混沌なき箱庭 3‐4

混沌なき箱庭 3‐4

 葉月をブノワの娘に。
そのとんでもないカーサの発言に、本気で理解不能という顔をして額に手を当てるブノワ。
葉月もぽかんとカーサを見つめている。
カーサ一人がいいことを思いついた、という顔で笑っていた。
「いや、こいつらを<テーラン>に入れるのに、適当な口実はねぇかなと考えてたんだ。なにせ、こいつらまだガキだろ? ヴィリーだって十五になるまで入れさせなかったんだ。それなりの口実がいるだろ?」
「それは分かるが……」
分かるが、何故唐突に、何故に娘? とカーサから親子認定された二人は同時に顔をひきつらせた。
ブノワと葉月(の外見年齢)は、だいたい二回りほど違う。
親子といっても無理はない年齢差だ。
しかし、いきなりそんなことを言われれば誰だって戸惑うだろう。
ジークと姉弟になれ、とエルフィムに言われた時も葉月はたいへん戸惑った。
葉月には元の世界に妹弟がいたし、ジークがきょうだいに強い憧れを持ち、なおかつまっすぐな人柄であったので受け入れられたが、ブノワはどこからどう見ても父親には思えない。
年齢などではなく、雰囲気が、だ。
葉月から見たブノワの印象は、“色男”である。
あちこちで浮名を流しているだろうが、妻もしくは特定の女はいなさそうだし、子もいないだろう。
いきなりこの人を“父”と呼ぶには、抵抗があり過ぎる。
ブノワの方もいきなり葉月を“娘”と思えと言われても出来るものではない。
カーサのぶっ飛んだ思いつきにはいつも苦労しているが、とっさに言葉が出ない思いつきは久しぶりだった。
ブノワは今年で三十五になるが、妻や子はいない。
恋人ならたくさんいるのだが、自身がまっとうな夫や父親になれるわけはないし、何よりまっとうな死に方はしないだろうと思っているので、この年まで独り身だ。
自身が一人に縛られるような性質ではないことも知っている。
それなのに、いきなりこんな大きなコブつきになるとは考えたこともない。
ともかく、二人ともいきなり親子にと言われても、納得出来るわけはなかった。
それは<テーラン>の者たちも同じだろう。
カーサの思いつきがどう正当性を持っているのか、どうにも理解が出来ない。
「すみません、親分さん。もう少し説明をして下さいませんか? いきなり親子と言われても、それで<テーラン>の皆さんは納得されるんですか?」
葉月の疑問にブノワが付け足した。
「娘といっても俺と葉月は似てないぞ。それにジークの方はどうするんだ?」
ブノワの疑問ももっともなので、葉月は深くうなづいた。
そんな二人にカーサは「なんで分かねぇかなぁ」とつぶやきながら、面倒くさそうに自論を展開する。
「だってお前の隠し子って言えば、みんな納得するだろ。葉月はお前の隠し子。ジークは葉月の種違いの弟。これで納得するヤツは多いと思うぜ。似てない? 葉月は母親似ってことでいいじゃねぇか。ジークは父親似ってことにしとけばよ。両親が落石事故で死んじまったが、葉月の父親は実は別に居たってことを知って探していた。それがブノワだった。これでいいだろ」
はい決定と言わんばかりのカーサに、葉月は慌てて口を挟む。
「副長さんに隠し子がいたというのは、いかにも信憑性があって納得出来ますけど、証拠はどうするおつもりですか? どうして副長さんが父親だと分かったのか、聞かれたら答えられませんよ。しかも私の話と落石事故しか合っていないんですけど」
『いかにも信憑性がある』と言われたブノワは微妙な顔をしたが、では否定出来るかというとそれこそ信憑性がないので賢明にも口をつぐんだ。
<テーラン>を結成したのは九年前だ。それまではふらふらと<ゼルディア国>の各地を渡り歩いていたので、あり得ない話ではなかったのだ。
心当たりがあり過ぎるといっても過言ではない。
今回はそういうことにしておこうという話だが、実際に名乗り出られる可能性に思い当たりブノワは一人おののいていた。
そんなブノワを放っておいて、女二人のやりとりは進む。
「お前の話はどうせ作り話だろ。いいじゃねぇか。証拠? あー、ブローチとか指輪とか何か持ってねぇのか?」
「えーと、ありますね。換金用の装飾品がいくつか」
懐の中身を思い出すと、この世界の通貨だろうと思われる銀貨や銅貨が入った小袋の他に、いくつかの小さな装飾品が入った袋があった。
その通貨が使えない場所で換金出来るように持たせてくれたのだろう、とはジークの談だ。
葉月は懐からその袋を取り出し、中身を膝に開けた。
ころころと出てきたいくつかの装飾品の中から、葉月はカメオのブローチをつまみ上げる。
瑪瑙(めのう)に草花を組み合わせた意匠を彫ったもので、いかにも若い男が恋人に贈りそうな可愛らしいブローチだ。
「これなんかどうでしょう? 豪奢ではなく、石の質もそこそこですから、若い男性にも贈れそうな品だと思いますが」
「いいんじゃねぇか。いかにも女ったらしが贈りそうな品だ」
葉月とカーサは微妙に異なる評価をそのブローチに与えたが、結論は同じだ。
これが葉月の母の形見ということになる。
ジークと葉月の強さやしたたかさが欲しいという思惑に、副長の隠し子という口実を与えるものだ。
実の母のことを思い出すと、自分の方が先立つ親不孝をしたのに“母の形見”とは不謹慎ではあるが、葉月は背に腹は変られないと思い直す。
何かぶつぶつとつぶやいているブノワをちらりと見て、葉月は小首を傾げた。
「証拠はこれでいいとして、やっぱり副長さんのことは“お父様”とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
“お父様”など、実の父相手にも呼んだことはないが、逆に使ったことがない呼称の方が気が楽だ。
それになんとなくではあるが、ブノワをもし“父”と呼ぶなら“お父様”という呼称が合っているような気がする。
“父ちゃん”では絶対にないし、“お父さん”も違和感がある。“親父様”と呼ぶにはブノワは艶っぽ過ぎ、また“親分”のように聞こえるので却下だ。
消去法ではあるが、“お父様”という呼称は艶っぽくてかっこいいブノワにぴったりではなかろうか。
葉月は乗りかけた船ということであっさりと口にしたのだが、呼ばれた本人はというと一瞬驚いたような顔をして、苦笑を浮かべた。
「そうか、君が娘になるということはそう呼ばれるってことか。なんだか一気に歳をとったような気がするな」
ブノワの言葉に、カーサが笑った。
「実際、子供の一人や二人どころか五人六人いてもおかしくない歳だろ」
「お前もたいして変わらんだろうが」
カーサの揶揄(やゆ)に、ブノワがやり返す。
そのやりとりに苦笑しつつ、葉月が問いかけた。
「そう呼ばれるのはお嫌ですか?」
ブノワはちょっと考えてから、首を横に振った。
「嫌、ではないな。不思議なことに。そう呼ばれることなどないと思っていたが……案外良いものかも知れない。方便だとは分かっていても、な」
少し照れたような苦笑いを浮かべるブノワ。
カーサはやっと決まったというように、肩をすくめている。
葉月はおっとりと笑って、頭を下げた。
「親分さん、お父様。これからお世話になります。よろしくお願い致します」



他にもいくつかのことを決めてから、二人は部屋を出て行った。
葉月は扉が閉まるのを見届け、先ほどのやりとりも知らずに眠り続けるジークに目を向けた。
相談もなく勝手に決めてしまったが、この話を聞いてジークはどう感じるだろうか。
勝手だと怒るか、軽率だと詰(なじ)るか……。
彼が目を覚ましたら、まずは謝らなければならないだろう。
ジークは相談出来るような状態ではなかったが、これからのことを考えれば身の振り方は早急に決めてしまわねばならなかった。
葉月はこれが最善の道だと考えた。
運命などという言葉を葉月は信じていなかったが、この世界に落とされて考え方が変わった。
何せ、実際に神という存在があるのだ。
運命がないとは限らない。
あの街道での出会いは、血と死臭にまみれたものではあるが、きっと運命だったのだろう。
カーサがあのタイミングで出てこなければ、葉月もジークも死んでいたはずだ。
エルフィムは具体的にどうしろとは言わなかった。
ならば流されてみるのも手だろう。
この世界について何も知らない自分たちには、庇護者が必要だ。
いくら中身が大人だとはいえ、それだけで生きられるほど人生は甘くない。
まずはこの世界のことを知り、この世界で生きていく為の知恵を身につけなくてはならない。
「だからジーク。早く元気になって」
葉月は汗で湿ったジークの髪をなでて、その快癒(かいゆ)を願った。