そんな目で見ないで!

あたしは思わず、そう叫びそうになった。

 

 

 


   み

 

 

その目には涙が浮かんでるっていうのに、
目の前にいる彼女は、瞬きもせずにこちらをじっと見ている。
「調子に乗らないでよ」
自分の口から飛び出る陳腐(ちんぷ)なセリフに、笑いがこみ上がりそうになる。
いつから、あたしはこんな女に成り下がったんだろう。
「アンタみたいなクズ、彼にはふさわしくないんだから」
本当は知っていた。彼の方から彼女に告白したことを。
「さっさと別れなさいよ」
あたし一人にセリフを言わせて、後ろでただ頷いているだけのヤツらにも吐き気がする。
使われていない教室にいきなり呼び出されて、数人に囲まれて、
普通の女子だったら泣き出してもいいだろうに、
彼女は潤んだ瞳をしっかり開いて、こっちをただ見つめてる。
それが、余計に気に障る。
「聞いてんの?」
彼女は口を開かない。
ただ無言で、視線で、あたしたちに負けないと言っている。
あぁ、なんで、なんで、この女が?
その答えをつきつけられているようで、腹が立つ。
「あのねぇ……」
ガラッ
続きを言おうとしたところで、扉が乱暴に開けられた。
肩を怒らせながら入ってきたのは彼で、彼女の無事を確認して安堵の息をもらした。
そしてあたしたちに囲まれている彼女の状況を目の当たりにして、厳しい顔に戻る。

彼はきっと、あたしを許さないだろう。

彼の姿を認めた彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。
彼は大股で駆け寄り、あたしたちから彼女を救い出す。
彼女の肩をしっかりと抱き寄せ、あたしたちをにらみつけた。
「何をした?」
おだやかな彼が滅多に見せない怒気に、後ろのヤツらは目に見えて動揺した。
「何を、ね」
あたしは引かない。
彼に嫌われること、そんなのは覚悟のうちだった。
あたしは彼のことが好きだ。
それは今でも変わらない。
だから、彼の好きな彼女のことが嫌い。
許せない。
「その子が気に食わないから、ちょっと痛い目にあってもらおうかと思って」
ね? と後ろのヤツらに同意を求めても、ヤツらは彼の手前頷けない。
こうなることくらい、判ってやっているのかと思っていたけれど、覚悟のない連中。
あたしは薄笑いを浮かべた。
それが彼のカンに触ったようだ。
眉間のしわが深くなった。
あたし一人がふてぶてしい態度だから、主謀者だと思ったんだろう。
まぁ、その通りなんだけど。
「もう、二度とこんなことをするな」
怒りを押し殺した低い声で、彼が言う。
彼の手は、怒りで震えていた。
あたしたちを殴りたいのを、必死で我慢しているのだろう。


あたしは、彼のそういうところが好きだ。
サッカーをやっている時の勇姿だとか、面倒見のよさだとか、
他にも惚れた理由は思いつけるけれど、
あぁ好きだな、と自覚したのは、彼が色々なものを背負っていて、
それに負けていないと思った時だ。
一年の時、同じクラスになっただけという、友達とも呼べない仲。
このもどかしい思いを、あたしはどうすることも出来なかった。


「そうね、これ以上は無意味だものね」
謝る気はさらさらないというように、あたしは彼女たちに背を向けた。
そのまま教室を出ようとすると、慌ててヤツらも逃げてくる。
勝手にすればいい。
でもあたしはそんなみっともない真似はしたくない。
背筋をピンと伸ばし、わざとゆっくり歩く。
これは、あたしの最後の意地だった。
「ごめん」
背後から小さい彼女の声が聞こえた。
その声を聞いて、あたしは振り返らずに叫んだ。
「ふざけないで! あたしを馬鹿にしてんの!」
今まで必死にこらえていたものが、溢れ出そうになる。
「悪いのはあたしでしょ! それくらい、わかってやったんだ! 
アンタに謝られる筋合いは、これっぽっちもない!」
「うん、ごめん」
ずずっと鼻水をすする音がした。
あたしは振り返らない。
今、彼女の姿を見たら、謝りたくなってしまうから。
あたしは謝らない。絶対に。


止めていた足を動かして、教室を出る。
あたしは一度も振り返らなかった。
それでも早くあの空き教室から遠ざかりたくて、次第に早足になり、ついには駆け出した。
誰もいない放課後の自分の教室に入って、荒い息を整える。
全力で走って来たから、心臓がバクバクうるさい。
あの空き教室からこの教室まで、普段まったく運動しない文化部員のあたしにとっては長い距離だった。
そのせいだろうか。
急に足の力が抜けて、床にへたりこんだ。
無性に笑いたい気分だった。
その衝動をこらえきれずに、あたしは笑い出した。
がらんどうの教室に、あたしの笑い声がこだまする。
あたしは確かに笑っているはずなのに、溢れ出す涙は止まらなかった。


初恋だった。
好きで好きでどうしようもなくて、気持ちに整理がつけられなくて、
自分でこの恋を終わらせることが出来なかった。
彼を諦めるのに、こんな最悪の方法しか思いつかなかった。

彼女を傷つけて、彼に嫌われること。

あの彼の視線を、あたしは忘れられないだろう。
怒りと嫌悪と侮蔑(ぶべつ)。
自分で仕組んだことなのに、あたしの心はバラバラに引き裂かれ、悲鳴を上げた。
『ごめんなさい』
泣いてあやまりそうになった。
『お願い許して、あたしを嫌わないで』
恥も何もかもかなぐり捨てて、すがりつきそうになった。
でも、そんなこと、できるわけがない。
だって、あたしは彼に嫌われる為にそうしたのだから。


ひとしきり笑って泣いて、少し落ち着いてきた。
彼女には悪いことをしたと思う。
自分勝手な計画に巻き込んだのだから。
でも、謝る気はさらさらない。
やっぱり、彼女のことは嫌いだ。
彼女たちのクラスとあたしのクラスは、かなり離れている。
ちょっと注意していれば、もう顔を合わせることもないだろう。
あたしは外部の高校を受験する。
それは、かなり前から決めていたことだ。
違う学校になって自然に彼への思いを忘れてしまう前に、
この想いを自分の手で断ち切ってしまいたかった。
思いを引きずるのはごめんだ。
泣いて腫れぼったくなった目を、袖で乱暴にこすった。
もう外は暗くなり始めている。早く出ないと、警備員が見回りにくるだろう。
はぁ、と大きく息をつき、立ち上がろうとする。
長時間変な姿勢で座りこんでいたものだから、足がしびれていた。
足の感覚がまったくない。
それでも無理矢理動かした。
薄暗い廊下を進んでいるうちに、次第に感覚が戻ってきた足がじんじんと痛む。
あたしはわざと乱暴に足を踏み出した。
足から伝わるあまりの痛みにこらえきれず、その場に立ち尽くして歯をくいしばる。


少しずつ薄れていく痛みと一緒に、この胸の痛みも薄れていけばいいのに。
そう思ったけれど、胸の痛みの方は、まだしばらくは消えそうになかった。

 

 

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