混沌なき箱庭 4‐8

混沌なき箱庭 4‐8

 人ごみを抜けた葉月とジークは、大通りから路地へと入って行った。
その路地裏は、少し行くと人の気配はまったくしなくなっている。
そこでぴたりと足を止めると、ばたばたと四人の男たちが追ってきた。
どうやら一人だけ脱落したらしい。
四人ともゴロツキといった言葉が相応しい男たちだ。
ただし、全員剣は佩(は)いていない。
懐に短剣くらいはあるかも知れないが、少なくとも見た目は丸腰である。
葉月はそんな男たちを一瞥(いちべつ)し、ひそかに安堵した。
この男たちは<テーラン>の一員ではない。
葉月もジークも二ヶ月の間にだいたいの団員たちの顔は覚えている。
<テーラン>の団員たちのだいたいは、見た目がチンピラっぽかったりゴロツキっぽかったりするが、この男たちとは格が違う。
団員でないならば遠慮はいらないが、一応その目的を最初に問いただしておきたい。
先走りそうになっているジークの手を引き、葉月は男たちに問いかけた。
「私たちに何の御用ですか?」
一歩踏み出たのは、派手な服を着崩した男だった。
身を持ち崩した、ヒモでもやっていそうな退廃的な雰囲気がある。
大きく分類すればブノワと同じような人種なのだろうが、お父様の足元にも及ばないな、と葉月は決めつけた。
派手な服の男は葉月たちをじろじろと見回し、鼻で嗤(わら)って言った。
「お前たちが<テーラン>の副長の隠し子とその弟だな?」
その態度と問いかけに問いで答えられ、葉月の眉間にしわが寄る。
「えぇ、そうです。それで? <テーラン>の副長の隠し子である私とその弟に何の御用ですか?」
だが、派手な服の男は葉月の問いに直接答えず、笑いながら後ろの男たちを振り返る。
「聞いたか? 何の御用ですかだってよ。こんなガキ共の方が俺らよりいいなんて、<テーラン>も落ちぶれたもんだぜ」
男の言葉に、葉月はやっぱり、とため息をついた。
葉月たちを狙う理由があるとしたら、それは二つしかない。
あの盗賊たちの生き残りか、葉月たちが<テーラン>に入ることを快く思わない者か、そのどちらかだ。
丸腰な時点で後者だろうとは思っていたが、その通りだった。
おそらく、<テーラン>に入団しようとして、門前払いを食った口なのだろう。
入団許可の権限は首領と副長が持つが、二人が会うほどもない輩は、配下たちによって追い返されるのだ。
最近は団員の数も増えたので、そう簡単には入れなくなっているらしい。
首領と副長に会える条件が“タイロンを倒すこと”だというから、余程の猛者でなければ難しい。
それなのに葉月やジークが<テーラン>に入ってしまったのだから、気持ちは分からないではない。
ただし、身に降りかかる火の粉は払わねばならないだろう。
今後の予防も兼ねて、だ。
「ジーク。あなた、武器持ってる?」
葉月はわざと相手方に聞こえる声量でジークに尋ねる。
ジークは葉月の意図が分からないまでも、同じような声量で答えた。
「はい。短剣を」
「じゃあ、それは使わなくていいよ。素手で。出来る?」
「はい」
「殺しちゃダメよ。痛めつける程度に。腕の一本くらいはいいけど、内臓は止めてあげられる?」
重ねての注文に、ジークは困ったように葉月を見る。
「殺さないで、痛めつける程度、ですか?」
ジークの常識からすれば、こうした輩を生かしておく意味が分からない。
葉月が血や殺生に慣れていないことは分かっているが、禍根は断っておく方がいいと思っている。
納得がいかない様子のジークに、葉月は諭すように言う。
「ジーク。殺してしまったら始末が大変でしょ。私たちは流れ者じゃない。ここに住もうとしてるんだから、必要以上に目立つもんじゃないんだよ」
実際、男たちにしても、葉月たちを殺そうとかいう気はないだろう。
ただ痛めつけて、自分たちの鬱憤(うっぷん)を晴らしたいのだ。
<テーラン>の副長の娘に手を出そうとしているところで、頭は良くなさそうだが、その程度で殺そうなどとは考えていない。
丸腰なのがその証拠である。
葉月からしてみると、これは単なる喧嘩だ。
喧嘩で殺すの殺さないのというのは馬鹿馬鹿しい。
それに路地裏とはいえ、街中で惨劇になると住民の心象に関わってくる。
<テーラン>は自警集団だ。
その一員が自ら秩序を乱すとなると、風当たりは強いだろう。
この辺りのことは、あとできちんとジークに話しておかないといけない、と葉月は心に留める。
平然と物騒な会話をしている葉月とジークに馬鹿にされたと思った男たちは、カンカンに怒っていた。
「んだと、コルァ! ガキ共がなめるのも大概にしとけよ!」
が、葉月はそんな男たちを無視して、ジークに再度問いかけた。
「ジーク、出来る?」
重ねて言われたジークは、しぶしぶといった様子でうなづいた。
「ねえさんがそう言うのなら……」
「うん。じゃあ、さっさと片づけよっか」
食後の食器でも片付けるかのように、気楽に葉月が言う。
殺し合いは苦手だが、喧嘩なら慣れたものだ。
しかも丸腰の雑魚が四人。
ジークと二人なら、朝飯前ならぬ昼飯前である。
葉月の心配は自分たちがやられることではなく、ジークがやり過ぎないか、という点だけだった。
そして、勝負はあっと言う間に決まった。
挑発的な葉月の言葉に頭に血が上った男たちは、連携も何もなく突っ込んできた。
先頭の派手な服の男の拳をかわした葉月は、その勢いを利用し男の腕を取って投げ飛ばす。
そして振り返ると、既に残りの三人は地に伏してうめいていた。
その速さに、街道での獣のような戦いっぷりを知っている葉月も驚く。
「ジーク。体は大丈夫?」
また無理に体を動かしたのではないか、と危惧する葉月に、ジークは笑って答えた。
「この程度なら大丈夫ですよ。この体の動かし方もだいぶ分かってきました」
「ならいいんだけど」
汗ひとつかいていないジークに、葉月はそっと安堵の笑みを浮かべた。



「あー、もう終わっちゃってたのか。つまんねーな」
聞き覚えがある声に顔を向けると、<テーラン>実行部第四隊長のケヴィンが何やら引きずりながらこちらへと歩いてきていた。
それを見てジークがさりげなく、葉月の斜め前へ移る。
ケヴィンがどさっと投げ出したものを見て、葉月が眉をひそめた。
「大通りの喧嘩の仲裁なんてくだらねー仕事だと思ってたら、何やら怪しいヤツがいるだろ。問い詰めてみたらウチのお嬢様と坊ちゃんをシメ上げる算段だったっていうじゃねーか。面白そうだから探してたんだが、ちと遅かったみてーだな。お前がさっさと吐かねーからだぞ」
口とは逆に、にやにや笑いながら投げ出したものを蹴り飛ばすケヴィン。
うめいているので死んではいないようだが、顔面はぐちゃぐちゃにつぶれている。
おそらく、男たちの仲間のはぐれた一人だろう。
はぐれた上に遭遇した相手がケヴィンだ。
相当に運がない。
そんな哀れな男を踏み越えて、ケヴィンが一歩、葉月たちに近づいた。
その顔には好戦的な笑みが浮かんでいる。
「こんな雑魚相手じゃ、物足りねーだろ? 坊ちゃん。俺と遊ぶか?」
葉月はケヴィンが苦手だし嫌いだったが、ジークもケヴィンに対してかなりの警戒心を抱いている。
ライナスからもケヴィンは滅法強く頭も切れるが、その分頭のねじが何本かぶっ飛んでいる男だから注意しろと言われていた。
何が面白いのか、この男は自分たちによく絡んでくる。
元の世界にも頭のねじが何本かぶっ飛んでいる輩など掃いて捨てるほどいたが、葉月に害を成すというのなら放ってはおけない。
葉月からはあからさまに被害がひどくない限り相手にするな、と言われていたが、それで収まるジークではなかった。
先ほどのゴロツキとの喧嘩よりも余程ぴりぴりした殺気に満ちた空気を感じ、葉月はわざと大げさなため息をつく。
「ケヴィン隊長。弟を挑発するのは止めて下さいませんか?」
「お嬢様は黙ってな。俺は坊ちゃんと遊ぼうってんだぜ」
「ねえさん、危ないです。下がっていてください」
ケヴィンに睨まれ、ジークに後ろに押され、葉月はたたらを踏んだ。
まだ殺気を向けられるのは慣れない。
脂汗がにじみ、喉がひゅっと鳴った。
息が苦しい。
無意識の内に両手で胸を押さえていた。
意識して呼吸しないとたちまち息が止まる。
ジークが懐から二振りの短刀を取り出し、ケヴィンが腰の剣に手をかけた。
既に葉月に止められる雰囲気ではない。
葉月からしてみれば、無益という他ない戦いがまさに始まろうとしていたその時、路地裏に無駄にでかいだみ声が響いた。
「あぁっ、やっと見つけた。まったく何遊んでるんでやすか、隊長。いきなり居なくなんでぇでくれって何度言やぁわかるんですかい」
現れたのは額に傷がある三十をいくつか過ぎた辺りの男。
葉月にも見覚えがあるケヴィンの部下だ。
「邪魔すんじゃねーよ、カロル。俺は坊ちゃんと遊んでんだ」
物騒な気配をまき散らしたまま、ケヴィンが応じる。
ジークも無言のままケヴィンをにらみつけており、構えを解こうとはしない。
カロルは殺気立つ二人に、はぁっと大きなため息をつく。
先ほどの葉月と同じ動作だが、わざとだった葉月とは違い、カロルは心底めんどうくさいというようにぼりぼりと頭をかいた。
「隊長。アンタ自らめんどう起こしてどうしやすか。遊び足んなくてイライラしてんのはわかりやすが、やることやってからにしてくださいよ。第三のオズワルド隊長が例の件でお呼びでやんす」
オズワルドの名を聞いた途端、うんざりした様子でケヴィンが殺気を引っ込めた。
「えー、あの熱血石頭が? お前代わりに聞いとけよ」
「駄目に決まってんでしょう。我儘言わんでください」
ぴしゃっと言い切ったカロルに、ケヴィンはぶつぶつ文句を言う。
「何の為の副隊長だっつーの」
「我儘言う隊長を引っ張ってく為でしょう。ウチの隊の場合。さ、お早く」
ケヴィンに負けずうんざりした様子のカロルが腰に手を当てて、上司を追い立てる。
そこでカロルは思い出したように、構えを解いたジークと二人が衝突せずほっとしている葉月を振り返った。
「あぁ、お坊ちゃんにお嬢様。ウチの隊長が大人げなくてすいやせんね。ついでにきゃんきゃんと元気のいい子犬と、それよかはちと落ち着いた子犬を二匹保護してるんでやすが、心当たりはおありですかい?」
カロルの問いかけに、葉月がうなづく。
「はい。おそらく私たちの級友です」
カロルが言うのは、先ほどまいた子犬たちだろう。
まいたはいいが、どうやら乱闘に巻き込まれたらしい。
こちらに巻き込むよりはいいが、少し責任を感じてしまう。
子犬たちの正体は、やたらとジークをにらんでいたあの少年とその先輩たちだろうと推測がつく。
こちらを穏便になだめるのも、少々面倒くさそうだ。



「あ、そーだ」
カロルに追い立てられ、大通りに向かっていたケヴィンが振り返った。
また何か因縁をつけてくるのかと思わず身構えた葉月たちに、軽い調子で問いかける。
「お前ら、<ゼルダの使徒>って知ってるか?」
「<ゼルダの使徒>……ですか? ゼルダってこの国の主神ですよね? すみません、それは一般常識ですか?」
葉月が知ってる? というように隣を見る。
その視線を受けて、ジークが首を横に振った。
揃って首をかしげる姉弟に、ケヴィンは肩をすくめて踵(きびす)を返した。
「知らねーならいいや。じゃあな、坊ちゃん、お嬢様。また遊ぼうぜ」
そう言い残して、ケヴィンはカロルにせっつかれながら去って行った。
それを見送る形になったジークは、困った顔で葉月を見上げる。
「<ゼルダの使徒>って、結局何なんでしょうか?」
「さぁ? あの反応だと一般常識ではなさそうだったけど……」
もやもやとすっきりしない気持ちを抱え、葉月も困ったように頬に手を当てる。
姉弟は揃ってため息をつき、やはりケヴィンはろくでもない、という意見で一致した。