるからである。

実際、ルトを盛り立て補佐する人物は多い。

その一人であるエゼルドが、仕方がないねという表情で説明役を買って出た。

彼はルトよりいくつか年下であったが、その泰然としている人柄からか、

兄のように寛大な所があった。

ザップに言わせれば、“甘やかしている”ということになるのだが。

 

 

エゼルドは一枚の紙片を取り出し、背の低い卓の上へ広げた。

シュレイヤはこの時代の庶民にしては珍しく読み書きが出来た。

それは元将軍であった父の教育の賜物であったが、

紙片にびっしり書かれた細かい字は、生憎シュレイヤには読めなかった。

おそらく同志にしか読めない暗号で書かれているのだろう。

ただ、タムカも何が書いてあるのか分からない様子だったので、

知っているのは幹部と間諜だけなのかも知れなかった。

「三日前、これが届いた。西に潜入していた同志からね。

どうやら、西は国家間で協力し、同盟を組んで東に攻め込んでくる気らしい」

「その中心は<エイデン王国>。大国だ。甘くみねぇ方がいい」

と、ザップが言葉を引き継ぐ。

「西がまとまって攻めてくる以上、東もまとまって防ぐしかねぇっていう結論が出た」

「そう、だから旅なんだ。仲間集めのね。各街や村、部族に協力を取り付ける目的もあるんだよ、

と言いたかったんだよね? ルト」

「うん、そうなんだ」

エゼルドの促しに、ルトはうなづいた。

「それで、この顔ぶれに集まってもらったのは、他でもない。

ザップとエゼルドには、俺の代わりにテライセンに残ってもらおうと思ってるんだ」

「ちょっと、じゃあルト自ら行くっていうの!?」

イディスが思わず立ち上がって叫んだ。

タムカも目をむいている。

ルトは首を傾げつつ、イディスに座るよう促した。

「うん、まぁ、イディス落ち着いて。何で皆そんなに驚くのかが、俺は分からないんだけど・・・。

これはザップたちにも話したことなんだけど、俺が盟主として名乗りを上げる以上、

俺自身が呼びかけしなくちゃ、信用を得られないと思うんだ。

東はまだ若い。対して西は老獪だ。国力にも大きな差がある。

というか、東は国という体裁すら、持ってないからね。

西に対抗するには、東が一致団結していくしかないと思う。

一人でも多くの同志を、一つでも多くの賛同を、俺たちに必要なのはそれだよ。

それを得る為に、俺は行こうと思う」

先程までの頼りない感じは、微塵もなかった。

ルトは言いよどむことなく、きっぱりと自分の考えを語る。

その様子に、驚いていた面々もルトの言うことを素直に受け止めた。

そして誰もが、それはルトにしか出来ないことだと思った。

ルトは更に言う。

「で、俺と一緒に行ってもらう顔ぶれだけど、タムカ」

「はい」

「イディス」

「えぇ、もちろんよ」

「そして、シュレイヤ」

「あぁ」

「この四人で・・・」

「あたしも行くわ」

ルトの言葉を遮ったのは、リィレンだった。

困った顔をしたルトに、リィレンは微笑んだ。

「ねぇ、ルト。あたしは役立つわよ? 

行く街で占(うら)をすれば、賛同も得やすくなると思うし、路銀を稼げるもの」

「リィレン、君をここに呼んだのは、行く顔ぶれを占ってもらったからで・・・」

「分かってるわよ」

平然と言い切ったリィレンにくってかかったのは、イディスだった。

「ちょっとぉ、小娘ちゃんが何言ってんのよ! アンタ、戦えるの? 足手まといよ!」

「そうだ、大体オレはこのガキを連れてくのも反対だ。

占いだかなんだか知らないが、女子供を連れて旅なんか出来るか」

「人を指差すな。うるさい」

「うるさいわね、護身術くらい出来るわよ!」

「護身術程度で良いと思ってるのが思い上がりなのよ! 

へっぽこはへっぽこらしく、大人しくお留守番してなさいよ!」

「お前も足手まといだ、さっさと出て行けよ」

「ふん、相手の力量も見ずに馬鹿にすると、痛い目にあうぞ」

「大体、アンタがついて行くって言い出したの、ルトと離れたくないからでしょ!

いやぁね、そんな私情を挟むだなんて。いやらしい!」

「違うわよ! あたしは見届ける義務があるの!」

「ガキはガキらしく、ままごとでもしてろ。お前の顔を見るだけで不愉快だ」

「じゃあ、そっちが出てけばいい。私が出て行く必要はないな」

それぞれの口論が激化したその時、室内に怒声が響き渡った。

「うるさい!!」

滅多に声を荒げることのないルトの大声に、四人の動きがぴたりと止まる。

ルトの顔から、いつもののんきな笑顔が消えていた。

そこに居たのは同志ルトではなく、剣聖ルトだった。

「座れ」

発した言葉はたった一言だったが、その迫力に立ち上がって口論していた面々は大人しく席につく。

部屋に張り詰めた重苦しい空気が満ちる。

その空気を破るように、背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いて緊張している四人に苦笑しながら、

エゼルドがとりなした。

「ルト、皆も反省しているみたいだから、許してあげたら?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだね」

ふっと、部屋の空気が緩んだ。

シュレイヤは思わず、大きく息を吐いた。

まだ鳥肌の立っている腕をさすりながら、ルトはただの昼行灯ではないと改めて思った。

「リィレン」

「は、はいっ」

ルトに名を呼ばれたリィレンが思わず姿勢を正す。

ルトはじっとリィレンの目を見ながら、尋ねた。

「覚悟は出来てるの? 東は治安が悪い。何があるか、分からないんだよ?」

「えぇ、もちろんだわ。それを承知で言ってるの。外を知らないほど、古い街人じゃないわよ」

リィレンは臆することなく、ルトを見返して言った。

そこには、何としてでもついていくという、固い決意があった。

ルトはそれを認め、大きなため息をつく。

「分かった、俺の根負けだよ。一緒に行こう」

「有難う、ルト」

リィレンが極上の笑顔で礼を言う。

見る者全てを虜(とりこ)に出来るような笑顔だったが、生憎ルトには通用しなかった。

普通にリィレンに微笑み返したルトは、部屋にいる全員の顔を見回して言った。

「今回の旅に、東の命運がかかっている。

俺は誰の力もが必要だし、それはここに居る皆だけじゃなくて、東の民、全員の力が必要だと思う。

俺たちが住む土地は、俺たちの手で護ろう。東の為に、皆の力を合わせよう」

ルトの言葉に、全員がうなづく。

そして全員が思ったのだ、指導者はルトしかいないと。

 

 

5.
旅立ちの日は、門まで多くの街の住民が押し寄せていた。

シュレイヤはその人々を見て、どれだけ期待が大きいか実感させられた。

父親から譲り受けた外套(マント)の下で、ぎゅっと拳を握る。

これから先に待ち受けること、それを想像すら出来ないのは、

今までに行ったことがある場所が、生家の近くとこのテライセンの街だけだからだ。

まず、元とする情報が乏しいのだ。

東は広大だと聞く。

昼間でも薄暗い森、海のように広い湖、天高くそびえる山、嵐の吹く荒野、砂の海、

話でしか聞いたことのないそれらがどういうものなのか、シュレイヤには想像がつかない。

そのような場所を旅しながら、仲間と協力者を集めると考えると、漠然とした不安感があった。

街の皆の期待に応えることが出来るのだろうか・・・。

「おい」

ぶっきらぼうな声に振り向くと、そこには不機嫌そうなタムカが居た。

タムカは栗毛の馬の手綱を引きながら、シュレイヤの隣に立つ。

「お前、まさか今頃になって怖気づいたんじゃないだろうな」

「失礼なことを言うな。誰が怖気づいたって?」

冷ややかな目で見てくるタムカに、シュレイヤはにらみつけながら応えた。

タムカは流石に、シュレイヤが女だと気付いていた。

普通、一目では分からなくとも、幾度か会えば分かるものだ。

その上タムカはシュレイヤと取っ組み合いの喧嘩までしていた。

気付かない方がおかしい。

だからと言って、タムカがシュレイヤに手加減をするなどということはなかった。

タムカは気に入らない者が女だからといって、容赦をするような性格ではない。

気に食わないものは気に食わないのである。

これから一緒に旅をするとなると、顔を合わせる時間が格段に増えるだろう。

それは、二人の喧嘩の増加を意味しているに他ならない。

そしてタムカが不機嫌なのには、もう一つ理由があった。

「だいたい、何でお前をオレの馬に乗せなきゃなんないんだ」

タムカが吐き捨てるように言うと、思いがけずその問いに対する返答があった。

「あら、しょうがないでしょ。シュレイヤは馬に乗ったことがないっていうし、

アタシたちの中では、アンタが一番馬術上手いんだから」

突然口を挟みに来たイディスは、シュレイヤの頭に肘を乗せて肩をすくめてみせる。

シュレイヤが憮然とした顔で「重い」と文句を言うも、イディスはそれを無視して続けた。

「アンタたち、仲良くしなきゃ駄目よぉ? 旅は道連れ、世は情けって言うじゃない?

互いに思いやるの心が大事なんだからね」

「それはお前らが仲良くしてから言え」

ここでタムカが言うお前らとは、もちろんルトをめぐっての恋敵、イディスとリィエンのことである。

それを聞いたイディスは眉をひそめ、「やぁねぇ、ちょっと今の聞いた?」などと言いながら、

手の甲を口の横に当てている。

いわゆる、「奥さん、ちょっとここだけの話なんだけど」のポーズである。

「あ・・・それよりも、皆はまだ街の人たちに捉まってるのか?」

シュレイヤは銀髪紅眼の美青年が、女言葉を喋ることに慣れてしまった自分に気付きながら、

話題をすり替える。

広い東を徒歩で回っていては、西の進攻までに間に合わない。

よって馬での移動となるのだが、この時代の東では馬は存外貴重で、

しかも人を乗せて長距離移動出来る馬は少なかった。

シュレイヤが“馬”という生き物を見たのも、この街に来てからであり、馬に乗った経験など皆無だ。

“馬に乗れる”ということ自体が、只者ではない証であったが、

なんとリィレンも含め、シュレイヤの他は全員馬に乗れるという。

それでも二人乗りが出来るような馬は、タムカの馬だけであり、

必然的にシュレイヤはタムカの馬に乗ることになる。

剣の腕にはそれなりに自信があったが、馬のことについてはさっぱりである。

文句を言えるような立場ではない。

だが話題にして面白いわけでもないので、街の者に囲まれて姿が見えないルトの行方を尋ねたのだ。

イディスはそんなシュレイヤの思惑に気付いたのか気付いていないのか、

少しすねたように腕を組み、街人でごった返している所を顎でしゃくった。

「アノ人だかりの中よ、・・・小娘ちゃんと一緒にいるわ。

ルトが人気者なのは当然だけど、あの小娘も小娘で占いがよく当たるんですって。

ふん、今ルトの隣にいるからって、調子に乗るんじゃないわよ」

ぶつくさ言いながら、親指の爪を噛んでいるイディスの顔は、既に般若だった。

人ごみをにらみつけながら、口からはリィレンを罵倒する言葉と、

呪詛の言葉が垂れ流しになっている。

見た目が悪魔的な美しさなので、余計に恐ろしい。

嫉妬って怖いな、と思いながら、シュレイヤはさりげなく距離をとった。

「ザップとエゼルドは?」

シュレイヤは馬にくくりつけた荷を確認しているタムカに尋ねる。

なるべく会話したくないと思いつつも、他に訊ける相手が居ないのだから仕方がない。

タムカは振り返りもせずに答えた。

「街の上役の所だろう。奴らが来ないと、出発出来ないんだがな」

「そうか」

そう答えたっきり、会話がない。
周りの喧騒から、二人は完全に外れていた。

今更別れを惜しむ者も、居なかったからだ。

シュレイヤは既に、店があるキリとは別れを済ませてきていた。

元々あっさりしている性分なので、二月の間にお世話になった人たちにも挨拶は済んでいる。

タムカの方は、そもそもあまり人付き合いが良くないのだ。

会話するのは、同志のみと言ってもいい。

その同志にしても、近くにいるのが犬猿の仲のシュレイヤとあっては、

口を開かない方が吉。

イディスは未だに般若であった。

 

 

暇を持て余したシュレイヤが、爪先で地面に落書きをしていると、

ようやく人ごみの中から、ザップたちを連れたルトが現れた。

ルトは、にこにこ笑いながらシュレイヤたちの所へ来ると、

「お待たせ。さぁ、行こうか」

と、あっさり言って、自分の馬にまたがった。

シュレイヤは先に馬に乗ったタムカに、後ろに乗るよう指示される。

イディスに手伝ってもらいながら、シュレイヤは鞍にまたがった。

いつもよりも随分高い視界に、少し緊張する。

「早く一人で乗れるようになれよ、コイツが疲れるからな」

「あぁ、分かってる」

出立が決まってからこの日まで、あまり間がなかったので馬術の練習は出来なかったが、

シュレイヤの為に、黒鹿毛(くろかげ)の牝馬をエゼルドが何処からか連れてきた。

名前はシュレイヤが決めて良いと言うので、アイリダと名付けた。

アイリダは、月明かりから生まれた姫君の名前だ。

額の白い部分を見た時、昔、母に聞いた御伽噺(おとぎばなし)を思い出したのだ。

初めの内はアイリダには荷だけを乗せて、ルトの馬と紐でつないで連れて行くのだという。

休憩の時間や早朝などに、一番馬術に優れたタムカに教わるよう言われている。

タムカが教師役だというのは気に食わなかったが、世話をかけているのだから文句は言えなかった。

タムカも嫌そうだったが、シュレイヤが馬に乗れないと困るのは自分であり、

また尊敬するルトからも頼まれたので、しぶしぶその話を了解したのである。

「じゃあ、後は頼むね。俺たちの他も何人か出払っちゃってるから、二人に負担をかけるけど」

ルトが申し訳なさそうに、見送りに来ているザップとエゼルドに言う。

「大丈夫だ。お前さんたちがいない間、この近隣はしっかり預かるさ。だから心配すんな」

ザップがどんと、その分厚い胸を叩きながら言えば、

「俺たちより、自分たちの心配をしなよ。進軍の噂を聞いて、治安が悪化しているようだからね。

あとこれが地図。詳細なものは、やっぱり無理だったけど、

隊商から聞いて、主だった村や街、集落のだいたいの場所を印しておいたから」

と、エゼルドが、四つ折にした地図をルトに手渡した。

それを受け取りながら、ルトは笑顔でエゼルドに礼を言う。

「いや、十分だよ。有難う、さすがエゼルドだね。東の地図なんて、ほとんどないのに」

手放しで賞賛するルトに苦笑しながら、エゼルドが言う。

「まぁね。ルト、さすがにそろそろ出ないと、いくらも進まない内に日が暮れるよ」

その言葉にうなづいたルトは、馬首をめぐらし、街の人々にしばしの別れを告げた。

「皆! 良い知らせを待っていて欲しい! 
俺たちは必ず東の為に協力を取り付け、この街に帰ってくる!
東は東に住む者のものだ!」

そう宣言したルトは威厳に満ちており、街の人々は、口々にルトの名を叫ぶ。
亡命してきた貴族も、新たなる市場を開拓しに来た商人も、
他に行き場のない娼婦も、親を戦で亡くし肩を寄せ合って生きている子どもたちも、
皆がルトの名を呼ぶ。
彼らの顔には、希望があった。
ルトなら、何とかしてくれるだろうという期待が。
彼らがルトの名を呼べば呼ぶほど、不安が大きいことが分かる。
秋が終わり、冬が終われば、西が攻め入ってくるのだ。
ほとんどの者が、西から逃げてきた者たち。
西の恐ろしさを知っているから。
東の幼さを知っているから。
だからこそ、不安になり、すがる対象を求める。
彼らの一声一声が、東を背負うということ、多くの命を預かるということの重みだった。
人一人が背負うには、あまりにも、重い。
それでもルトは背筋を伸ばしている。
いつものへらへらした顔こそ浮かんでいなかったが、期待に押しつぶされてはいない。
その背中を見て、シュレイヤは敵わないと思うのだった。
一行が人垣を抜け、門をくぐり街の外へ出ても、ルトの名を呼ぶ声は止まなかった。

 

 

街人の声が聞こえない所まで来た時、シュレイヤは後ろを振り返った。

高い壁に囲まれたテライセンの街には、二月ほどしかいなかった。

それでも、どこか街を離れて寂しい気持ちがする。

シュレイヤの他に、後ろを振り返る者はいない。

それはシュレイヤ以外の者が、皆手綱を握っているからということもあったが、

シュレイヤたちより長くテライセンに住んでいた彼らは、

里心がつくようで、振り返ることが出来ないのであろう。

あるいは、これからのことしか、頭にないのかも知れない。

リィレンとイディスは、ルトを挟んで大声で言い争っていた。

またどちらがルトを射止めるか、ということらしい。

当の本人はまたそれに気付くことなく、喧嘩するほど仲がいいんだよね、

などと暢気なことを言っていた。

タムカはルトにべったりの二人を、軽蔑と少しの羨望を込めてにらんでいる。
彼らが、これから一緒に旅をする仲間だ。
気に食わない者もいるが、それでも同じ目的を持った仲間なのだ。

シュレイヤはもう一度、街を振り返った。

そして誓う。

必ずこの五人で、否、もっとたくさんの仲間を連れて、
東を護る為にこの街に帰ってくると。

 

 

振り仰いだ空は、彼らの旅立ちを祝福するかのように、澄んだ青空が広がっていた。




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