自分の気持ちにフタをしよう。

まだ、早い。きっとこの感情は早過ぎる。

まだ、しばらくはこのままで。

気付かないフリをして、今まで通り、居られればいい。

 

 

贈り物はマフラー 1.5m

 

 

家庭科でマフラーを編むことになった。

あたしは編み物ってかぎ編みしかやったことなかったから、はっきり言ってちょっと憂鬱だった。

確かにセーターとか帽子とかよりも簡単そうだけど、初心者同然のあたしには、だいぶハードルが高い。

だいたい、編み物自体が初めてって人は、男子にも女子にも結構いるんだよね。

それなのにいきなり棒編みって、先生もチャレンジャーだ。

だけど幸いなことに、クラスに編み物が得意ってコが何人かいて、

先生とそのコたちがそれぞれのグループに教えることになった。

同じグループになった経験者のカトちゃんに基本的な編み方を教わって、

あたしも初めての棒編みにチャレンジしたんだ。

うん、ここまではいい。

基本的な編み方は、基本的というだけあって、簡単だった。

問題はこのマフラーが、どうしても丸まってしまうことだ。

きつく編み過ぎたのかなと思って編み直しても、すぐに“くるん”としてしまう。

その原因をカトちゃんに訊こうにも、カトちゃんは円香(まどか)にかかりっきりだった。

円香はあたしの友達で、小動物みたいでカワイイんだけど、超のつくぶきっちょだ。

あのコが作ったっていうマスコットを見せてもらったことがあるんだけど、

まぁ……なかなか前衛的だった。

本人はウサギのつもりらしけど、あたしは耳が三つもあるウサギは、あいにく知らないんだよね。

そんな円香がいるグループになるなんて、カトちゃんもツイてないな、

なんて他人事みたいに思っていられたのも、最初だけだった。

カトちゃんは円香にマンツーマンで教えてるし、他のメンバーも、まったくの初心者男子二人。

この中ではカトちゃんに次いで編み物経験があるのが、

なんと編み物キットで“エコたわし”を作ったことがあるだけの、あたしだったりする。

他のグループのコも先生もそれぞれ大変そうで、マフラーがどうしても丸まるんですけど、

なーんてマヌケな質問が出来そうな雰囲気じゃない。

マフラーの提出日は十二月の最後から二番目の授業。

どうしよう、このままのペースでいくと、確実に間に合いそうにない……、

んだけど、実は心当たりが一人だけいる。

外で遊ぶことが苦手なせいで、編み物や縫い物なんかが得意になっちゃったヤツがね。

もう、ヤツに頼むしか、道はないか……。

 

 

「というワケで、あたしに編み物教えてちょうだい」

土曜日の昼過ぎ、あたしは新庄家の玄関にいた。

チャイムを鳴らすと、案の定ヤスが出てきたんで、挨拶代わりに言ったのがさっきのセリフってワケ。

「アンタ、編み物とか縫い物とか、細かいこと得意でしょ?」

あたしは手に持っていた紙袋をヤスに押し付けながら言った。

ヤスは紙袋を両手で受け取って、目をぱちくりする。

「何かよく分かんないけど、とりあえず上がってよ、睦(むつ)さん」

ヤスはいきなり押しかけて来たあたしに文句を言うでもなく、にっこりと笑った。

白いVネックのセーターにジーンズっていうラフな格好なのに、

ヤスが着るとファッション雑誌から抜け出してきたみたいだから、ホントに不思議だ。

って、ダメだ。ヤスが輝いて見える……。

ゴトリと何かが動きそうになったあたしは、さり気なくヤスから目をそらす。

そして目に入ったのは、和紙で出来た人形だった。

下駄箱の上にずらりと並んだ人形たちは、単体で見れば可愛いんだけど、

こうもたくさんあると、ちょっと怖い。

「これ、春ばあちゃんが趣味で作ったヤツでしょ? また増えてない?」

「あぁ、でも、今お祖母ちゃんの趣味は、家庭菜園だよ。

睦さんが前にウチへ来たの、だいぶ前だったよね。だから、そう感じるんじゃないかなぁ」

ヤスはスリッパを出しながら、なにげなく答えた。

そう、ヤスがウチに来ることはしょっちゅうだけど、

あたしがヤスの家に来るのは、中学校を卒業して以来かもしれない。

板張りの廊下をヤスの後について歩きながら、ぼんやりとそんなことを思い出した。

ヤスの家は立派な日本家屋で、ほとんどの部屋が和室だ。

西洋の血が混じっていそうな外見のクセに、家は純和風。

つくづく外見と中身のギャップが激しいヤツだ。

「睦さん、もうそれはいいから……」

あたしの前を歩くヤスが、肩を落として情けない声を出した。

「……また垂れ流してた?」

「うん。外見と中身のギャップが著しいって」

「あー、ゴメン。気をつけてるんだけどね」

ぺちりと、自分の額を叩いて、ため息をつく。

これがあたしの困ったクセなんだ。

ウチとヤスの家では思考が垂れ流しになっちゃうんだよね。

ま、外じゃやらないけど。やったら、ただの危ない人だ。

パタパタと廊下を少し行った所で、ヤスがいきなり立ち止まって、「あ」という声をもらした。

あたしはその背中にぶつかりそうになって、悪態をついた。

「いきなり立ち止まんないでよ、危ないなぁ」
「あ、ゴメン。今思い出したんだけど、今日姉さんが友達と居間で勉強会してるんだ。

そろそろテストだからって」

「美菜子ちゃんが?」

あたしは『テスト』という単語を用心深く頭から弾き出して、ヤスの年子のお姉さんの名前を言った。

美菜子ちゃんは外見も雰囲気もふわふわして可愛らしくて、

あたしがもし男だったら、絶対に弟の友人って特権をフル活用して落とすだろうっていう感じの人だ。

久しぶりに会えることを楽しみにしてたんだけど、
お友達が一緒じゃ挨拶も止めといたほうが無難かなぁ。

ん? ちょっと待て。

と、あたしは大分それてた思考の軌道修正にかかった。居間が使えないってことは……。

あたしが自分の目線より少し高い位置にある顔を見上げると、
ヤスはちょっと済まなそうな顔をして言った。

「俺の部屋でもいい?」

一瞬、心臓がはねた……ような気がしたけれど、たぶん顔のすぐ側を横切っていった虫のせいだろう。

結構デカくてびっくりした。

居間がダメだからヤスの部屋っていうのは、別に変な話なんかじゃない。

いたって普通の思考回路だ。

だいたい、あたしとヤスは小学校からの付き合いだし、ヤスに他意なんてあるハズがない。

なにせ、“お母さん”だ。

警戒するのも馬鹿馬鹿しい。

あたしは了承の意味で頷いた。

「オッケ、分かった」

「それじゃ、先に行っててよ。お茶いれてくから」

「うん。あ、その紙袋の底の方に、苺大福が入ってるよ」

一応、授業料のつもりで家にあったヤツを持って来た。

確か、一昨日くらいに父さんがもらって来たヤツだ。

ウチの家族はあたしを除いて、苺大福はあんまり好きじゃないんだよねぇ。おいしいのに。

「ホント? わざわざ有難う、睦さん」

いいってことよ、タダだしね、っていう言葉は、紙袋をのぞいているヤスの顔を見て引っ込んだ。

代わりに出てきたのは、どうにも歯切れの悪い言葉だった。

「あー、いや、そのぅ、どういたしまして?」

ヤスがあまりに嬉しそうに笑うもんだから、あたしは苺大福が家にあった余りモンだってことを、

とうとう言えず、笑ってごまかしたのだった。

 

 

勝手知ったるなんとやら。

あたしはだいぶ前に来た時の記憶を引っ張り出しながら、一つのふすまの前で立ち止まった。

確か、ここだった気がする……。

一瞬、間違ってたらどうしようと思ったけど、たとえ間違ってたとしても、

真っ昼間から見られちゃ困るようなものは、新庄家に限ってはないだろう。

もしあるとすれば、春ばあちゃんがハマってたブツの残骸くらいなもんだ。

そう結論付けて気軽にふすまを開けると、はたしてそこはヤスの部屋だった。

八畳くらいの部屋の真ん中にはこたつがどーんと置いてあった。

勉強机に漫画と小説が入り混じった本棚、その上のコンポと、

物が少ないのは、アイツの変に几帳面な性格のせいかな。

この分じゃ、押入れの中も片付いてるんだろう。ヤスのことだから。

ウチの愚弟にも見習わせたいね。

ヤスの部屋は、全体的にシンプルっていうか……こう言っちゃあなんだけど、地味な部屋だ。

まぁ、ヤスらしいけど。

寒かったから、勝手にこたつのスイッチを入れて暖まる。

最近のこたつって、すぐ暖かくなるのねー。と、ぬくぬく暖まってると、廊下からヤスの声が聞こえた。

「睦さーん。手ぇ、ふさがってるから開けてー」

「はいはい」

あたしは横着して、こたつに入ったまま寝転がって手を伸ばした。

なんとか指の先をひっかけて、ふすまを開ける。

「睦さん?」

ヤスは視界にあたしの姿が見えなかったことに驚いたみたいだった。

目線を下げて寝転がったあたしを見つけると、ホントに不思議そうな顔をして首を傾げた。

「何してるの?」

「だって、寒いしねぇ」

「そりゃ、冬だし」

ヤスは、よく分からないって顔をしたままだった。

ヤスには横着しようなんて発想自体ないんだろう。千夏さんの教育の賜物だ。

あたしは笑いながら身体を起こして、バッグの中から袋を取り出した。

 

 

「メリヤス編みだね」

あたしが編んだマフラー(のつもりのブツ)を見せると、ヤスは開口一番にそう言った。

「メリヤス編み?」

「そう。編んだのをみると、表と裏が出来てるでしょう?

この編み方だと、どうしても丸まっちゃうんだよ」

「……マジで?」

「うん、マジで」

あたしは思わず、こたつに突っ伏した。

あたしの編み方がおかしいんじゃないかって、ずっと悩んでたのに、

実は編み方の特性だっていうんだから、ホント嫌になるよ。

突っ伏したままブツブツ言ってると、向かい側に座ったヤスの少し焦ったような声が聞こえた。

「あ、でもスチームアイロンをあてれば、まっすぐになるよ」

「ホント?」

顔を上げて尋ねたあたしに、ヤスが曖昧に頷く。

「まぁ、洗ったりしたらまた丸まっちゃうんだけど」

「それじゃ、意味ないじゃん」

あたしは頬杖をついて、ヤスをにらむ。

別にヤスがマフラーを丸まらせてるワケじゃないけど、

ちょっと八つ当たりでもしないとやってらんない気分だ。

一瞬、ヤスは考え込むような顔をして、恐る恐るこんな提案をしてきた。

「うーん、もし睦さんがよければだけど、別の編み方試してみない?」

「別のって?」

「簡単なのはガーター編みとかゴム編みかな。あぁ、でも睦さんは表編みも裏編みも出来るんだよね?」

「さんざん、メリヤス編みとかいうの編んでたからね」

そりゃあ何度も編みなおしたさ。丸まる原因が分からなくてね……。

「じゃあ、ゴム編み……二目ゴム編みにしようか」

ヤスはそう言うと、勉強机の陰から毛糸やら棒針やらが入ったカゴを持って来て、

目の前であっという間に数段編んでみせた。

と言っても、見本だから目数は少ないけど。

「ゴム編みっていうのは、表編みと裏編みを繰り返して編むんだよ。

二目ゴム編みは、二目表編みで編んだら、また二目裏編み」

ヤスが見本で編んだヤツを渡してきた。

目がキレイに揃ってて、素人目にも上手いと思う。

これを認めるのは何だかしゃくなんだけど、実は男の方が器用なんじゃないかって、時々思うんだよね。

この間、ウチの愚弟が家庭科で作ってきたティッシュケースカバーは、

ミシンの縫い目がちゃんと真っ直ぐで、現在台所で活躍中だったりするし。

これであたしがすぐ丸まっちゃうような、無様なマフラーを提出したなんて知られたら、

ヤツは大声で笑うに違いない。

……中二男子に負けるのはシャクだな。

あたしは姿勢を正して、ヤスの顔をまっすぐ見ながら言った。

「ね、提出に間に合う? 今からやり直してさ」

「提出期限まで、あと三週間でしょう? 大丈夫。睦さんなら出来るよ」

ヤスに励まされたあたしは、マフラーに向かないという(基礎って言っちゃあ基礎らしいんだけど)

メリヤス編みから、見た目がキレイで丸まらない(ココ重要)ゴム編みに乗り換えることにした。

せっかく教えてくれたのに、ゴメンね、カトちゃん。

 

 

ヤスに教わって、二目ゴム編みとかいう編み方で編み始める。

作り目作って、表表表、裏裏、表表、また裏裏、またまた表表……。

編み物って単調だけど、目をとばさないように集中しないといけない作業だ。

数段編んだ後に気づくと、実に悲惨なことになる。

ヤスは時々あたしの進み具合を聞きながら、自分のを編んでる。

ヤスのもマフラーだけど、あたしが編んでるのよりはだいぶ模様が複雑そうだし、

暖色系の毛糸を使ったマフラーは、完成間近らしくてだいぶ長かった。

あたしの白一色の短いマフラーとは、大違いだ。

「そういえば、なんで最後から二番目の授業が提出日なの?」

ふと、ヤスがそんなことを訊いてきた。

あたしは自分の手元から目を離さずに答える。

「あぁ、十二月最後の授業で返却するからだって。
そうすれば、クリスマスプレゼントに出来るでしょ?

塩原センセイって、結構ロマンチストなんだよねぇ」

塩原センセイ……通称塩センは、五十代のおばちゃん先生なんだけど、

発想がだいぶ乙女で、影じゃ“メルヘン”ってあだ名で呼ばれてるくらいだ。

「ふうん、睦さんは、誰かあげる相手いるの?」

「悪かったな。自分のだよ」

ヤスのなにげない問いに、あたしは超低音で返して、にらみつけた。

それで怯むかと思ったら、ヤスは意外にもなにか考えてるような顔をした。

そして、ぱっと、いいことを思いついた子どもみたいな顔で言う。

「ね、睦さん」

「何?」

「これもうすぐ出来るんだけど」

「だから?」

要点を言え、要点を。

「うん、だから俺のと睦さんの、交換しない?」

「はぁ?」

あたしは驚いて、編んでいたマフラーを落とした。

ヤスがにこにこ笑いながら、続ける。

「俺ね、睦さん用にマフラー編んでるんだ。

去年はカーディガンあげたし、一昨年は手袋で、マフラーあげたのって、だいぶ前だったでしょう?」

「え、あぁ、うん」

すっかり忘れていたんだけど、ヤスは冬になると、毎年何かしら編んでくれる。

小学生の頃は、女の子にあげるのはどうかと思う、腹巻きとかくれたっけ。

「俺のマフラーがあれば、それは使わないよね?」

「いや、使うよ。洋服に合わせて変えたりするよ」

「えぇ〜っ、くれないの?」

情けない声を上げて落胆したヤスは、ガックリと肩を落とした。

それがあまりに可哀相で、あたしは思わず言ってしまったのだ。

「わ、わかったってば、あげるよ。あげればいいんでしょ!」

「本当に?」

「言っとくけど、完成度は保障できないよ」

「全然大丈夫だよ。ありがとう、睦さん」

ヤスが本当に嬉しそうに、にっこりと笑う。

だから、その笑顔は反則だって!

あたしはその笑顔にあてられて、顔が熱くなる。

それを悟られないように、マフラーを編むのに集中してるフリをした。

 

 

目だけを動かして、チラリとヤスの方を盗み見る。

あたしとは違う、筋張った大きな手。

その手に持った棒針が器用に動いて、糸をすくう。

それが妙に艶かしく見えるのは、あたしの気持ちの問題なんだろうか……。

ゴトリ、と、フタが動いて中身が溢れそうになる。

ホントは知ってるんだ。気持ちにフタなんて、簡単には出来やしない。

それでも、面倒ごとは嫌いだし、怖いものも嫌いだ。

だって、ヤスがあたしのことをどう思ってるかなんて、今更訊くまでもないでしょ。

っていうか、夏ごろ聞いたんだっけ。

同い年の女子に向かって、「お母さん」って言いやがったんだよ、ヤツは。

なのに……。

たぶん、このフタが開いてしまったら、あたしは、こうして一緒になんていられないだろう。

最近はどうやら彼女がいないらしいけど、
去年とか一昨年のクリスマス前後には、彼女さんがいたと思う。
あたしの他にも、ヤスが編んだヤツをもらったひとがいるんだろうか。

そう思うと、もやもやしたものが広がった。

去年カーディガンもらった時も、一昨年手袋もらった時もこんなこと、気にしてなかったのに……。

「出来た!」

その声に、はっと顔を上げると、ヤスはにっこり笑いながら言った。

「クリスマスにはちょっと早いけど、今日あげるね。
睦さん、寒いのにマフラーして来なかったでしょう?」

そしてヤスは、こたつの上に体を乗り出して、あたしの首にふわりとマフラーを巻いてきた。

あたしは、その間、大人しくされるがままになっていた。

というか、指一本も動かせられなかったし、単語ひとつも言えなかったのだ。

オレンジと黄色と赤が混じったマフラーは、綺麗で、暖かくて、優しくて、少し、泣きそうになった。

ヤスはずっと変らなくて、あたしにマフラーを編んでくれるけど、

このままでいたら、いつか編んでもらえない日が来るんだろう。

この暖かさを、他の誰かが持って行ってしまう日が、きっと来てしまうんだろう。

それは嫌だと思った。

他の誰かがヤスの編んだものを身につけてるなんて、絶対に嫌だと思った。

そして、フタは砕け散ったのだ。

たった1.5メートルのマフラーが、あたしが必死で閉じようとしてたフタを、粉々に砕いてしまった。

一度なくなったフタは、二度と戻らないし、あふれた感情は、なかったことには出来ない。

気付かないフリは、もうおしまいだ。

だって、あたしは認めてしまったんだ。
暖かいマフラーに顔を埋めて、その感情を確かめた。

 

 

あたしは、ヤスのことが好きなんだ、と。




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