月影に咲く華 −01−

月影に咲く華 −01−

 この世には、二種類の人間がいると思っていた。
主役になれる人となれない脇役。
物語の主人公は大抵が綺麗なお姫様で、たとえ最初は貧しい娘でも最後には見違えるほど綺麗になる。
だから、私は決して主役にはなれないのだと思っていた。
私はいつも傍観者だった。
私が当事者になるはずなどないのだ。
私はいつも巻き込まれるだけ。
今回も、そうなるはずだった。



<大陸>の東半分を治める<帝国>の最北部。
獣すら拒むハーレー山脈が唯一途切れる平地の街に、私たちの住む館はある。
館、と言ってもそう豪奢な物ではない。
どちらかといえば、砦に近いのだろう。
それもこの街、ハレンヒルダの存在意義を考えれば、当然といえば当然だった。
「ねぇ、アイル姉さま。お父さまのお話って何かしらね」
私の前を歩いていた妹が、振り返って尋ねてきた。
私、アイリェル=フォン=ヴィオラと妹のシェルリーン=レイン=ヴィオラは、<帝都>から帰ってきた父に呼び出され、書斎に向かっているところだ。
私は図書室で本を読んでいる途中に、シェリルは剣の稽古中のことだった。
「ご帰還の挨拶だけじゃなさそうね。わざわざ大事な話があるっておっしゃるのだもの」
どうも面倒なことになりそうな気がする。
こういう勘は外れたことがないので、足取りは自然に重くなるというものだ。
「ま、入ればわかるでしょ」
シェリルはあまり気にしていないふうに書斎の前で立ち止まり、厚い木製の扉を軽く叩いた。



「シェリルが皇太子殿下の妃になることが決まった」
父は口を開くなり、とんでもないことを言った。
一瞬、父が冗談を言っているのかと思ったけれど、石頭の頑固親父を地で行く父は冗談など口にしない。
私は両親のどちらにも似ていない真っ直ぐな黒髪と黒目という、おおよそ貴族らしくない容姿なのに対し、シェリルは母親譲りの金髪碧眼の美少女で、その美しさは周辺の国々にまで噂が及ぶほどだ。
ふわふわとした腰まである長い髪、ぱっちりとしたつり目気味の瞳。
多少歳の割りに幼い感じはするが、それは成長途中だからだろう。
十五という年齢は結婚適齢期の初めと言える。
実際今までも縁談話は山ほど来ていた。
しかしシェリルはその派手な外見と比例してなのか、気性が激しい所がある。
案の定今回も……。
「なんで私が一度も会ったことがない皇太子の妃なんかにならなくちゃなんないのよ!」
ものすごい形相で父に詰め寄るシェリル。
顔が綺麗なだけに、迫力があった。
しかし父は慣れたもので、平然と言い返す。
「なんかとは何だ。なんかとは。
恐れ多くも皇太子殿下だぞ。未来の皇帝陛下だ。
そうなればお前も国母となるのだから名誉なことじゃないか」
だがこんなことで誤魔化されるようなシェリルではない。
「い・や・よ。大体ウチは侯爵家じゃないの!
普通は公爵家か他国の王族を娶(めと)るもんじゃないの!」
「ヴィオラ家は侯爵家の中でも特別だ。このハレンヒルダは北の要所だからな」
私は巻き込まれないために窓際に避難していた。
その窓から見える街壁を見ながら、あぁそういうことかと納得する。
ぐるりと高い壁に囲まれている街は、建国から千年近くたったこの国には珍しい。
それはこの街自体が防壁の役割をしているからだ。
野を駆ける獣すら越えられないとされるハーレー山脈の向こうには、<フェリタン>という国がある。
<フェリタン>は<帝国>と同じくらい古い国で、かの国と我が国はそれこそ何百年も前から戦が絶えない。
十年前にも大きな戦があり、母はそれで亡くなった。
このハレンヒルダは天然の防壁のハーレー山脈が唯一途切れる所。
戦地の最前線となる所だ。
十年前の戦で<フェリタン>を撃退して以降、表面的には平和になった。
しかしいつまた<フェリタン>が攻めてくるかもわからない。
だからこのハレンヒルダを治めるヴィオラ家をつなぎとめるため、今回の婚姻話となったのだろう。
それほど、このハレンヒルダは重要な街なのだ。



「だからって私になんの相談もなくそういうこと決めちゃうなんて酷いじゃない!」
息継ぎなく言い募るシェリル。
さすがに剣術を習っているだけのことはあるわ。
「それに、普通は上から順にお嫁に行くもんじゃないの! なんで次女の私なのよ!」
話が完全に傍観者に徹して、様子を見守っていた私の方に飛び火してきた。
いえ、シェリル。私をダシに断ろうとするのは止めて欲しいのだけど。
「皇太子殿下は御年十六歳になられる。
十八のアイル。十五のシェリル。どちらがつりあっていると思う?」
「年上だっていいじゃない! 歴史上年上の后なんて、結構いるでしょう!
  現に今の皇后陛下だって、皇帝陛下よりも一つ年上でいらっしゃるじゃない!」
「ほら、私はこの家を継がなきゃならないのだし。ですよね、父上」
やんわりとシェリルの矛先を父へと戻す。
この話を持ってきたのは父上なのだから、最後まで責任を持って説得してもらいたい。
「うむ、そうだぞ。アイルは是非とも婿をとってヴィオラ家を守り続けなければならんのだ。
まぁ、十八と少しばかり出遅れてはいるが、問題ない」
「父上、確かに今の平均結婚年齢は十六前後ですが、私はまだいき遅れというわけではありません。
そういう誤解をまねくような言い方は止めてください」
しかし父は私のつぶやきを無視して、シェリルの説得を続ける。
「今はお前の縁談の方が大事だ。これは勅令でもあるのだぞ? 
皇帝陛下直々に今回の縁談について打診されたのだ。断れるわけがないだろう」
シェリルとて侯爵家の娘だ。
この婚姻の重大さを、本当はよく分かっている、のだと思う。
それにシェリルの物怖じしない度胸と美貌は、皇太子妃として十分にやっていけるだろう。
皇太子妃ともなれば、家柄や頭の回転はもちろんのこと、その容姿も秀でていなければならない。
その方が国民も喜ぶだろうし、見栄えが良いと外交などにも役に立つ。
武器は、一つでも多い方がいい。
ちなみに私はどちらかというと学者肌で、主に古書の研究などをしている。
はっきり言って、活動的なことはあまり好きでない。
昔はよく館を抜け出して街で遊んでいたものだけど。



そのようなことをぼーっと考えていたら、シェリルに爆弾発言をされた。
「わかったわよ。姉さまが一緒に<帝都>行ってくれるなら、この話を受けます」
え? ちょっと待って!?
「そうだな。それは良い考えだ。シェリルだけでは心元ないし、アイルがついていれば安心だ」
「待ってください、父上。私には研究が……」
母が残してくれた貴重な古書の数々が私を待っているのです。
「アイルも十八になったのだから、少しは社交界を知った方が良い。
それにな、<宮廷>の図書館には、貴重な本がごろごろしているのだぞ?」
う、さすが父親。娘の琴線に触れることをよくご存じで。
「婚礼は一年後。それまでに<帝都>で人脈を作り、ついでに婿探しもしてこい。
<宮廷>の図書館の本がお前を呼んでいる。
それにな、皇族の姻戚になる者だったら、<神殿>のそれはそれは貴重な書物も読めるかもしれんぞ?」
父がこっそりと耳打ちした言葉が、私の心を支配する。
確かに母の残してくれた蔵書は多いけれど、個人で集めたものだから数はたかが知れている。
<宮廷>の図書館。きっと<帝国>にまつわる書物が山のようにあるのでしょうね。
<神殿>の書庫。おそらく門外不出の巻物やら古文書やらが所狭しとならんでいることでしょう。
あぁ。本が私を呼んでいる。
次の瞬間、私は満面の笑みで父に応えた。
「シェリルのことは私にお任せください。立派な皇太子妃になれるよう、微力ながら手伝いましょう」
「姉さま! そう言ってくれると思ってたわ!」
「えぇ、シェリル。二人で頑張りましょうね」
「もちろんよ、姉さま」
がっちりと私とシェリルは手を取り合い誓った。
私たちは<帝国>の首都、<帝都>へと旅立つ。
シェリルは立派な皇太子妃となるために。
私は貴重な書物の為と、ついでに婿探しの為に。
シェリルの運命が変わった日。
これが私の運命をも変える日だったとは、夢にも思わなかった。