混沌なき箱庭 5‐11

混沌なき箱庭 5‐11

 ぽいっ。
手頃な空き部屋に足を踏み入れたオズワルドは、羽織の襟首を掴んでいた葉月を無造作に放り投げた。
葉月はほこりの積もった床を転がる趣味などないので、体をひねり、ブーツのつま先で小さく床を蹴って体勢を整え、着地した。
軽やかにやってみせたが、相当体幹を鍛えていなければ出来ない技だ。
さりげなく羽織を整えながら、辺りを見回す。
明かりはケヴィンが持ってきた小さな燭台しかないが、壁の三面にうず高く積まれた荷物を見れば、ここが物置の他なんでもないことがわかる。
この場を選んだのはオズワルドだが、選ばせたのは葉月のようなものだ。
ここでは先ほどまでのように尖る必要はない。
あれはオズワルドを挑発すると共に、他の団員たちに葉月を印象づける為にやったことだ。
あそこまでやる必要はないし、主導権を渡しながら流れを自分の有利な方向へ持っていくのは面倒なことだが、場を支配してしまう方が今の自分の立場ではより面倒だ。
それでも楽な方へ流れてしまうと、這い上がるチャンスを逃してしまうのだから仕方ない。
葉月はこっそり気合いを入れて、自身を放り投げたオズワルドと続いて物置に入ってきた二人に向かい合う。
冷たい気配はオズワルドに釣り上げられた時に引っ込めてしまっているので、葉月はいつも通りおっとりと笑いかけた。
「内緒話にはふさわしいお部屋ですね」
オズワルドはそんな葉月の言葉を、不機嫌さを隠そうともせず切って捨てた。
「下らん前置きは必要ない。手掛かりを聞いていた、と言ったな?」
葉月も予想していた反応なので、笑みを崩さずに「はい」とうなづく。
「三週間ほど前に、ケヴィン隊長からお聞きしました」
それを聞いたオズワルドは、盛大な舌打ちをして後ろを振り返った。
葉月にはその顔が見えないが、おそらく子供が見たらトラウマになるような怖い顔をしているに違いない。
「おい。どういうことだ」
地を這うような低い声で問いかけるオズワルドに、ケヴィンは肩をすくめて見せ、
「さぁ? 忘れちまったけど、なんか言ったっけなー」
いけしゃあしゃあと白(しら)を切る。
忘れてなどいないのは明白だった。
高みの見物を気取るつもりのようだ。
オズワルドは目に見えるほどの怒気が混じった威圧感を放っているが、ケヴィンは痛くも痒くもないようで、にやにや笑いながら葉月へと水を向ける。
「お嬢様はしっかり覚えてんだろ? 俺にも教えてくれよ」
そのケヴィンの言い方に、葉月も内心イラッとした。
こてんぱんに伸して良い相手なら「呆けるにはまだ早いんじゃないですか? それとも、もともとの容量が少ないんですか?」くらいの嫌みをジャブとして言い放ってやりたいくらいだ。
やはりこの男も気に食わないと思いながら、根性で表には出さない。
「そうですね。しっかり覚えておりますよ」
と笑顔でうなずき、さらりと、その単語を舌にのせる。
「<ゼルダの使徒>を知っているか、とケヴィン隊長は仰いました」



その瞬間、ピキンと、部屋の空気が凍る。
灯りが揺れ、少し暗くなった気さえする。
その単語を聞いたオズワルドの眉間のしわは、それ以上は無理だろうというほど深く刻まれ、タイロンの顔には驚きと嫌悪の表情が浮かんだ。
予想以上の反応に、葉月はより慎重にならねばならないと気を引き締める。
どうしても葉月はここの住人と感覚が異なるのだ。
その違いを記憶に留めておく必要性をひしひしと感じる。
決して臆したわけではないが、数瞬の間が空いた。
ケヴィンが人の神経を逆撫でするような笑みを浮かべながら、「で?」と先を促す。
無性に癇に触るのは、葉月が過敏になっている所為だけではない。
それでも葉月は何事もないかのように話を続けた。
「手掛かりと言いますか……ほぼ犯人像そのものなのでしょう。尋ねられたのは、オズワルド隊長に呼ばれてらした時ですし、他にも根拠はあります」
そう言って、葉月は右手の指を三本立てて見せた。
「一つ目、殺害された被害者の多くが十代の半ばであると推測されること。二つ目、過剰で過激な殺害方法であること。三つ目、殺害現場の位置関係が主神ゼルダの紋章を形作っていること」
指折り数えて、自身の考えを披露する。
「ケヴィン隊長の問いかけの日付の関係を考えれば、最初から犯人がわかっていた……殺害予告があったと考える方が自然でしょう。そうすれば、おとり捜査が実施されたことにも納得が出来ます。犯人は<ゼルダの使徒>、もしくは<ゼルダの使徒>を犯人にしたい誰か、違いますか?」
葉月は確信を持って問いかけた。
「……<ゼルダの使徒>の詳細は誰に聞いた?」
オズワルドが逆に問うたのが、その確信を肯定する証拠だった。
<ゼルダの使徒>は、確かに子供が知っているような類の集団ではない。
オズワルドが訝(いぶか)しむのも当然だ。
別に情報源について疚(やま)しい所はないので、葉月は素直に答えた。
「学問所のジャニス先生です。馬鹿正直にケヴィン隊長からお聞きしたとは言いませんでしたのでご安心ください。通りで耳に残った言葉ということで質問しましたから」
ジャニスの名を聞いた途端、オズワルドは妙に納得してうなづいた。
「ジャニス女史か……。あの女史なら知っていても不思議はないか」
その反応を意外に思った葉月だったが、続いてケヴィンに尋ねられて思考を伸ばすことはなかった。
「だろーな。で? どこまで聴いたんだ?」
「ジャニス先生も子供に聴かせる内容ではないと細部は濁されましたので、概要だけです。主に発祥の経緯と目的ですね」
あとは元の世界のカルト的集団のあれやこれやからの推測だ。
人は生きている限り他者を犠牲にするものだが、宗教はそれを脳みそも良心の呵責も使わずに正当化してしまう。
多寡(たか)の違いはあれど、それはどの世界も同じなのだろう。
しかし、今の葉月には文化の考察などしている暇はない。
最優先は“犯人の捕縛”なのだから。
「それらを踏まえて、より効果的に犯人を誘き出す餌があるのですが、聴いて頂けますか?」
葉月はよいお茶の入れ方があるのだとでも言うように、微かな上目遣いとおっとりとした笑みで、自らの案を語りだした。



<ゼルダの使徒>。
それは<ゼルディア国>の主神であるゼルダを崇める宗教集団である。
ただし、狂信的で偏狭的な、という但し書きがつく。
<ゼルディア国>の人間は、基本的にはそこまで信心深い方ではない。
文化的に溶け込んでいる宗教行事は多いが、週一で礼拝堂に行く者は少数派だ。
新年の挨拶やら結婚式やら願い事がある時など、節目や困った時の神頼みが主で、年に三、四度という頻度だろう。
神の存在を確信していること以外の宗教観は、日本と少し似ているかも知れない。
この世界や国、都市、街、村、そうした枠組みを創り給うた神ではあるが、そこに生きるは人の責と過度の干渉はしていないという。
もちろん、例外は存在する。
葉月やジークはその最たるものだ。
この世界は他の世界に比べて不安定で未熟であるとは、<ゼルディア国>の副神であり、葉月たちをこの<混沌なき箱庭>に落とした張本人であるエルフィムの弁である。
つまりエルフィムはこの世界を正常な世界にしたいと願っているのだ。
だが、<ゼルダの使徒>の主張は異なる。
『失敗作である世界を一度滅ぼし、完全なる世界を創り直す』
それが主神ゼルダの真の願いだという。
この過激な思想は一般には受け入れられていない。
人々は、まだこの世界に絶望などしていないのだ。
余所は分からないが、少なくとも<ウクジェナ>の大多数の人々は、この世界が滅ぶことなど望んでいない。
それを不信心者として弾劾するのが、<ゼルダの使徒>である。
狂信者は<ゼルディア国>全土で地下活動を行っているという。
その活動の内容をジャニスは“おぞましい”という一言で表現した。
子供に聴かせられる内容ではない。普通に生きていれば関係ない話だから、と。
しかし、葉月やジークは“普通”ではない。
この世界の安定の為、異世界から連れてこられた<世界の落とし子>である。
ジャニスに話を聴いた時は、その集団とは絶対的に相容れないようだから用心しようということと、ケヴィンがその言葉を葉月とジークに問いかけてきたのは、自分たちのことを疑っているからであろうという推測から言動には注意しなければならないということを二人で確認したのみだった。
しかし、一連の事件が続き、遺体発見現場の位置を地図上で確認した葉月は、悟ってしまった。
犯人が<ゼルダの使徒>であること。
そして、今までの被害者は、自分たちの身代わりであることを。