陽だまりに揺れる蕾

陽だまりに揺れる蕾

 私にとって、姉さまは特別な存在なのよ。
父さまは年の三分の一は<帝都>に居たし、母さまは私が五つの時に亡くなられた。
そりゃ、私を可愛がってくれた乳母や、リンやシンやキーアだっていたわ。
でも、やっぱり肉親って、特別なものでしょう?
寂しい時や悲しい時に一緒に居てくれたのは、姉さま。
お勉強で分からない所や庶民の間で流行っていた遊びを教えてくれたのも、姉さま。
私が悪戯した時に叱るのも姉さまだったし……本気で怒った姉さまは……。
お、思い出しただけで悪寒が走るけど……。
と、とにかく、姉さまは母さまや父さまの代わりまでしてくれたのよ。
それなのにあの馬鹿皇太子ったら、ずけずけと言いたいこと言いくださって!
なぁにが、
「お前さ、ちょっと“姉さま”に頼り過ぎてるんじゃないの? 十五にもなって、“姉さま”“姉さま”って言ってて、恥ずかしくない?」
よ!
自分だって、アランさんに頼ってるじゃないの!
知ってるんだからね!
“アランはこう言ってた”だの“アランならこうするだろう”とか、言ってるそうじゃないの。
それを聞いたのがついさっきの礼儀作法の時間だったから言い返せなかったけれど、今度顔合わせたら絶対言ってやるんだから!
でもさすがは女官の情報網よね。
こんなことまで知ってるんだもの。
敵には回したくないわ。
さぁて、馬車着き場にウチの馬車は着てるかしら?
礼儀作法の時間も終わったし、さっさと帰りましょ。
と、思いながら回廊の角を曲がると、バッタリ太ったおじさんに会った。
私はこのおじさんのことを知らないけど、向こうは私のことを知っていたらしくて、話しかけられちゃった。
苦手なのよね、こういう暑苦しいおじさんって。
本人はニコニコのつもりなんだろうけど、私にはニヤニヤ笑っているようにしか見えないわ。
しかも、お世辞が見え見え。
なんとか子爵とか名乗ってたけど、こんなのが爵位持ってて大丈夫なの? この国。
「いやぁ、実にシェルリーン様はお美しくていらっしゃる。お母上に瓜二つですな。こう言ってはなんですが、アイリェル様は少し……変わった方でいらっしゃいますし、やはり、皇太子殿下のお妃に相応しい方は、シェルリーン様しかおられませんよ」
しかもこのおじさん、無自覚にか地雷を三つばかり、思いっきり踏んでくださったのよね。
第一に、私は母さまに似てるって言われることが嫌い。
第二に、私は姉さまを侮辱する奴は許さない。
第三に、私はあの馬鹿皇太子の妃になるのを納得したワケじゃない。
そりゃあね、私だって侯爵家の人間だから、一通りの礼儀作法は身に付けてるわよ。
その中には、「淑女たる者、自分にとって不快な内容の会話でも笑って受け流すべし」っていうのがある。
あの夜会の所為で父さまや姉さまに迷惑をかけちゃったから、
これ以上問題を起こすわけにはいかないしね。
だから私は気力を振り絞って、笑顔を浮かべる。
私がにっこり笑うと、大抵の人はぽぅっとしてくれるのよ。
自分の容姿がそこらにはないくらい整ってるって自覚はある。
この顔の所為で嫌なこともたくさんあったけど、あるものは有効活用しないとね。
ついつい感情的になって忘れちゃうのが、玉にキズってものかしら。
「まぁ、そんなことありませんわ。私はまだ若輩者ですし……。姉や殿下や、周りの方に助けられている身ですもの」
って言って、恥ずかしそうに頬を染めて視線を落とせば完璧でしょ。
自分で言ってて歯が浮きそうなセリフだし、姉さまはともかく、あの阿呆殿下に助けられてるなんて、これっぽっちも思ってやしないけどね。
案の定おじさんはぽぅっとなって、慌てて言った。
「いやぁ、そんなことありませんよ。シェルリーン様はご立派ですとも! それにしても、あの夜会は何かの間違いだったのですな。このように可憐でお美しいシェルリーン様が、まさか皇太子殿下に平手打ちするなど……」
「えぇ、もちろん。あれは殿下の頬についていた塵を取ろうとして、おもわず力を入れ過ぎてしまっただけだと、陛下もご存知のことです。なにぶん、殿下とお会いするのは初めてで、緊張していたものですから……」
あー、あまりにも心にもないことを言うと、口がむずかゆくなるのよね。
このおじさん、好きじゃないし。
さっさと話を切り上げて、帰ろう。
「では、申し訳ございませんが急ぐので、失礼します」
さっき女官長に叩き込まれた“貴婦人の優雅な一礼”をさっそく実践する。
裾をつまんで、軽く膝を折るんだけど、この時の角度が重要な所なのよね。
何百回も繰り返させられた所為で、身体が覚えてるし、女官長のお墨付きだもの。
完璧でしょ。
「いえ、こちらこそお忙しい所をお引止めして申し訳ございませんでした。では」
そのまま、なんとか子爵と別れて、馬車着き場に向かったんだけど、途中で礼儀作法をやっていた<紫翠の宮>に扇を忘れてきちゃったことを思い出した。
そんなに気に入っている扇でもないから、明日取りに行ってもいいかしら?
あ、でも忘れ物をしたことを女官長に知られたら、またお小言をくらいそう……。
うん、取りに戻ろう。
あの女官長、苦手なのよねー。
口うるさいし、迫力あるし。
そんなことを考えながら、さっきなんとか子爵と別れた角までやって来た。
普通に角を曲がろうとすると、なにやら話し声が聞こえたので立ち止まる。
うわぁ、あのなんとか子爵って人の声よね、これ。
もう一人、年配の男の人の声も一緒に聞こえる。
どうしよう、迂回しようかしら……。
忘れ物をして戻るって知られるのも恥ずかしいし。
そうしようっと。
一つ手前の角を曲がっても、少し遠回りになるけど<紫翠の宮>には行けたはず。
そう思って引き返そうとした時、会話の中に私の名前が聞こえた。
人間、自分の名前だけは、どんなにざわついていても、聞こえちゃったりするものなのよね。
立ち聞きがはしたないってことは重々承知だけど、気になるものは気になる。
辺りを見回して誰もいないことを確認。
そうっと角に隠れて、耳をすます。
うーん、ちょっと離れてるし、あまり大きな声じゃないから聞き取り難いけど、聞こえないこともないわ。
『あれは……でして、大丈夫でしょう』
『うむ。今から取り入っておけば……た時、あの小娘なら扱いやすそ……のぅ』
『ヘタに外国の王女を……大きな顔をされ……も、あの辺境のヴィオラなら……でございましょう? 年若い皇太子殿下も、我らが導いて差し上げなければ……でしょうし』
『こうるさいビスフォードの若造も……だしのぅ。今に儂らに泣きつ……決まっておるわ』
『そういえば、あのヴィオラの長女も、なにやらフェンタールの三女と……』
『ふん、いくら……のフェンタールと言えども……は三女じゃろう?』
『まぁそうなのですが……と言いますし、用心しておくのに越したことはございません』
『あぁ、そうせい。とにかく……』


バンッ。
姉さまやキーアに見つかったら、きっとお小言を受けるくらいの勢いで、部屋の扉を閉める。
リンとシンも下がらせたから、誰もいない自分の部屋。
うるさい人もいないから、思いっきり寝台に寝転がる。
服にしわが寄るとか髪型が崩れるとか、そんなことをちらりと思ったけど、あとで怒られればいいわ。
今はとにかく不愉快で“胸糞悪い”ってこういう時に使うのよね、確か。
あれ以上は聞くに堪えなくて、扇は諦めて帰って来た。
あー、もう、最悪。
あそこで怒鳴りつけられたら、どんなにスッキリしたことでしょうね。
さすがの私でも、それは出来ないことだけど。
だいたい、貴族とか権力とかって、面倒くさいのよ。
全部打算で動いてて、結婚やら養子縁組なんかは家を栄えさせるためで……。
やだなぁ。
もちろん私が何不自由なくここまで暮らせてこれたのも、うちが侯爵家だからっていうのは分かってるんだけどね。
でも……私ってつくづく貴族向きな性格じゃないのよ。
皆は姉さまのことを貴族らしくないとか、庶民っぽいとかいうけど、実は姉さまの方が貴族としての義務をきちんと理解されてる。
悔しいけど、それはあのカリスやアランさんにもあって、あの馬鹿皇太子も認めたくはないけど、国のことをよく考えてるのは事実で……。
情けない。
十五にもなって、こんなことで悩んでるなんて。
庶民だったら十五で働いてない者はいない。
もしかしたら子どもだって、一人くらい居てもおかしくない歳なのよ。
こんなこと、情けなさ過ぎて姉さまにも相談できないわ。
姉さまは十五になる前から、とてもしっかりしてたし。
<帝国>では十五になったら、もう成人。
私だってもう大人として扱われるし、大人としての振る舞いを求められる。
でも、実際はどう?
あんな人たちにまで扱いやすいとか言われて、私が情けないから私の周りの人たちまで悪く言われて。
はぁ。
こんな時、母さまが生きていたら、相談できたのかしら?
母さまと比べられるのは嫌だけど、母さまのことは嫌いじゃないというか、実際はあまりよく覚えていないのよね。
亡くなられたのは、私が五つの時だったけど。
どうしてかしら?
姉さまに「母さまってどんな人だった?」って聞くと、ものすっごく微妙な表情(かお)になるし、父さまには古傷をえぐるようでちょっと聞きづらいし、リンやシンはまだその頃、館に居なかったし、キーアは「色んな意味ですごい方でしたよ」って言うし、乳母や他の人は褒めちぎることしかなかったし、全ッ然どんな人だか分からないわよ、こんな情報じゃ。
ふぁあ、転がってたら何だか眠くなってきちゃった。
まぶたが重い。
身体も重たいわ。
疲れてるの……かしら……?


どさっ。
痛ったぁい。
何? 寝台から落ちた?
やだ、そんな子どもみたいな恥ずかしい……。
お尻打っちゃった。
さっさと起き上がろうっと……ん? 床の感触じゃないわよね、これ。
次の瞬間、寝起きで焦点が合ってなかった目もバッチリ覚めたわよ。
だって、<帝都>の屋敷の部屋で寝てたはずなのに、いきなり外にいるのよ?
そりゃ、びっくりでしょ。
でも現実に目の前には広い庭が広がってるし……。
あれ? この庭……見覚えが……。
って、ハレンヒルダの館じゃないの、ここ。
そうよね、この合歓木(ねむのき)の位置なんか、そうだものね。
え? 何で? 瞬間移動?
夢じゃないわよね? 
だってお尻打って痛かったし、こんなハッキリ風景が見える夢なんて、見たことないもの。
何がなんだか分からないけど、とりあえず館の者に聞けば何とかなるわよね。
父さまだって、ここにいるはずだし。
まったく、どういうことなのかしらね。
珍現象に首をかしげながら、庭を横切って館に入ろうとした時、頭上から声が降ってきた。
「ちょっとー、そこのアンタ!」
は?
女の人の声よね? それにしても聞いたことのない声。
新しい使用人かしら?
それにしても無作法な……。
そう思いながら顔を上げる。
うーん、二階じゃない……三階?
そのまま顔を上げてくと、一番初めに目に入ったのは、金の髪だった。
陽の光に当たって、きらきらして、綺麗。
私も髪の調子がいいとあれくらいきらきらするけど、滅多にないわよ、あんな綺麗な金髪は。
風が吹いていて髪が顔にかかってるから、顔はよく見えないわね。
「ねぇ、迎えに行くから、ちょっとそこで待っててくれない?」
「わ、私?」
「そう! 今行くわ!」
そう言うが早いか、さっと金髪の女性は身をひるがえして見えなくなった。
何あれ?
私、一応主人筋のはずよね。
あんな使用人を雇うほど、ヴィオラ侯爵家(うち)は落ちぶれてないはずだけど……。
どうしようかしら?
一応、ここで待っていた方が良い?
でも言うこという筋合いもないと思うし。
不思議なことが起きてるみたいだから、んー。
「お待たせ!」
バンッと目の前の扉がいきなり開いた。
早ッ。
まだちょっとしか経ってないのに。
三階に居たはずよね、この人。
そう思いながら扉の方に目を向ける。
……え?
え? えぇ! えぇえ!?
わ、私?
じゃないわよね、私より年上だし。
三十歳くらい?
親戚に居たかしら? こんな人。
あまりにそっくりでびっくりした。
私もあと十数年したら、こうなるって見本のような……。
目の前の女の人も、ちょっと驚いてる。
「あ、あなたは?」
「あぁ、あたしはレリィーエよ」
「え? レリィーエって……まさか……」
じょ、冗談よね。
うん、私の知らない母さまの親戚の人が悪ふざけしてるだけよね。
頭では必死に否定しようとしてるんだけど、第六感みたいなのが訴える。
本物だ、と。
そして、目の前の人物もニヤリと笑って、それを肯定する。
「そう、そのまさかね。あたしの名はレリィーエ=オルト=ヴィオラ」
滅多に神様にお祈りなんてしないんだけど、今は切実に祈りたい気分だわ。
神様、これが夢なら、さっさと目を覚まさせてくださいって。


そうっと周りを見渡す。
館の一室。私的な応接室に使っている部屋。
全体としては変わらないけど、所々の調度品が違ってる。
そりゃ、私と姉さまが<帝都>に行ってから数ヶ月経つから、模様替えしてないとは言い切れないないけど……。
目の前の人物と合わせると、ここは十年前ってことになるのよね……。
信じられない、というか、信じたくないんだけど。
私と目の前の人物以外は、この部屋にいない。
人払いをしてあるみたい。
「でもびっくりしたわよ。いきなり大きな魔力の波動と時空の歪みを感じてねぇ」
「魔力……?」
手ずから淹れてくれたお茶を受け取りながら、信じられない言葉をおうむ返しする。
確かに私には魔力があるって、父さまは言っていたけど……。
「そう。なぁに? アンタ、魔術師になったんじゃないの?」
「まさか! 修行なんて一度もしたことないもの!」
「えー、そうなの? じゃあ、何でかしらね? 時空を渡る魔術なんて、ウチの師匠かその又師匠くらいしか出来ないと思ったんだけど。さすがは我が娘って所ねぇ」
そう言いながら、私の向かいの長椅子に座る。
私は気になってることを尋ねた。
「あの……本当に母さまなの?」
「そうよ?」
「そんなに軽々しく言われても……よくそんなに簡単に分かるわね」
私がそう言うと、この人……母さまは声を上げて笑った。
「そりゃあね、これでも母親だし。アンタの魔力の感じがあたしに似てたし。顔なんかもそうだけど、そっくりだと思わない? シェリル」
「……」
確かに、魔力は分からないけど、顔は似てるかも知れない……性格は大分違うけど。
私が黙り込むと、母さまは穏やかな笑みを浮かべた。
「あぁ、その顔はあたしと比べられて嫌な思いをしたって顔でしょ? シェリルは正直ねぇ。その辺りは大きくなっても変わらないのね」
母親らしい表情というのかしら?
初めてこの人が母さまだと実感したわ。
こんな表情も出来たのね、この人。
「そんなこと、気にすることないじゃない。確かに顔はそっくりだけど、中身は大分違うようだしね。アンタはアンタでしょ。未来のあたしは、そう言わなかった?」
母さまは軽い気持ちで言ったんだろうけど、私は返事に困った。
だって、母さまはもう死んでしまっているなんて、言えるわけない。
姉さまなら、上手く誤魔化せるんでしょうけど、私には無理だわ。
答えに窮(きゅう)していると、母さまが寂しそうに笑った。
「やっぱりね。あたしは近いうちに死ぬんでしょう?」
「なっ」
「隠さなくてもいいわよ。なんとなくね、死期が近いような気がしてね。どうも北がきな臭いし。嫌ね、魔術師なんてやってると勘が冴えちゃって。しかも嫌な予感ほど当たるんだもの」
「……“ここ”は、何年?」
「帝国暦九七八年よ」
“今”が帝国暦九八八年だから……ちょうど十年前……。
“ここ”は母さまが亡くなる直前!?
愕然(がくぜん)としている私の手を、母さまが取った。
母さまの手は温かくて、生きているのだとしっかり伝わってくる。
青玉(サファイア)のような、と未だに謳われる母さまの瞳は、まっすぐ私を映してる。
「ねぇ、シェリル。アンタは幸せ?」
「え?」
「そりゃあ、生きていれば辛いことの一つや二つや百くらいはあるだろうけど、それでも生きていて良かったと思えるものに、ちゃんと出会えてる?」
「……よく……分からないわ」
私は正直に答えた。
だって、私はまだ、貴族としての自分がどうのとか、そんな所で迷ってる。
あの馬鹿皇太子と素直に結婚する気にはなれないし。
幸せだとか、不幸せだとか、そんなことを考えてる余裕なんてないんだもの。
そう言うと、母さまは「そう」と言って笑った。
「アンタ、今いくつ?」
「十五よ」
「じゃあ、まだそんなものかも知れないわね。十五と言ったら、あたしが魔術師の修行を始める前くらいだし」
「そうなの?」
魔術師になる為の修行って、物心つくかつかないかくらいから始めるものだって聞いたのに。
「そうよ。まぁ、あたしは才能があったしね、努力もそりゃあしたけど」
ふふんと笑う母さまは、とても偉そうで、キーアの「色んな意味ですごい方でしたよ」っていう感想が実感として分かったわ。
確かに色んな意味ですごいもの。
「そうそう、アイルは? あの子はどう? 元気? アンタが十五ってことは、アイルは十八よね? もう嫁いでたりする? まさか子どもまで……」
勢い込んで尋ねてくる母さまを押し戻して答える。
「姉さまは忙しそうだけれど、元気よ。結婚も子どももまだ。お婿さん募集中。今は私たち<帝都>に居るんだけど、姉さまは陛下に重要なお仕事を任されるくらい凄いんだから」
「アンタの“姉さま大好き”な所は、大きくなっても変わらないのねぇ」
母さまは苦笑いしてるけど、いいじゃない、姉さまは素敵なんだから!


おかわりしたお茶をすすっていると、扉をノックする音が響いた。
「誰だろう? 個人的な客と会うからって、人払いしておいたのに」
そう呟きながら母さまは立ち上がって、扉を開けた。
そこからひょっこりと顔を出したのは……小さい姉さま!?
そうよ! 十年前のハレンヒルダの館ってことは、小さい私たちが居るってことじゃない!
黒髪を肩口くらいで切り揃えた小さい姉さまは、一瞬驚いたような表情をしていたけど、それも直ぐに消えて、私と目が合うとぺこりとお辞儀をした。
さ、さすが姉さまだわ。
まだ八つくらいのはずなのに……。
小さい姉さまは顔を上げると、母さまに向かって言った。
「おきゃく様がいらしているところ、もうしわけありません。母上、父上がいそぎの用があると、およびです」
「あら? そうなの?」
母さまは普通に受け答えしてるけど、私はびっくりよ。
だって私、八つの子がこんなに丁寧な言葉遣いしたの、初めて聞いたもの。
やっぱり、さすがは姉さまだわ。
母さまは私と姉さまの顔を交互に見て、にやりと笑った。
何か企んでいるような笑顔だわ。
「じゃあ、あたしがあの人の所に行ってる間、アイルがお客様の相手をしてくれる?」
「私がですか?」
「えっ、ちょっと」
母さまって、呼んじゃ駄目よね。
レリィーエさんって呼ぶのも、変な感じだし。
私がどうしようって迷ってる間に、母さまは小さい姉さまを説得し終えていた。
「じゃあ頼むわね。あ、この子、あたしの娘でアイリェルっていうの。アイル、こっちはあたしの遠い、とおぉい親戚で、シ……シーラよ。早めに戻ってくるつもりだから、仲良くね」
そう言って母さまは引き止める間もなく、早足で行ってしまった。
この部屋に残されたのは、私と小さい姉さま。
呆然と座っている私の所まで、小さい姉さまがやって来て、頭を下げた。
「もうしわけありません。母はああいう人なので。シーラさん、とおよびしても良いですか?」
「え、えぇ、私も……アイルちゃん、って呼んでも良いかしら?」
「アイルでもかまいませんが?」
「う、ううん。アイルちゃんって呼びたいの、駄目?」
姉さまを呼び捨てにするなんて、例え八つの小さい姉さまが相手でも出来ないわよ。
かといって、年下の子にさん付けは可笑しいしね。
小さい姉さまは少し考えてるみたい。
そういえば姉さまって、昔からちゃん付けされたり、頭をなでられたり、子ども扱いされるのが嫌いだったような……。
ど、どうしよう。
嫌われた?
様子をうかがっていると、小さい姉さまはにっこり笑って言った。
「どうぞ。シーラさんのおすきなようによんでください」
う、ちょっと怖いわ。
知らない人が見たら無邪気な子どもの笑みにしか見えないだろうけど、十五年間姉さまと一緒に育った私から見ると、目が笑ってないもの。
「うん、有難うね」
一応私もにっこり笑ってそう言ったけど、あまり名前を呼ばない方がいいわね。
小さい姉さまに嫌われたくないし。
小さい姉さまはすたすた歩いて、私の向かいの長椅子に座った。
子どもには少し高いから、足が浮いちゃってる。
そういえば、小さい姉さまはここにいるとして、小さい私はどこにいるのかしら?
「あの、シェリル……ちゃんは?」
「シェリルはひるね中です。ぐっすりねていますよ」
「そうなの」
小さい私とは会えそうにないわね。
ちょっと残念。
それにしても、小さい姉さまとこうして話してるなんて、変な気分よね。
姉さまはいつも私より何歩も先を歩いてるような感じがするのに。
八つの姉さまって、こんな感じなのね。
人当たりは良さそうなのに、何かちょっと違うっていうか、んー、何だろう。言葉にし難いんだけど……。
「シーラさんは」
「はいっ?」
そう、私はシーラって名前になってるのよね。
母さまが勝手に決めた偽名だけど。
びっくりして思わず返事する声が裏返っちゃったわ。
小さい姉さまは何事もなかったような顔をしてるけど、絶対心の中で「変な人」って思ってる。
やだな。
「シーラさんは、母のしんせきなのですよね?」
「えぇ、遠い、とおぉい親戚だけどね」
「そうですか。母にしんせきがいたと、はじめてきいたものですから。それにしても、そっくりですね?」
う、疑ってる?
その目は、何かを疑ってる目?
小さい姉さま、笑ってるけど、雰囲気が……。
何か、小さい姉さまの印象が思い描いてたものと違うんだけど。
すれてる? すれてるっていうのよね、こういうのを。
ひねくれてるって言ってもいいわ。
ちょっとこんな子どもって嫌!
でも姉さまなのよね? 姉さまが八つの時なのよね?
母さま! 早く帰ってきて!
小さい姉さまでも誤魔化せる自信がないわ!


ガチャ。
「席外してごめんなさいね。用事はもう済んだから。有難う、アイル。もう行っていいわ」 私の祈りが通じたのか、母さまが帰ってきた。
小さい姉さまは、それに「はい」と返事をして、すたすたと母さまの居る扉の前まで歩いて行って、笑顔でお辞儀をする。
「では、しつれいします。シーアさん、どうぞごゆっくり」
小さい姉さまが部屋を出て行って、私は思わず安堵の息をついちゃったわ。
母さまはそんな私を見て、くすくす笑ってる。
「その様子じゃ、アイルに品定めされたんでしょう?」
「あれって品定めなの?」
「そ、子どもらしい純真な笑顔という仮面をかぶって、こっそり品定めするのよね、あの子。気付かないヤツが多いんだけど、アンタは気付いたみたいね」
「そりゃあ、姉さまの妹だもの」
ふかふかの長椅子に背中を預けて笑う。
ちょっと驚いたけど、姉さまらしいといえば、姉さまらしいのかしら?
私に分かっちゃうようじゃ、まだまだだけど。
「さぁてと、そろそろアンタを元の時代に戻さないとね」
母さまはそう言って、私の所までやって来た。
私は長椅子に座ったまま、母さまを見上げる。
「どうやって来たかも分からないのに戻せるの?」
「まぁね。アンタは元の時代と繋がってるの。この時代では異分子だし。多分、アイルもその辺を敏感に感じ取ったんでしょうね。何か違うって。あの子、魔力は欠片しかないけど、そういうのには敏いのよ。えぇと、話が反れたけど、まぁ、あたしが後押しすれば戻れるでしょ。この時代から弾かれれば、自動的に元の時代に戻れるわよ、多分」
「多分って何!?」
「だってあたし、時空を越えるなんて魔術、使ったことないもの」
「ちょっと母さま!」
「つべこべ言うんじゃない!!」
うぅ、耳がキーンってする。
母さまの怒声で、鼓膜が破れるかと思ったわ。
耳をふさぐ暇もなかったし。
両耳を手で押さえながら恐る恐る見上げると、母さまは思いっきり見下すような角度と目でこっちを見ていた。
「うっさい小娘ね。あたしが出来るって言ったら出来るのよ。あたしを誰だと思ってるの? 灼熱の魔女姫とも謳われたレリィーエ=オルト=ヴィオラよ? ほら、さっさと立ちなさい。始めるわよ」
「は、はい!」
私は飛び上がるようにして立ち上がった。
か、母さまって怖い。
姉さまの百倍は怖い。
思わず従っちゃう雰囲気があるもの。
母さまは私の両手を握ると、ぶつぶつと呟き出した。
それと同時に、室内で風もないのに母さまの髪がそよぐ。
段々と母さまの手から、熱が移ってくる感覚。
何かに引っ張られる?
いつの間にか、母さまは何かを呟くのを止めていた。
でも何かに引っ張られる感覚は続いてる。
これが、元の時間との繋がり?
「母さま?」
母さまが私の手を離した。
そして次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。
「じゃあね、シェリル。大きくなったアンタと出会えたことは、いい冥途の土産になったわ」
ちゅっ、と私の頬に口付けを落として、母さまが離れる。
そしてちょっと苦笑いをして、袖で私の顔を拭った。
「ちょっと、なに泣いてるのよ。あたしは良かったって言ってるのに」
「母さま……私も、母さまに会えてよかった」
引っ張られる力が強くなって、周りの部屋が歪んで見える。
母さまの顔ももう、よく見えない。
最後に、母さまの声が聞こえた。
「シェリル、アンタはアンタの道を行きなさい。生きていて良かったと思えることに出会えるまで、死んじゃ駄目よ」
そして、ぷつんと何も見えなくなった。


「ねえちゃん!」
んー。
「シェリルねえちゃんってば! 起きてよ! 晩御飯だよ!」
ぼんやり目を開けると、ジュンの顔があった。
「どうしたの?」
私がそう言うと、ジュンは呆れたという顔をした。
「リンさんやシンさんを下がらせて寝てただろ? だから呼びに来たんじゃん。ご飯だよ」
「え、あ、そうだったわね」
おかしいわね、何か夢を見てたような気がするんだけど、思い出せないわ。
ゆっくり身体を起こしながら、ぐちゃぐちゃになった服を見下ろす。
鏡を見てないけれど、多分、頭もぐちゃぐちゃでしょうね。
はぁ、とため息をつく。
ん? ジュンが私の顔を見てる。
何か付いてる?
「ねぇ、シェリルねえちゃん、悲しい夢でも見た?」
「え?」
「ほっぺた」
ジュンに言われて頬に触ると、涙の跡があった。
「さぁ、覚えてないけど、そうなのかしらね。そうだ、ジュン、悪いんだけどリンたちを呼んできてくれる? 着替えなきゃ」
「はいよ!」
ジュンが元気よく部屋を飛び出していった。
元気よね、あの子。
さて、と。
あれ?
寝台から降りて裾を払うと、一枚の葉っぱが落ちた。
どこで付いたのかしら?
これって、合歓木(ねむのき)の葉っぱよね? 特徴あるし。
今日通った所に合歓木なんてあったかしら?
んー、ま、いっか。
リンとシンはまだかしら?
さっさと着替えて夕餉に行かないとね。
姉さまに怒られてしまうもの。