●月△日。晴れ。

「面会人ですよ」と上司のシスターに呼ばれ、面会室に行くと、

そこには城にいるはずのハトコ殿がいらっしゃいました。
私としては会いたくない相手No.1です。
なので私はにっこり笑って、
「何しに来やがったこのヘタレ王太子」
と言ってやりました。
すると御年十六歳の王太子殿下は、薔薇色のほっぺたをぷっくりと膨らまし、

青玉よりも美しいと謳われる瞳をうるうるさせて、その愛らしい容姿を最大限に生かす角度で、
「そんな言い方しなくたって」
と呟きうつむきましたが、そんなことで誤魔化されるような私ではありません。
美少年好きには堪らない容姿をしてらっしゃる王太子殿下ですが、

その頼りなさげな外見と中身は見事に一致し、かなりのヘタレです。
その所為でハトコという遠縁の私にお目付け役が回ってきて、

散々面倒くさいことに巻き込まれた恨みは一生忘れません。
城暮らしに嫌気の差した私は、とうとう修道院に入ることを決意し、現在に至ります。
まぁ、修道院では女同士の陰険でどろどろした人間関係に煩わされるのですが、

おいおいここは神を崇める所じゃねぇのかよ!

というツッコミはなしな方向で行くことにしています。

その方が身の為です。


「で、何しに来たのかって聞いてんだよ」
私は立会人がいないことを、これほど感謝したことはありません。

もしいたら、私はあのじめじめとした反省室という名の地下牢に入れられ、

一週間は臭い飯を食すことになっていたことでしょう。

私の口の悪さはきっとこのヘタレの所為です。
もじもじと恥じ入る乙女な仕草は、ヘタレなハトコ殿の得意技です。

可愛い女の子がやれば可愛いと思いますが、可愛い男の子がやるのはどうかと思うような仕草です。

ちなみに私はキモイと思います。
こんなのがこの国の王太子で大丈夫かと心配になりますが、

このヘタレ王太子は何故か老若男女、身分を問わず皆に好かれていますし、

このヘタレの叔父にあたる王弟殿下がしっかりした方だということと、

叔母にあたる方が大国に嫁いだので、後ろ立てはバッチリです。


「僕、旅に出なきゃならなくなったの」
と、このヘタレ王太子殿下がほざきやがりましたので、
一発その金糸のような頭を張り倒してやりました。
前々から天使の輪が出来ているその頭が羨ましいと思っていたのですが、

その中身のおつむは全然羨ましくありません。

きっと振るとカラカラと音がするに決まっているからです。
「いたぁい。何も打つことないのに」
ぽろぽろと流れる涙は、吟遊詩人に朝露か水晶のようと謳われるシロモノです。

けれど私に言わせれば、軟弱以外の何物でもありません。ウザイだけです。
「もう一発殴られたくなかったら、さっさと理由を話せ」
と、拳をちらつかせると、ヘタレの涙はあっさりと乾きました。

その変わり身の早さも、私がこのハトコ殿を嫌う一因です。
「あのね、お父様が『男は強くならねばなら〜ん。その為には旅に出るのが一番だ!

可愛い子には旅をさせよと言うではないか!!』って仰ったの」
子も馬鹿でヘタレですが、父親も馬鹿だと思いました。

一国の元首がこんなので良いのでしょうか。いいえ、良いわけありません。

やっぱりこの国が存続しているのは、王様の妹君と弟君のおかげだと思います。


「で、それが私に何の関係があるわけ?」
嫌な予感がしましたが、一応尋ねました。私はこんな自分の律儀な所が、

好きでもあり嫌いでもあります。

今は嫌いです。
ヘタレ王太子殿下は、予想に違わず面倒なことを仰いました。
「僕と一緒に旅に出て?」
「断る」
そんなふうに上目遣いでだまくらかせるのは、教育係の爺やと周りのアホ貴族だけだと、

このヘタレは知るべきです。
私はこのヘタレの所為で貴重な青春を子守に費やし、婚期を逃したのです。

八つの時、生まれたてのヘタレの外見に騙されて、
遊び相手になることを承知してしまった自分が、憎くてなりません。
ですから、私はこのヘタレを追い返しました。
「二度と来んじゃねぇよ、このヘタレ!」
「うわ〜ん。でも諦めないからぁ〜」
ヘタレの王太子は、泣きながら城へと帰って行きました。やっぱりヘタレはヘタレです。

その光景を上司のシスターに見つかった私が、

一週間反省室に入れられ、臭い飯を食すことになったのは、言うまでもありません。

 

 

 

■月×日。曇り。

 今日の空はどんよりと厚い雲におおわれ、まるで私の心の中を反映したような天気です。
これもすべて私の隣で軽やかなツーステップを踏み街道を歩いている王太子殿下のせいです。

そのあまりの軽やかさに殺意すら覚えます。
殿下は身軽な旅装姿で、腰には美術品と実用品の中間のような細身の剣を差していますが、

後は小さな雑嚢(ざつのう)を一つ肩からかけているだけです。
それに比べて私は重たい背嚢(はいのう)を背負い、

樫(かし)の木で出来た120センチほどの杖を持っています。

この杖は護身用です。私は殺生を厭(いと)う神に仕える身なので、剣や槍は持てません。

けれど修道院では杖術(じょうじゅつ)を習っていました。

修道院は盗賊などに狙われることが多々あり、実戦でかなり鍛えられました。

私の杖術の師は基本を覚えたら、後は実戦で身につけろという人であったので、

本当に死ぬかと思うような目にもたくさん会いました。

正直、結構怨んでいます。


「ねぇ、ネル。僕お腹すいちゃった。どこかでご飯食べようよ」
ちなみにネルというのは、私の愛称です。本名はアリエノーラと言います。
「はぁ?何馬鹿なこと言ってんだよ。ついさっき昼飯食ったばっかだろ。

それに目ぇ見開いて周りをよく見ろ。こんな街道のど真ん中のどこに食い物屋があるんだよ」
辺りに見えるのは、見渡す限りに木と草ばかりです。茶屋どころか、人気すらありません。
私は大きなため息をつきました。
「何で私がこのヘタレと旅に出なきゃなんねぇんだよ」
私がつぶやくと、殿下はくりくりとした青玉(サファイア)のような瞳を潤ませになりました。
「ネルは僕のこと、嫌いなの?」
「嫌いというよりキモイ」
目を潤ませながら上目遣いをするような男を、キモイと呼ばずに何と呼びましょう。

まぁ、このハトコ殿は身長が私と同じくらいで、

外見も少女と見間違うばかりに愛らしくていらっしゃるので、

私とは違った意見をお持ちの方もいらっしゃいます。

しかし殿下が御歳十六歳でいらっしゃることを、忘れてはなりません。
「ヒドイや。僕はネルのこと、大好きなのに……」
殿下の周りだけ、空気が違います。

キラキラ輝いている上に、天使の羽まで舞っているようです。

あまりの眩しさに、私は目をそらしました。

これぞ殿下の奥の手、キラキラオーラです。
この技で老若男女貴賎を問わずめろめろにしてきた殿下ですが、

まだ殿下が乳母にお乳をもらっていた頃から知っている私に効くと思ったら大間違いです。

何せ、私は殿下のおむつをかえたこともあるのですから。


「黙れヘタレ。誰のせいでこんな旅に出るハメになったと思っていやがる」
目をそらしたまま、殿下の薔薇色の頬を思いっきり左右に引っ張りました。

城でこんなことをすれば即不敬罪ですが、誰もいない街道ではやりたい放題できるので、

その点は良かったと思います。
「いひゃい〜いひゃいよ〜にぇるぅ、ひょれにびょくのにゃまえはりぇおんひゃひょ〜う」
「はっはっはっは。何言ってんだか、全然わかんねぇな」
びにょ〜んと伸びた頬はつるつるで、

旅に出てからすでに二週間も経っているというのに荒れの一つもありません。

私なんぞ、心労でガサガサしてきているだけに、余計にムカつきます。
そもそも事の発端は、このヘタレ王太子殿下の父上にあらせられる、国王陛下の一言でした。

『男は強くならねばなら〜ん。その為には旅に出るのが一番だ!

可愛い子には旅をさせよと言うではないか!!』

ハッキリ言って、我が国がもっているのは、優秀な王弟殿下と大国に嫁いだ王妹殿下のおかげです。

陛下には王太子殿下の他にも何人か子がありますがまだ皆幼く、

また我が国では余程のことがない限り、長子相続の形をとっています。

殿下は五歳の時に立太子の儀をなさいました。

つまりこのままでは父子二代にわたる馬鹿君主が誕生してしまうわけです。

私はもう一度、大きなため息をつきました。
「はぁ、このままこのヘタレをほっぽって、どっかの国に亡命でもすっかなぁ」
私は殿下の頬を離しました。殿下の薔薇色の頬は赤みを増し、林檎(りんご)のようです。
「うぅ、痛かったぁ。でもこれが愛の鞭ってものなんだね」
殿下は赤く染めた頬に両手をあて、もじもじしています。
私の中で、何かが音を立ててブチ切れました。たぶん、頭の太い血管か堪忍袋の緒だと思います。

ドゴッ。

樫の木で出来た杖を旅に出て初めて使った相手は、盗賊や追いはぎの類ではなく、

私のハトコにあたるヘタレ王太子殿下でした。

 

 

 

☆月■日 小雨のち曇り。
 国王陛下の無茶苦茶な一言により、ヘタレ王太子殿下と目的のない旅に出て早一月。

私の前には今、三つの選択肢があります。

1.ヘタレ殿下を見捨てて、<帝国>へ亡命。
2.やっぱり見捨てて、山奥の村でひっそりと暮らす。
3.結局見捨てて、このまま気ままな旅を続ける。

私としては、ここはやはり1番が良いと思います。
「おいアンタ。今のはアンタの連れだろ?追わなくていいのか?」
ぱっと見た感じ、普通の旅人という青年が話しかけてきました。

よく使い込まれたような剣を腰に帯び、黒い外套(がいとう)を羽織った姿は、

流れの傭兵といった所でしょうか。
「あぁ?別にいいんだよ。ほっとけば」
私がそう言って湯飲みを傾けると、青年は激昂して机を叩きました。
「何でそんなにのんびりと茶ぁ飲んでんだよ!ありゃどう見ても人さらいにあったんだぞ!」


ことの始まりは、つい三十分ほど前のことです。

いつもと同じように街道を歩いていると、パラパラと小雨が降ってきました。
「うわぁ、ネル、雨だよ!」
「見りゃわかるわ、ボケ」
私は外套の頭巾(フード)を被りました。

小雨なので、これでしばらくはしのげるでしょうが、

旅の途中で風邪などひいたら大変です。

早く雨宿りできる場所を探さねばなりません。
私の斜め前をランダムウォークでちょこまかと進む殿下は、小雨の中いやに楽しげです。

殿下はその繊細そうな外見とは裏腹に、生まれてから一度も風邪をひいたことがないという、

丈夫さを誇っているので、放っておいても大丈夫でしょう。
「あっ、茶店があるよ!」
殿下が指差す先には、確かに建物が見えました。

古い木造二階建て、おそらくは一階が茶店兼食堂、二階が宿屋という典型的な街道沿いの店でしょう。

こらえ切れないというように、殿下はぱっと走り出しました。

殿下は甘いものに目がなく、よくもまぁ太らないものだと思うほど沢山召し上がります。

しかし今までは城の料理人が腕によりをかけて作った菓子を食べていたのと打って変わり、

旅に出てからはあまり糖分を摂取できなくなってしまいました。

おそらく禁断症状が出ているのでしょう。

音速に迫る速さで駆けて行きます。

私はその後を普通の速さで追いました。

小雨とはいえ、すでに道はぬかるみ始めていたからです。

ズルッ、ベチャ。

嫌な予感が的中しました。

店まで後十歩ほどという所で、殿下は見事にぬかるみに足をとられ、顔面から泥に突っ伏しました。

マヌケなこと、この上ありません。
「ぺっぺっぺ。泥が口の中に入っちゃったよ〜ネルぅ」
「何やってんだよ、ヘタレ。ヘタレ、アホ、バカに続いて、
マヌケの称号がそんなにも欲しかったのか?」
「うわぁん、ヒドイよ!ちゃんとリオって呼んでよぅ!」
「うるさい、黙れ。リオネード=イブレット=エリウス=へタレ=アホ=バカ=マヌケ=トンマ!

これで満足か!」
「後ろに余計なのついてるよ! しかも増えてるしぃ〜」
前半分を泥だらけにした殿下は、正面から見ると妖怪・泥男のようでした。

常ならいっそのこと引き抜いて差し上げたいくらいに綺麗な金の髪も、薔薇色の頬も、

さくらんぼのような唇も、ついでに外套も泥だらけで、とてもじゃありませんが、

このままでは入店拒否されるでしょう。

仕方がなく、私が先に入り湯をもらい、軒先で待っていた殿下にぶっ掛けました。

それを何度か繰り返す内に何とか泥も落ち、これまた借りた拭き布で軽く水分を吸い取ります。

殿下がこんな有様なのと、すでに正午を過ぎこのままでは次の街まで日暮れまでには着けないので、

少し早いですが宿をとることにしました。もちろん二部屋です。

旅費は国庫から出ているのでなるべくなら無駄遣いはしたくないのですが、これは譲れません。

殿下の菓子代などを節約するようにしています。
部屋に荷を置き外套を脱ぐと、下の食堂へ下りました。ただし杖を手放すことはしません。

一時期に比べ治安が良くなったと言っても、

いきなり襲われることだってあり得ないことではありません。

用心をし過ぎるということはないのです。
殿下も部屋で改めて湯を浴び、こざっぱりとしています。

腰には剣を差していますが、戦力とは考えない方が無難です。

大体、幸せそうに焼き菓子をほおばっているこのヘタレに期待したことなど、

今までただの一度もないのですから。
黙っていれば観賞用になるのに、口を開けばムカつくを通り越して、イラつきます。

そういう時はなるべく視界に入れないようにするのが一番です。
城にいた時よりは劣りますが、贅沢を戒める修道院に比べれば上等な葉で淹れられた紅茶は、

雨で冷えた身体を優しく温めてくれます。

ささくれだった心も、心なしか和むようです。
まだ殿下が何か仰った気がしますが、無視します。

なにやら怒声や茶碗の割れる音がしたような気が、しないでもありませんでした。
「きゃっ、僕、さらわれるの? 物語みた〜い!」
という殿下の声が、聞こえてきた気もするのですが、おそらく幻聴でしょう。

そして話は冒頭に戻る、というわけです。

「あのままじゃ、あの子は髭面の山賊たちの慰みものになって、

ボロ雑巾のようにされたあげく、闇奴隷市に売られちまうんだぞ!」
青年は自分で想像しておいて、嫌な気分になったのでしょう。

鳥肌を立てています。

しかし正義感が強いのは結構なことですが、それを人に押し付けるのはいかがなものかと思います。
「そういう人生もあるさ」
「鬼! 悪魔! 鬼畜! ひとでなし! お前の血は何色だぁ!」
「うっせぇよ、タコ!」
青年がぎゃあぎゃあと騒ぐので、女将の視線がとても痛いです。私は仕方なく立ち上がります。
「お代はここにおいていくから」
数枚の銅貨を卓上に置き、部屋に帰ろうとしましたが、青年がその前に立ちふさがりました。
「どういうつもりだよ」
「それはこっちのセリフだ! あんないたいけな少女を見捨てる気か!」
どうやらこの青年は、殿下のことを女だと思っているようです。

まぁ、それもよくあることです。

私はこの青年に、世の中の無情さを教えてあげることにしました。
「おい、あれは男だぞ。しかも今年で十六だ」
ピシッ。
青年が固まりました。

しかしそれは一瞬のことで、すぐに頭を振って叫びます。

そしてあろうことか私の手首を掴み、引きずって行こうとしました。
「そ、そんなことは関係ない! さぁ、助けに行こうぜ!」
「はぁ? お前人の話を聞い」
「囚われの姫君、じゃなかった美少年を助け出す! う〜ん! 冒険者っぽいな!」

こうして私は無理矢理山賊退治に行くはめとなったのでした。




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