混沌なき箱庭 1‐2
何とか現実を、今の己の姿を受け入れたらしい少年は、その歳に似つかわしくない精悍な顔つきをしていた。
己の痴態を恥じているのか、その視線はうつむき気味だったが、焦げ茶の瞳は落ち着きを取り戻している。
鞘に納められてはいるが、その本質は刀剣の類だろうと、葉月は少年の印象を修正した。
彼女も少々特殊な家に生まれ育ったので、人を見る目にはそれなりに自信がある。
葉月の視線に気づいたのか、少年と目が合った。
葉月はおっとりと微笑んだ。
元々、顔立ち自体が柔和なため、見る者を安心させるような笑顔だ。
少年は驚いたように目を瞬いたが、やがてにこりと笑ってうなづいた。
二人が自分を取り戻したことを確認し、エルフィムが口を開いた。
「長い話になる。立ち話も何だ。茶でも飲みながら聞いて欲しい」
エルフィムがそう言った瞬間、二面の姿見は姿を消し、代わりに三脚のイスと一卓のテーブルが現れ、テーブルの上にはティーセット一式と皿に盛られた焼き菓子が出現した。
誰の手も触れていないのに、こぽこぽとティーカップに茶が注がれる様子は奇妙の一言だったが、エルフィムは何でもないような顔をして二人に席につくようにうながした。
何とも言えないような顔をしつつ、二人は席につく。
そして、うながすようにエルフィムの顔を見つめる。
二人の目には、事態を受け入れようとする、強い光があった。
その目にこの人選は間違いではなかったと、エルフィムは珍しく安堵(あんど)した。
そしてエルフィムはゆっくりと語り出す。
ここがどこなのか、葉月たちは何であるのか、そして何をなして欲しいのかを。
それをまとめると、おおよそは次のような話だった。
世界は一つではない。
それはいかなる世界の住人の間でも一度は語られ、しかし実証されていないことだった。
しかし、それは真実である。
世界は“神”と呼ばれるモノたちが創造する。
幾多もの世界があり、通常はそれぞれ干渉せず、交わることもない。
だが、中には偶発的に、もしくは意図して交流が行われることがあった。
前者では葉月の生まれた場所では“神隠し”と呼ばれる現象により、他の世界へと迷い込んでしまうことが挙げられる。
その場合、“神”と呼ばれるモノは干渉しない。
葉月たちが該当するのは、後者だった。
ごくごく稀にだが、それぞれの世界を創造した神々は交流するのだという。
特に創造した世界が安定せず、歪みが現れるような未熟な世界の創造主は、他の神々に助言や手助けを求めることがある。
エルフィムが創造主の一柱である世界も、そのような不安定な世界の一つだった。
世界は神々によって、便宜上名がつけられており、この世界は<混沌なき箱庭>と呼ばれている。
不安定であるのに“混沌なき”とはいかにも皮肉が効いているようだが、その理由をエルフィムは説明しなかった。
また、葉月が生まれた世界は<神話の向こう側>、ジークが生まれた世界は<猛る牙>と呼ぶのだそうだ。
ところで、神という存在は、一般的に親切ではないし、勝手なものである。
<混沌なき箱庭>の創造主たちが安定した世界の神々に助言を乞うたが、有用な助言を与えてくれたのは、ほんの一部の神だけだった。
その一部の神々にしても、多くは語らない。
ただ、「他の世界から住人を移し、混ぜてみたらどうか」と言った神がいた。
そんなに多くはいらない。
数十年か数百年に一人か二人で十分だろう。
あまりに小さな一滴。
大海に混ぜたところで劇的な変化はないだろうが、長く続ければ面白いことになろう、と。
エルフィムたちはその提案を受け入れた。
そして、協力してくれる神々の世界から死んだ者の魂を譲り受け、<混沌なき箱庭>の住人に創り変えて下ろしてきた。
いつしか、そのような者たちのことを<世界の落とし子>と呼ぶようになっていた。
その試みは、長く長く続けてきた。
気の長い神々が長く、と思うほどに。
しかし、目に見えた効果は現れない。
それでもずっと続けてきて、これからも続けていくつもりだとエルフィムは言う。
「それで、私たちに何をしろというのですか?」
エルフィムが一息ついたところで、葉月が問いかけた。
自分たちが呼ばれた経緯はなんとなく掴めたが、肝心のこれからのことが分らない。
一番知りたいことはそれだというのに。
焦れる葉月に目を細め、エルフィムは冷めかけた茶を一口飲んで、その問いに答える。
「思うがままに生きて欲しい」
「え?」
ジークがいぶかしげな顔で尋ねる。
「何かをしろ、というのではないのですか?」
「だから、思うがままに生きろ、と言っている」
今度はサクサクと焼き菓子をほおばって、やや投げやりな様子でエルフィムは言った。
「正直なところ、そなたらが具体的に何をすれば世界が安定するのか、吾にも分らぬ」
「そんな無責任な」
「仕方なかろう。分っておればこのように苦労はせぬわ」
開き直った態度で言われては、二の句が継げない。
本当は責任を追及したいところだが、見た目が幼女なだけに、首を絞めるのもためらわれる。
葉月とジークは顔を見合わせた。
お互いの顔には、呆れの表情が浮かんでいる。
それを見たエルフィムは、むっとした顔で言った。
「しかし、吾とて今まで何も学ばなかったわけではない。一人で世界に送り込むと、えらく苦労したり精神的に病んだりする者もいたのでな、ここ二、三百年は二人一組で送り込むことにしている。その際、相性も重要だということも学んだ。分けてもらう魂も、ちゃんと考えて発注しているのだ。あと人の寿命は短いからな。元の世界で死んだ時の年齢がどうであれ、体は健康な十代半ばから後半に創り変えることにしている」
エルフィムの言葉に困惑の表情を浮かべたのは、ジークだった。
ちらりと葉月の方を見てから口を開いた。
「こちらの方は十二、三に見えますから、その条件に該当しなくもないですが、俺はどう見ても十かそこらなのですが……」
「うむ。それについては二人に謝らなければ、と思っていたところだ。正直に言う。久しぶりのことで加減を間違えた。すまぬ」
まったく謝る態度ではなく堂々と言い放ったエルフィムに、葉月が半眼でにらみつけた。
「つまり……手違いだと?」
「その通りだ。本当ならジークは十五くらいにしようと思っていた。葉月は十八くらいだ。あまりに小さい子では、生き抜くのに苦労するからな。だが、まぁ、なってしまったものは仕方あるまい。そのままでも、そなたたちなら何とかなるだろう、たぶん」
適当なことを言うエルフィムに、葉月の肩ががくっと落ちた。
ジークも苦笑いを浮かべている。
神は一般的に親切ではなく、勝手な存在である。
エルフィムも、その一般から逸脱することはない神の一柱だった。