混沌なき箱庭 1‐3

混沌なき箱庭 1‐3

 自分ではあるが、自分ではない体。
一度死して、別の体に生まれたのだから、これも一種の生まれ変わりというのだろうか。
この世界で赤子から育ったわけではないので、エルフィムが言うように、創り変えられたとする方が相応しい気もする。
荒唐無稽な話ではあったが、こうして自分の身に起こってしまっては信じる他ない。
たとえ、それが適当なことを言う異世界の神の仕業だったとしても……。
慰めと言えば、そんな一見ややっこしそうで、その実投げやりな運命が降りかかったのは自分だけではなかった、ということくらいだろう。
同病相哀れむ、というヤツかも知れない。
葉月としては、もう一度生きるチャンスを得たと喜べばいいのか、不安定で未熟な異世界でまた子供からやり直さねばならないことを憂えばいいのか、微妙なところだった。
葉月がどう思おうと、事態は変わらないのであるが、そこは心意気の問題である。



「それはまぁ、さておき、<混沌なき箱庭>に降りるにあたって、注意しておきたいことがある」
さきほどまでと打って変わって真剣な面持ちで、エルフィムが言う。
脱力していた二人は、背筋を伸ばし次の言葉を待つ。
「そなたたちにはこの世界に良い影響を与えてもらいたいが、それは、あくまで<混沌なき箱庭>の住人として、だ。むやみやたらに自分たちが<世界の落とし子>だと吹聴せぬことだ。それではせっかく体を創り変えた意味がない」
その忠告にジークと葉月がうなづく。
「ご安心ください。言うつもりはありません。いきなり前世は異世界人だなどと言えば、怪しまれることくらい分ります」
「えぇ。その通りです。頭がおかしいと思われるのはごめんですから」
二人の言葉にエルフィムの顔が微かに歪む。
しかし、それが何かを読み取る前に、エルフィムは先ほどと同じように真面目くさった顔で続けた。
「一応、設定も考えて手は打ってある。そなたらは義姉弟だ」
「「ぎ、義姉弟……?」」
「うむ。葉月の父は<ガヴィラード>という都市で成功した商人であった。だが早くに妻を亡くし、忘れ形見の一人娘を育てていたが、運命的な出会いをした女性を後妻にめとることにした。それがジークの母だ。育った境遇が違うとはいえ、四人は本当の家族となり穏やかな毎日を過ごしていた。だが、幸せな日々は長くは続かなかった。両親がそろって落石事故に巻き込まれて死亡したのだ。悲しみに暮れる姉弟。しかし、悲劇はそれだけではなかった。後見人となった葉月の叔父が、遺産を独り占めするために二人を屋敷から追い出したのだ。一人娘として箱入りで育てられた姉と、強くたくましく生きてはきたがまだ幼い弟。あぁ、なにゆえ運命とはかくも残酷なものであるのか。さァ、助け合いながら荒野をさすらう二人の運命はいかに」
だんだん興が乗ってきたのか、なぜか最後は講談調に締めくくられた。
見台(けんだい)を叩く張扇(はりせん)の音まで聞こえそうだ。
どうだと言わんばかりに堂々としているエルフィムに、葉月は頭を抱えた。
「な、なんてベタな……」
ベタだ。
ベタ過ぎる……。
ベタ過ぎて怪し過ぎる。
神に対する敬意など、それこそ異世界へ吹き飛ばされる勢いだ。
もともと信仰心が厚いわけではなかったが、彼岸や盆には墓参りに行き、正月には初詣へ厄年には厄払いと、生家が古い家であることもあってそれなりに信心は持っていたのに、何か大事なものを台無しにされた気分で葉月は脱力した。
同じく呆れているだろうジークの方を見ると、
「なるほど、それなら似てない二人が一緒にいても怪しまれないですね」
「うむ」
しきりに感心している様子のジークに、尊大にうなづくエルフィム。
「ちょっと待って、ジークさん。本当にそう思います?」
まるでいちご大福だと思って買ったら栗饅頭だったような気持ちで葉月が問いかけると、ジークはいい笑顔で答えた。
「はい。さすが神様ですよね。よい設定だと思います」
「こら、葉月、ジーク、二人は義理のとはいえ、姉弟なのだ。
そのような他人行儀な話し方でなんとする」
エルフィムの言葉に浅黒い頬をかすかに朱に染めるジーク。
「はい。えぇと、何と呼べば良いのでしょうか?」
「ちょっとジークさん。本気ですか?」
エルフィムが余計なことを言う前に慌てて割って入った葉月に、ジークは照れたような、それでいて寂しそうな笑みを浮かべる。
「すみません。でもちょっと嬉しくて」
「嬉しい?」
「はい。俺は戦災孤児だったんです。養父に拾われましたが、きょうだいというものには縁がなくて……憧れていました。 だから義理とはいえ、姉が出来ると思ったらつい嬉しくて……。すみません、葉月さんのお気持ちも考えないで。そうですね、俺なんかが弟では、ご迷惑になりますね……」
その自嘲的な笑みが痛々しかった。
冗談や自虐趣味で言っているのではなく、本当に自分にはその資格がないと思っている笑み。
子供の顔に浮かべるには、相応しくない表情(かお)だ。
そんな顔をさせてしまった自分に、葉月は唇を噛んだ。
「……ごめんなさい。ジークさんが嫌いとかダメとか、そういうわけではないんです。ただ……」
言葉がそこで止まった。
何と言って良いのか分からない。
それなりに社会人経験も積んできたが、相手にこんな表情をさせてしまったことなどなかった。
相応しい言葉が出てこない。
誤魔化して、笑いにして良いものではなく、さらりと大人の対応をしてしまってはいけないとは分かっているのに……。



重苦しい空気が漂う中、口を開いたのはエルフィムだった。
「ふむ。出会って間もないのだ。お互いを理解する時間が必要であったな。吾が先走った。すまぬ」
きっちりと頭を下げた後、顔をあげたエルフィムは、真剣な眼差しで葉月たちを見つめる。
「だが、覚えておいて欲しい。この世界でいくら信の置ける者が出来たとしても、そなたたちは異質だ。本当の意味で支え合い、分かり合うことが出来るのは、お互いのみだということを。他人を信じるなというのではない。信じ、信じられ、裏切り、裏切られ、愛し、愛され、憎み、憎まれ、笑い、泣き、不幸を嘆き、幸せを噛みしめて欲しい。無様に気高く、潔く意地汚く、賢くも愚かに一生懸命に生き抜いて欲しい。そなたたちの体は<混沌なき箱庭>のもの。だが、心までそうなる必要はない。むしろ、なってもらっては困るのだ。そなたたちは<世界の落とし子>。異質にして異端。それゆえに価値がある」
葉月もジークも、エルフィムに圧倒されていた。
ふざけて適当なことを言っても、相手は神だった。
その視線に射抜かれて、二人は目をそらせない。
そんな二人にエルフィムは、幼女の姿に似つかわしくない艶然とした笑みで言い放った。
「吾を、失望させてくれるな」



次の瞬間、葉月とジークの姿は消えていた。
イスやテーブルの姿もなく、どこまでも続く柱の神殿に、幼き姿の女神がただ一柱、たたずんでいる。
広く、空虚な空間に、ぽつりと小さな声が響いて消えた。
「葉月、ジーク。この世界を……頼む……」



<世界の落とし子>たちは、こうして<混沌なき箱庭>に落とされたのだった。