くいっと突き出た肩甲骨。
頼りがいのある広い肩。
きっと歪みなんて、これっぽっちもないだろう背骨。
真っ直ぐに伸びた、気高い背筋。
あたしの目はまるで、真夏の太陽を追いかける向日葵のように、彼を追う。
何故これほどまでに、彼に惹かれるのだろう。
あたしはいつから背中フェチになったのか。
そう疑問に思いつつも、前の席の彼の背中から、目が離せない。
時折、はっと気が付いて黒板を写す他は、あたしの目はその背中に釘付けだ。
カリカリというシャーペンを動かす音も、カサッという教科書をめくる音も、
単調に教科書を読む先生の声も、全て耳を素通りしていく。
あたしの全神経は今、視覚に集中している。
ひとみから入った光が、水晶体で屈折され、網膜で像を結ぶ。
ただ、それだけのことなのに、あたしの目はまるで恋する乙女のように、
彼の背中を追ってしまう。
そう、これは恋じゃない。
似ているようで、多分違うのだろう。
追うのは彼の背中だけ。
何故惹かれるのかは分からないけれど、違うのだ。
あたしはもう一度、「違う」と心の中で繰り返した。
これは恋ではないのだ、と。

 

 

彼の背中

 



キーン コーン カーン コーン
無情にも終業のチャイムが鳴り響き、あたしの世界に再び音が戻ってきた。
ざわついた教室に担任が入ってきて、簡単な連絡事項を言って放課後になる。
彼はさっさと部活に行ってしまった。
あたしが教科書をカバンにしまっていると、後ろから声がかかった。
「そのうち、彼の背中に穴でも開くんじゃない?」
振り返ると、そこにいたのは、幼稚園からの腐れ縁だった。
「大変だねぇ。あんたにそんなに見つめられちゃってさ。彼、気付いてると思う?」
「さぁ?」
あたしは首を傾げた。
「悪いとは思ってるんだけどね」
「あんた、好きなの?」
単刀直入な悪友の言葉に苦笑する。
コイツの、こういう、ストレートな所は嫌いじゃない。
ちょっと、困ったな、と思うだけだ。
「好きじゃないよ」
平然とした顔で言ったら、「本当に?」と疑い深い目で見られた。
「別に好きじゃないってば」
もう一度、はっきり言う。
コイツとは色恋沙汰の話をあんまりしたことがない。

なにしろ、こっちに引き出しがないからだ。

コイツはそういう話が大好物だから、すぐにそっちの方向へ話を持っていきたがる。

面倒なので、話を逸らすことにした。

コイツはこれでもバレー部の期待の新人というヤツで、一年で唯一ベンチ入りしてる。

だから、その分風当たりも強い。

「そんなことより、早く部活に行った方が良いんじゃないの?

遅れると先輩に怒られるんでしょ?」
「あぁっ、そうだった!」

そう言って悪友は、慌てて教室を飛び出して行った。



その背中を見送って、荷物をまとめ終えると、あたしも教室を出た。

下駄箱には向かわずに、美術準備室へと向かう。
あたしは美術部に所属してる。

美術部は名簿上、部員が四十人はいるハズなんだけど、

実際に活動してるのは、ほんの数人だ。
数年前までは漫研のようになっていたらしく、実際に活動する人もそれなりにいたらしい。

でもあたしが入学する前の年に、漫研が独立して、

それ以来、美術部は帰宅部の隠れ蓑になっている状態なのだと、

滅多に姿を見せない顧問が言っていた。

ちゃんと活動している先輩たちも個人主義で、それぞれが好き勝手に描いている。

それに先輩たちは準備室じゃなくて、美術室の方で描いてるから、

ここにいるのはあたしだけだ。

本来ならこっちの方が美術部の活動場所なんだけど、

準備室は風通しが悪くて、狭い。

それで先輩たちは皆、美術室の方に避難しているのだ。

それでもあたしは、こっちの方が好きだ。

静かでいいというのもあるけど、ここからはグラウンドがよく見える。

探してしまうのは、やっぱり彼だ。

グラウンドを走っている背中。
突き刺さるようなシュートを見事にキャッチした背中。
DFに指示を出している背中。
それを目で追いかけながら、何故彼なんだろうと考えた。
これまでに何度も自分に問いかけたことだけど、未だに答えが出ない。
あたしは試しに、彼の周りの人たちの背中に目を向けてみた。
…………悪くはない。
悪くはないけど、やっぱり違う。
求めているのはコレじゃないと、あたしの感覚が訴えるのだ。

もう一度、彼の背中に目を戻して、昨日との違いに気付いた。

サッカー部は、さすがは私立というか、全国大会常連校というか、

ジャージじゃなくて、練習用ユニフォームなるものを着ている。

それを着れるのは、三軍まであるうちの一軍だけ。

彼は一年生ながらに一軍だったけど、それでも昨日まで二桁の背番号だったハズだ。

でも今日の彼の背中にある番号は、“1”。

それを見て、あたしは唐突に理解した。


色々なものを背負っている背中だからだ。
それは部員の信頼や憧憬や羨望だったり、サッカー選手としての上手さだったり、
女子からの想いだったりするんだろうけど(彼はたいへんにモテる)、

普通の人なら押しつぶされてしまう様な期待を、

彼は何でもないように、平然と受け止めてる。
背中には、その人の本質が表れるのだという。
真っ直ぐに伸びたその背中が、あたしにはとても眩しく感じられる。
すごい人だったのだと、今更ながら驚いた。

カッコイイし、頭もいいし、サッカーも上手い。性格も温厚。

しかも、それだけじゃない、強さを持った人だ。

どこの完璧超人だと思う。

自分が何故彼の背中ばかりを追ってしまうのか、

その答えを見つけられたような気がして、

スケッチブックを広げたまま、サッカー部の練習を見続けていると、
一瞬、彼がこっちを見たように思えた。
ううん、多分見間違えだろう。
今、彼の視線は、前線の方に向けられている。
あたしは彼の背中から視線を外した。

というか、見られない。
今のは目の錯覚なのだと、自分に言い聞かせる。
そう、彼がこっちを見て、“笑った”なんていうのは、あり得ないんだから。
ゆっくり目を閉じて、深呼吸を三回する。
まだ胸のドキドキは収まらないし、顔はきっと真っ赤だ。
それでも、うっすらと目を開けて、彼の姿を探す。
この気持ちは何なのか、確かめたかった。
多分、そうなのだろうな、と思っても、直ぐには信じらんない。


心の中で三回。
恋じゃない   恋じゃない   恋じゃない
と唱える。
けど、この呪文はもう、利きそうになかった。




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